じぶんで決める、わたしのみち
じぶんで決める、わたしのみち
最近、生きる意味みたいなものが……わからなくなってきた。
駅のホームには壁みたいな防護ドアが並んでいて、人が落ちないようになっている。
わたしは授業中に飲み切れなかった紅茶のペットボトルを手にしながら、椅子に腰かけて次の電車を待つ。
もう八時半過ぎ。
どこか、遠い街で信号トラブルがあったらしくて、乗車する電車が遅れている。
あと三分で次の電車が来るけれど、最寄り駅まで行かない。ターミナル駅で一度降りて、また電車を待たなくちゃいけない。だから、ここで待っている。わたしが乗る電車は、あと十五分は来ない。
「でさー、マジ強いの」
「まさか、そのカード当たったの?」
「当たった。無料の十連で出たの、ホントに奇跡だった」
同じ進学塾に通う男の子たちが、ホームで楽しそうに喋っている。
「さいきん、喋ってないな」
胸のなかが、ずっとモヤモヤしている。
小学生までは成績トップで、志望校の中学にちゃんと入れた。
自分が通っている中学校が、世間的には女子五院と呼ばれる『進学校』であることも知っている。ふつうは高校にそのまま進学するが、わたしが通っている白鷺女学院中学校は中学二年生の最終成績で『進学』か『別路』か選別される。
別路は推薦状をもらって別の高校を受験する。
学校の先生は『素晴らしいこと』と言うけれど、お母さんは「退学だから、それ」と言う。
白鷺女学院にバカは要らない。
優秀な上位の生徒と学外の優秀な女の子が選ばれて、白鷺女学院高校に進める。
その当落線上に、いま、いる。
なのに、中学一年生の期末ごろから――成績が伸びない。
勉強をしていないわけではない。
ちゃんと答案に立ち向かえている。
五教科の平均点だって八十六点で悪くない。
でも、進学基準点は九十二点で……届いてない。
「なんで……」
楽しくおしゃべりしていた子たちとも、喋るのが億劫になっている。
友達が欲しくないわけじゃない。
友達と楽しくカラオケとか行ってみたい。服を買いに行ってみたい。
でも周りにいるのは『ライバル』で、あの子たちより高い点数を取って生き残らなくちゃいけない。そう考えると笑顔を作って喋っているのが、虚しくなる。
ホームに電車が入ってきて、さっきの男の子たちは乗り込んでいった。
通勤の人たちが降りてきて、待っていた人たちが乗っていく。
そしてホームには、わたしひとりになった。
「ごめんね、お母さん」
約束していた。
次の進学塾の模擬テストで進学基準点を取れなかったら『別のこと』を考える。
お母さんはそう言った。
新しい進学塾に行くのか、家庭教師がつくのか、それとももっと違う事なのか。
わたしは必死に頑張った。
でも、結果として――。
「とれなかった」
鞄のなかに入っている答案をお母さんに見せるのが、嫌だった。
電車がやって来るアナウンスが流れる。
目的の行き先の電車じゃない。
ゆっくりと立ち上がる。
スマホを握る手に力がこもった。
強い決意があったわけじゃない。
ただ、お母さんの言う通りに頑張った。
すごく頑張った。
昔みたいに……成績が良かったころみたいに、楽しく笑って夕飯が食べられる親子に戻りたかっただけ。
「でも、戻れなかった」
わたしは決意する。
「もう、お母さんの言いなりには……ならない!」
猛烈な速度でホームに迫って来る電車のライトをジッと睨んで、その強い風圧に目を瞑る。
暗闇の中で巨大な鉄の塊が轟音とともに走り込んでくる。
ぷしゅー、と扉が開き、人々が降りる。
「さようなら、お母さん」
お母さんの方法じゃないもので、頑張る。
わたしがいいと思ったもので、頑張る。
まだ諦めたわけじゃない。
楽しい夕食を――お母さんの作るおいしいハンバーグを、本当に「おいしい!」と言える世界を取り戻したい。
「だから、ちょっとだけ出かけてくるね」
スマホを握りしめたまま、わたしは電車に乗り込んだ。
行き先は自宅の最寄り駅じゃない。
空港行き――。
自分の考えで、頑張るんだ。
空港行きの電車はすいていて、すぐに座れた。
スマホの設定、プライバシーと進んでアプリ連動のGPS機能をオフにした。
そうして動画サイトを開く。
お気に入りに登録しているチャンネル――『Yamada University』。
高学歴の芸能人が、その学歴を活かして高校受験と大学受験に向けた内容をわかりやすくかみ砕いて教えてくれるチャンネルだ。
わたしはこのチャンネルを登録していて、学校と進学塾の勉強とあわせて活用している。
ちょっとだけ問題範囲から逸脱するときがあるし、内容が間違っているときもあるけれども……話し方も、痩せた塩顔の俳優がわかりやすく教えてくれるところが好き。
受験に向けての心持とか、友達との関係とか、親からのプレッシャーとか、勉強に取り組む姿勢も『解説』してくれる。
日々の勉強がつらくなると……わたしはこのチャンネルを見る。
十四歳の女の子が見るものじゃない、とお母さんは言う。
でも、わたしはこっそりと通学の時間に見て、勉強の集中が切れたときにも見てしまう。
その『Yamada University』が主催する合宿がある。
現役の中学生は参加費が無料で、集合場所に行けば『Yamada Taka』が合宿地に連れて行ってくれる。わたしみたいに勉強で息詰まった子は、ぜひ参加するべきだと力説していた。
海の見える静かな場所に『Yamada Taka』が所有している別荘があるのだとか。
登録者数が三百万人もいるのだから、お金には困っていないのだろう。
わたしは決意した。
お母さんに相談したら、絶対にダメと言われるから……。
貼られていたURLをタップして、グループチャットに入室する。ときどき入室して会話の様子などを見守っていたが……おおむね、成績があがったとか、救われたという声がたくさん聞こえてくる。
わたしみたいに「悩んでいるんです」というアカウントが、数日後には「すごく成績が伸びました!」「定期テスト、イチバンが取れました!」と返答している。
わたしは例に倣って『成績で悩んでいます。今日の夜から、合宿に参加したいです』と打ち込んだ。
合宿の集合日はふた月に一度――。
答案の返却日と『集合日』が重なっていたのは、なにかの『運命』なのかもしれない。
すると『事務局』と書かれたアカウントが、わたしをメンションしてくる。
『ここで皆さんお待ちです。午後九時半までに来れますか?』
時計を見る。行ける。
『行けます』
『お待ちしています。筆記用具と生徒手帳だけ、お持ちください』
『テキストは要りませんか?』
『こちらでご用意しております』
わたしはグッと生唾を飲み込む。
お母さんが勧める進学塾では頑張った。
頑張って、うまくいかなかった。だから『Yamada University』で成功させてやる。
わたしは頑張れる。
もっと成績をあげられる。
お母さんのために。
応援してくれるひと、全員のために……。
「頑張る。頑張る。絶対に、頑張る」
念仏のように唱えながら、わたしは拳をぎゅっと握り続けた。
終点の空港駅から外へ出る。
わたしはそのとき、ちょっとした違和感に襲われた。
電車からたくさんの外国人旅行者が降りて行った。
彼らは駅から空港に繋がる連絡通路を歩いて、ターミナルへと向かう。
てっきり、旅行者と一緒にターミナルへ向かうものだと思っていた。
改札を出て屋外に出ると……そこは薄暗い夜の世界だった。
遠くに空港の灯が見えたが、右を見ても左を見ても暗い闇の荒野が広がっているように思えた。
「ちょっと怖いかも……」
そう思いながら、マップを頼りに『集合場所』を目指す。
そこは大通り沿いなのだが、車通りがまったくなかった。
その一角に、三台の観光バスが停まっていた。
エンジンをかけて停まっていた三台のバスから、ひとりの男性がこちらに気づいた。
タバコを吸っていた彼は、わたしを見るなり軽く手をあげて。
「合宿の参加者?」
「えっ、あ、はい……」
「何歳?」
「えっ、中二です。十四歳……」
すると男性はスマホをスワイプして、なにかを確認して。
「名前と住所と自宅の連絡先、教えてくれる?」
その質問にわたしは答える。
彼はスマホにそれを打ち込んでから。
「あと、両親の名前も教えて。両親の連絡先とかわかる?」
「ええっとお母さんのなら」
「ああ、それでいいよ」
彼は情報を入力してから、パシャっとわたしの顔写真を撮った。
なにか嫌な予感がした。
こんな雑に、誰かに写真を撮られるのは……少し怖い。
「じゃあ一番後ろの、三台目のバスに乗ってくれる?」
そう言われて、わたしは胸がぞくっとした。
「あっ、あの、やっぱりわたし……!!!」
「ああ、怖がらないで。同い年の子たち、結構いるから」
男性はそう言って観光バスの方へ歩いていく。
すべてのバスがドアをあけていて、なかから同世代ぐらいの子たちの談笑する声が聞こえてきた。真っ暗闇の大通りを歩いたせいで、気持ちがざわついていたが……同世代の子たちの声を聞くと『ライバルだ……』という反抗心のようなものが湧いてきた。
「じゃ、ここね」
男に言われて、わたしはバスに乗り込む。
彼の言う通り、バスのなかにはたくさんの学生が乗っていて……女の子が多かった。
わたしは空席に座って「ふぅ……」と息をついた。
そうしてお母さんにメッセージを送る。
『ごめんね、お母さん。わたし、もっと頭がよくなりたいから……ちょっとだけ家出します。でも、心配しないで。必ず勉強できるようになって帰るから』
送信ボタンを押したのに、なんだか少し電波が悪い。通信が少しだけ弱くなっている。
空港のまわりって、そういうものなのかな。
けれども、数秒ののちにメッセージは送信された。
わたしはホッとして、閉め切られたカーテンにこつんと頭を寄せた。
なにか変な匂いが、しっとりとした質感の匂いが、カーテンから漂った。
「なんだろう。消毒液のにおい……?」
おもむろにカーテンに手を伸ばそうとしたとき。
「ねえ」
後ろから声をかけられた。
「あなたも合宿に参加するんでしょ?」
「えっ、ああ、そうだけど」
声をかけてきたのは、どこかで見たことのある制服を着た女の子だった。
眼鏡をかけた色白な子で、ちょっと暗い感じがする。
わたしは周囲をきょろきょろと見てから。
「ここにいるの、みんな合宿の参加者でしょ?」
「だと思う。ていうか、その目的でこんなところまで来たんだよね」
「来たことないところだから、ちょっと怖いっていうか――」
「――ドキドキしてるよね。わたしもなの!」
彼女はそう言って笑った。
その笑みに、ちょっとだけ胸が軽くなって、わたしも肩の力が抜けた。
女の子は言った。
「隣、いっていい?」
「あ、うん。いいよ」
そう言って彼女は学校帰りらしい荷物を持ってとなりの席に移って来た。
「わたしね、草野楓(くさの かえで)っていうの」
「あ、幡ヶ谷心春(はたがや こはる)」
「もしかしてさ、その制服って白鷺女学院?」
「そうだけど……あっ、鳳城女子――!?」
「そーよ。わたしは白鷺を受けたけどダメだったの」
「でも鳳城女子なんだから、同じじゃん」
「同じじゃないし。パパ、めっちゃ怒ったの。女子五院の白鷺に入れないってなんだって。仕方ないじゃん。わたしバカだから」
女子五院の鳳城女子に通っているのに、バカはない。
わたしはホッとして安堵のため息をついた。
「同じなんだね、みんな。わたしも成績があがんなくて困ってて。うち、お母さんが厳しいから」
すると楓は「同じ悩みだね」と一緒に肩を落としてくれた。
わたしは「そうだ」と思い立って、スマホを差し出した。
「連絡先、スカイライン交換しようよ。合宿って三日ぐらいでしょ。だから、そのあとも連絡取ろうよ」
「そうだね。早めに交換しておいた方がいいよね」
わたしは楓と連絡先を交換した。
こんなふうに同世代の子と楽しく話したの、いつぶりだろうか。
そうしている間にも、次から次へと中学生がバスに乗り込んでくる。
男の子も女の子も乗り込んでくる。みんな同じ悩みがあって『Yamada University』の合宿に助けを求めている。
静かだった車内が、次第に打ち解けてきて騒がしくなってきた。
そうしたとき、係の男性と運転手が乗り込んできてバスのドアを閉めた。
「あっ、出発するのかな?」
すると案内係の男性はバスのマイクを使って言った。
「よく聞く。これから移動する。スマホで家族に連絡する。平気、あと三日で帰る。合宿とか書かない。家出、友達の家、先輩のところ、そう書く。それ以外は書かない。勉強頑張る。勉強頑張る。勉強頑張る。そう書く。親、心配させない」
スピーカーから耳を刺すような音量で男は喋った。
楓は少し背を丸めて耳をふさいで。
「えっ、なに? 外国のひと……?」
「――っぽいけど」
同じ肌の色の人だけれども、ちょっと日本人っぽくない。
彼は手を叩いて。
「早くする。連絡する。ほら、早く!」
そう急かした。
それから数秒も経たないうちに、ずんずんと男は歩を進めて、ひとりの女の子の頭を『なにか』で殴りつけた。
痛いっ、なのか「ぎゃあ」なのかわからない短い悲鳴が聞こえて、スマホが通路に転がる。
男はスマホを取り上げて、示すように掲げた。
「この女、嘘ついた。だから、ハンマーで頭を叩く!」
バスの通路に黒い液体が散っていた。
「えっ……」
わたしは思わず固まってしまった。
楓が恐ろし気にわたしを見て「やだ、血……」と口元を手で塞いで呻く。
これ、まずいやつだ。
わたしは反射的にスマホでお母さんにメッセージを入れようと操作した。けれども、メッセージが全然送信されない。見れば、通信が圏外になっている。
男は言う。
「いま、十七人いる。十二人が通信しようとしている。わかる。このバス、圏外。通信ログ、わかる。わたし達、わかる。悪い子、アタマ割る」
アタマ割る、が、アタマ悪に聞こえた。
がくがくと震える。
男は言った。
「お行儀いい子、助かる。長生きする。悪い子、助からない。みんなスマホ出す。全部出す。見せろ! 早くッ!」
そう言ってハンマーを持った外国人は、ひとりずつスマホを取りあげて行く。
そのとき、バスがゆっくりと動き始めた。
前に止まっていた二台は……もういなかった。
* *
浦賀水道を出たリベリア船籍の貨物船が、再び日本の領海(大隈海峡)に入ったところで、海上保安庁の巡視船が行く手を塞いだ。
隣国の廈門(あもい)を目指していた貨物船は、電気機器やプラスチック樹脂を積載していたが……その貨物コンテナにまぎれて、未成年の男女六十名が発見された。
警察は頻発している十代の誘拐に関連する事件と発表し、その主犯が某国のマフィアグループのシンジケートであると見解を述べた。
ここ二年で行方不明となった一万人以上の中高生の捜索は、いまも続いている。
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