モナカアイスをはんぶんこ

モナカアイスをはんぶんこ



「えぇ? 知らないわよ、そんな子ォ……」


 台所で料理をしていたお母さんはそう言って「いつの話よ、それ」と質問をかぶせてきた。

 僕は学校のカバンをリビングにおいて、ネクタイを外す。


「小学生のころだと思うんだ。たぶん、三年生とか四年生とか。もしかしたらキャンプじゃなくて、海だったかもしれないんだけど」

「てことは、夏よね?」

「夏だね。夏休みの旅行」


 するとお母さんは炒め物の鍋を振って、じゅうっ……という食欲をそそる音を響かせる。


「いい? まず二点ね」

「はい、二点」

「うちは夏に泊りの旅行はしない。したとすれば、パパの実家がある山口のおばあちゃんちに行くぐらいでしょ? あそこは山であって海じゃない」

「うん、そうだね……」

「次の一点。これ、決定的なものね」

「なに……?」

「あんたが小学校三年生のとき、わたしの姉さんの旦那が死んだの。覚えてない?」

「あっ……」


 言われて、僕はハッとする。

 記憶が蘇ってくる。


「新潟で、お通夜に出席したよね」


 母さんは「そう」と短く答えてから、肩越しに視線を向けてきて。


「あんたと市民プールに行くって約束してたのがお流れになって、めちゃくちゃに駄々こねてケンカしたんじゃない。新幹線に乗っても機嫌を直さなくって、大変だったの、忘れた?」

「忘れてない。覚えてる」


 うん、と母さんは満足そうにうなずいて「だからね」と結論を述べる。


「その番田千佳(ばんだ ちか)さんって子も、番田さんのご家族も、わたし面識ないわよ?」


 論理立てて説得されてしまい、僕は反論すべき言葉も見つけられず「そっか」と短く言葉を切って洗面所に向かった。

 手を洗い、うがいをして……自分の顔をじっと見つめる。


「番田千佳……」


 クラスメイトの女の子で、高校一年生の時も『たしか』一緒にクラスだった。

 二年の時はC組だったと思う。

 三年になって、また同じクラスになったけれども……それ以外の記憶がボケている。

 鏡に映る自分の顔をじっと見つめながら、小首をかしげて。


「じゃあ、小学生の時にキャンプに行ったっていう記憶は、なんなんだ?」


 鏡のなかで呟いた。



 彼女と避暑地に近い和らいだ夏の風が吹き抜けるキャンプ場で、同じ時間を過ごした。

 千佳は河原で学校の水着ではない、華やかな色合いの水着で「どーよ、惚れた?」と腰に手を当てて胸を張った。

 たしかに可愛いと思った。学校指定の水着じゃない女の子は、こんなにも雰囲気が変わるのかと驚いた。

 千佳のお父さんとうちの親父がバーベキューをセットしてくれて、うちと番田家で肉を食べた。千佳が紙皿からお肉をこぼしてしまって、不機嫌になって……僕の皿の肉を分けてあげた。そうしたやり取りを千佳のお母さんが――。


「冬樹くんは優しいね。ありがとうって、ほら、千佳」


 そう言って彼女にお礼をするよう促した。

 髪の毛の長い、優し気な千佳のお母さんだ。

 そうして僕らは肉を食べ、カレーも食べたいと無理を言って……結局、食べきれなくて。ちょっと叱られた。

 それでも僕と千佳は日が暮れたキャンプ場で……驚くほどの星を見た。

 理科の教科書に載っているような、まるで大人が描いたような、美しい天の川と煌めく星々の天井を一緒に見た。

 そのとき、僕と千佳の手が触れて……。

 お互いに「あっ」と眼を合わせて、変な空気になった。

 そういう記憶がある。

 夏休みに、うちと番田家で行ったキャンプの思い出――。



 僕はジッと鏡のなかの自分を見据える。

 思い違いにしては、記憶が明瞭すぎる。細かいエピソードとか、河からあがってタオルケットに身を包んでいた千佳の匂いだって、覚えてる。

 夏の太陽の匂い。

 清流の冷たさ。

 千佳の肌と息遣いの精妙さ。

 きらきらと水に濡れた彼女の産毛と正午の陽射し――。

 濡れた手を拭い、靴下を洗濯機のなかに入れて自分の部屋に向かう。

 リビングに差し掛かったとき、母さんが心配そうに僕を見る。


「あんた、だいじょうぶ? なにと勘違いしてるの?」


 勘違い。

 お母さんは『番田家とのキャンプ』を明確に否定した。

 小学三年生のときは、新潟で母さんの姉の旦那が死んで……葬儀に出席した。母さんが指摘したように、僕は市民プールに行く予定がご破算になって怒った。新潟の家では親戚の兄さんが居て、すごく意地悪をされた気がする。

 心配そうにこちらを見つめる母さんに「ああ……」と答えてから。


「変な勘違いしてた。ごめん、気にしないで」


 そう言って部屋に戻り、鞄を机に置いた。

 帰りの電車のなかでスマホの画像を遡って確認した。

 そんな古い時期の写真はなかった。無理もない。あれは小学生のころで……まだスマホなんて持っていなかった。

 写真はない。

 でも、この確固たる記憶は――思い出は、なんだろう。

 母さんの的確な指摘で『キャンプ』には行っていないことは明らかなように思える。

 なら……この頭のなかを駆け巡る番田千佳との思い出は、なんだろうか。

 僕はベッドに仰向けになって、目を瞑る。


「千佳……」


 あいつの下の名前を口にする。

 慣れない単語のようで、舌がちょっとだけもつれる。

 何度も呼んだ気がする名前――。

 でも、発したことは数少ない気がしていた。



* *



 翌日、僕は番田千佳に声をかけた。

 彼女は声をかけられたことにぎょっとした様子だったが、すぐに平静を取り戻す。


「なに……?」

「昨日さ、母さんに確認したんだよ。千佳の家族と一緒にキャンプ行ったよねって。そうしたら、行ってないって言われてさ。あれ、小学校三年とか、四年の時じゃなかったっけ?」


 素朴な質問をしたつもりだったが、千佳はうつむいたまま返答してこない。


「千佳……?」

「わかんない」

「えっ、わかんない?」

「わかんないけど……、行ったじゃん。覚えてないの? 星を見て、トイレについてきてくれたじゃん」

「ああー、やっぱりそうだよな。なんかボロくて、テントから遠かったもんな、トイレ。しかもすげえでっかい虫がぶんぶん飛んでて、僕の方がビビってて」


 うん、うん、うん……と千佳は頷く。

 僕は俯く千佳の顔をしたから覗き込む。


「なんか安心したよ。やっぱり行ってるもんな、キャンプ」


 母さんに否定されてしまったので不安だったが、やっぱり思い違いじゃない。

 僕も千佳も……当事者同士で、こんなにも記憶があるのだから、嘘じゃない。


 ただ、疑問なのが――。


「いつ行ったんだっけな? そこがわかれば、母さんも思い出すと思うんだけど」


 ぽつりと嘆いた言葉に、千佳はなにも言わなかった。

 ただ俯いて、ちょっとだけ顎を引いたような気がした。

 僕が自席に戻ったとき、アキラが「番田と話してたけど、どしたの?」と聞いてきた。


「あァ、キャンプだよ」

「えっ、キャンプ? 行くの? 番田とォ?」

「違う違う。むかし、小学生の時にキャンプ行ったんだよ。そんときの事を話してたんだ」


 するとアキラは短い髪の毛をぼりぼりと掻いてから。


「意味わかんねえこと言ってないか?」

「えっ……?」

「いつ番田とキャンプ行ったんだよ」

「たぶん、小学校の三年か四年か。いや、五年かな」


 アキラは眉を寄せて顔を近づけてきた。


「おまえ、一年と二年の時は柔道だったろ? で、三年の時は旅行だったじゃん。せっかく練習が休みに日にプール行こうって言ってたのに、ダメになったの。忘れたのか?」

「あっ……」

「んで、四年のときにプール行って、五年と六年のときは剣道だろ。いつ、番田とキャンプ行くんだよ。練習がない日は、ずっと俺ら一緒に遊んでたし……。そもそも、なんで俺らじゃなくて番田とキャンプなんだよ」

「い、いや……」

「寝ぼけてんのか?」


 アキラとは小学生のころからの腐れ縁で、彼の父親の勧めで柔道を始めた。小学校五年生の時に、剣道の漫画が流行って……僕らは親の反対を押し切って剣道に鞍替えした。

 アキラとは中学が分かれてしまったが、剣道部の対外試合でよく会っていた。

 地元も一緒だし、中学が分かれても顔を合わせる機会は多かった。なにより、高校でも同じ剣道部で――。

 アキラは「おいおい」と心配するように表情を曇らせて、番田をちらと盗み見る。


「そもそも番田さんは北海道とか青森の出身だろ。なんでおまえが子どものころにキャンプ行くんだよ」


 彼の指摘に「うっ」と頭に鈍い痛みが走った。

 新学期の自己紹介のとき、たしかに番田千佳は「生まれは雪国の青森(北海道だったかな)です」と言っていた。

 では、どうして僕は番田千佳の一家とキャンプに行ったのだ……?

 僕だけじゃない。

 あちらの家族と一緒に行ったのだ……!!!

 真実を問い合わせるために、再び番田千佳の元へ行こうとしたとき……休み時間が終わるチャイムが鳴った。

 浮きかけた腰を落ち着けて、僕は呼吸を荒く繰り返しながら決意を固める。


「大丈夫かよ。なんか変だぞ、今日」


 心配するアキラの声は、もう聞いていなかった。



* *



 放課後――。


 僕は千佳を追って校門を出た。


「ちょっと待ってって」


 彼女に追いついたとき、千佳が驚いたように目を丸くした。


「冬樹くん……?」

「どうしたんだよ、ひとりで帰っちゃうなんて」

「だ、だって……。それに冬樹くんだって、部活どうしたの?」

「千佳と話がしたいから、今日は抜けたんだ。もう引退した身だし、後輩の指導はアキラに任せてきたってわけ」


 そう言って僕は彼女のとなりに並んだ。

 学校の最寄り駅からどんどんと離れていく。僕が帰るルートとは違う道順を彼女は歩く。

 しばらくの無言が漂って、僕は「あれ……?」と小首をかしげる。


「なんだか、変なんだ」

「変って……?」

「みんなが、ちょっとおかしいっていうか。うまく物事がかみ合わないっていうか」


 言いながら、いま僕が歩いている景色も少しヘンに感じた。

 部活がないときは千佳と一緒に帰っていたのに……この道を歩いて帰るのが初めてのような気がする。

 そうした些細な違和感を覚えつつも――。


「母さんはキャンプの事を覚えてないし、アキラも変な事を言うんだ。小学生のいつ、千佳とキャンプなんか行ったんだって」


 すると彼女はぴたと立ち止まる。

 お、どうした? と肩越しに振り返る。

 彼女は少し深刻そうな顔をして、ぐっと息を詰めている。

 いまにも泣き出しそうな彼女は、小さくなにかを言った。


「えっ、ごめん。聞こえなかった」

「……めん」

「えっ?」

「ごめんなさい!」


 千佳はキンとした声で言って、深く腰を折って頭を下げた。

 まるで礼儀正しく告白をお断りしたような『謝罪』だった。

 周りの人たちがこちらを見ている。


「おいおい、なんだよ。急に……」


 すると千佳は顔をあげて、涙を流して。


「ごめんなさい、ホントに。こんなことになるとは思ってなかったの。巻き込むつもり、なかったの……!!!」


 いったい、なにがどういう事なんだろうか。

 僕はたくさんの『ハテナ』を浮かべながら。


「あの、説明してくれないかな。ぜんぜん、わかんなくって」


 ちょうど循環バスが近くのバス停に止まった。

 千佳は手の甲で溢れ出す涙を拭いながら「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」と繰り返し謝っていた。



* *



 地域を走る循環バスに乗ったのは、初めてだった。

 あまり混雑していない、小ぶりなバス。

 彼女はこれに乗って通学していると話したが、僕は初めて乗った。

 毎日一緒に通学しているものだと思っていたのに、ここでも意識と記憶が食い違う。


「モナカアイスのこと、覚えてる?」


 千佳に言われて僕は「ああ、覚えてる」と頷く。

 一番後ろの席に並んで僕らは座った。

車内は閑散としていて、差し込んでくる夕日が眩しい。

 小刻みに震えていた彼女の手を少しだけ握ってあげた。

 昔から、そうしてあげていた気がするのに……彼女は「気を遣わせて、ごめんなさい」と謝る。そんな水臭い事を言う必要ってあるのかな……?

 隣で俯く千佳に「モナカアイス、覚えてるよ」と繰り返す。

 今週の初めに、彼女が分けてくれた。

 モナカでバニラアイスを挟んだもの。教室で小ぶりな保冷バッグから『モナカアイス』を取り出して、半分こちらに差し出してきた。

 僕は「え、なに……?」と答えた気がする。

 千佳は――そうだ、いまと同じような切羽詰まった顔で――「お願い。なにも聞かないで食べてほしい」と言った。

 モナカアイスを食べる事は、難しい事じゃない。

 ぱくりと食べて「おいしい。ありがとう」と答えた。

 それが今週の初めに教室であった出来事だ。変な出来事じゃない。


「ママがね、倒れたの」


 ぽつりと千佳は言い、ぐっと膝の上で拳を握りしめた。


「えっ、お母さんって……あの?」

「冬樹くん、会ったことないよ」

「いやいや、だってキャンプで」

「――行ってない」


 バスが停留所に止まって、ぷしゅーというため息のようなエアー音が車内に響いた。


「えっ、行ってない?」

「行ってない。わたし達はキャンプなんて行ってない」

「ど、どういうこと。全然わからない」


 彼女はぐっと僕を見返すように顎をあげた。


「信じてくれなくてもいい。でも、聞いて。質問しないで、聞いて」


 う、うん……と頷く。

 そうして彼女の言葉を待つ。

 バスが、また動き出した。電光掲示板が、次のバス停を案内している。



 千佳は青森県で生まれて、幼いころに幾度か転居を余儀なくされた。

 それは父親の仕事の都合であり、中学生のころに埼玉県に引っ越した。それから千葉県へ移って、高校に上がって『いまの住まい』に引っ越してきた。

 お父さんは優秀な人で、いまはインドネシアに単身赴任しているのだとか。

 だから千佳はお母さんと二人暮らし。

 そうした生活が長く続いていた、つい先週――お母さんが倒れた。


「アタマの病気で、結構あぶない」


 意識不明とか、認識能力の低下という小難しいコトバを千佳は絞り出すように言った。

 お父さんは仕事の都合をつけて帰って来ようとしている。

 インドネシアと日本は、近いようで遠い。

 千佳はひとりで医者とやり取りをして、最愛の母親の回復を祈りながら病院で心細い時間を過ごしていた。

 そんなとき、彼女のもとに一人の男性が現れた。

 スキンヘッドの中年男で――医療関係者だと説明されたという。


「その人がね、モナカアイスをくれたの。四分割できるモナカアイス」


 そこまで言って彼女はたっぷりと沈黙の時間を取った。

 僕は先を聞きたかったが、じっと待った。

 涙を拭って、洟を啜ってから、千佳は言った。


「思い出を共有できる『モナカアイス』なんだって。味みたいに、いくつか思い出の種類があって、わたしは……『夏のキャンプ』の思い出を選んだの」


 まさか、と僕は身を引いた。

 そんなバカな事があるだろうか。


「嘘だと思ってた。でも、半ばよくわからなくなってたの。お母さんが死んじゃうかもしれない。昔からお父さんは仕事であっちこっちに行っちゃう人だったから、家族の思い出がなかったの……。だから、思い出が欲しかった」


 モナカアイスの四分の一は、千佳が食べた。

 僕が四分の一を食べて、残りの半分は――。


「お父さんに食べてもらう。目が覚めたら、お母さんにも食べてもらう。そうすれば……作り物かもしれないけれど、わたし達は思い出を共有できる。嘘っぱちの思い出だけど……大切な家族の思い出だから」


 目の前が霞んでいく気がした。

 そんな魔法のような『モナカアイス』があるのだろうか。

 いや、実際にある。起こっている。

 僕は彼女と夏休みにキャンプに行った。

 詳細に述べられるほど……その思い出が脳裏にある。

 軽い震えとともに彼女の手を離そうとしてしまったが、千佳がぎゅっと握っていた。


「身勝手なことに巻き込んで、ごめんなさい」

「で、でも……こんなのって」

「わたしと冬樹くんは……ううん、佐藤くんは、幼馴染でもなんでもないの」


 彼女はそう言って背を丸めて激しく泣き出した。


「ごめんなさい。怖かったの! お母さんが死んで、お父さんが仕事に戻っちゃったら、わたしはどうなっちゃうのか……!!! なにもないなんて、嫌だったの!」


 嗚咽するように千佳は泣いた。

 少しためらいがあったけれど、その背中を優しく撫でた。

 握りしめられた手をぎゅっと握り返す。


「ひとりじゃないじゃん。僕がいる。夕ご飯とか大変なら、うち来いよ。母さんに言って、なんとかしてもらうから」


 すると千佳は顔をふって「関係ないんだよ。なんにも」と声を絞り出す。


「関係ないのかな? 一緒にキャンプ行ったじゃん」

「行ってない。行ってないってば。うそなんだって、うその思い出なんだってば。わたしと佐藤くんだけの、作られた思い出なんだってば」


 優しく背中を撫でながら、彼女の言った内容を頭のなかで反芻させる。

 モナカアイスには作られた記憶が封じ込められていて、僕と千佳はそれを食べて『思い出』を共有した。残りのモナカアイスは、千佳のお父さんとお母さんのぶん。

 作られた『夏のキャンプの思い出』は、うちと千佳の一家で楽しく旅行をしたもの。

 でも実際にキャンプなんて行っていない。


 作られた記憶。


 うそっぱちの思い出。

 そうして、千佳は母親を失いそうになっている。

 循環バスが夕暮れのなかでバス停に止まる。

 救急救命の総合病院前――。


『終点です』


 その言葉は乗客に告げられたものだった。

 後ろの扉が閉まり、前の扉が開く。

 電光掲示板が『終点』から『始発』に切り替わった。


『浄水場経由の笹川病院循環、始発です』


 循環バスの運転手はそう言って、乗車客たちを迎え入れた。

 僕らは二週目の循環に乗り続ける。

 遠い街並みを眺めながら『作られた思い出』の事を考える。

 仮に『モナカアイス』を食べることで均一化された(パッケージされた)思い出が市中に広がっているのなら、それは奇妙な事だ。

 登場人物たちが違うだけで、思い出のエピソードは単一なのかもしれない。


 水に濡れた同級生の匂いや弾けるような夏の笑顔。


 おいしかったお肉の味と食べきれなかったカレーの後悔。


 そして、息を飲むような星空――。


 僕はぎゅっと千佳の手を握り返す。


「じゃあ、ちゃんとした思い出をこれから作っていくので、いいじゃないか。嘘じゃない、ちゃんとした僕と千佳の思い出を作る」

「えっ……」

「千佳のお母さんのこと、僕はよくわかってない。たぶんつらい思い出になるかもしれない。でも、僕らにとっては『作りもの』じゃない思い出だろ。一緒に、そういう思い出をイチから作っていく――それでいいじゃないか」


 この提案に千佳はぐっと奥歯を噛みしめたように息を詰めて、身を寄せて泣き出した。

 肩を抱くように彼女の体温を受け止めた。

 夕暮れどきのバスの車内は、想像よりも温かかった。制服越しの千佳の身体も。

 ふたつ、みっつ、とバス停にとまり、また走り出す。

 無言の時間に触れながら、彼女の涙が落ち着くのを待った。

 そうして僕は聞く。


「どうして僕に『モナカアイス』をくれたの。つまり、思い出の登場人物に、選んでくれたの?」


 千佳は顔をあげて、少しだけ困ったように首を振って。


「片想いしてたからに、決まってるじゃん」


 短く、そう言った。

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