宿屋のベッドで完全回復!

宿屋のベッドで完全回復!



 エム医師と出会ったのは、半ば強制的なめぐり合わせのためだった。

 得意先の平山社長が「いや、あんたこそエム医師に診てもらうべきだ。ぜったいに、だ!」と両肩を掴んで訴えてきた。

 ピアノの買い取り業で会社を急成長させた平山社長は鼻息を荒くして言った。


「島田くんの身体を心配してるんだから。もしエム医師に会わないのなら、取引をすべて打ち切ってやる! いいかね、いまからエム医師に電話をするからね。予定の開いている日を言い給え!」


 仕事上でクレームを受けて怒鳴られることはよくあるが、まさか自分の身体を心配して怒鳴られるとは夢にも思っていなかった。

 そうして平山社長の紹介と言うことで江東区の団地の一室で『闇医者』として営業をしているエム医師を訪れたのだ。

 富裕層の経営者が、こんな江東区の団地にやってくるものだろうかと思った。

 室内もタチの悪い診療所風で、こんな場所で行政の許可も取らずに開業している闇医者に、なにをどう信用すればいいのか。



「ああはーん、島田さん。大変にお疲れですね?」


 つるりとハゲたスキンヘッドを掌でぺしぺしと叩いてから、エム医師は得意げに続けた。


「うちはね、睡眠障害のお客様が来るんですよね。なんせ、あっしはね、睡眠障害の専門家ですから」

「つまり、俺は睡眠時無呼吸症候群とか、不眠症だって言いたいんですか?」

「ノンノン、違うね」


 エム医師はそう言ってから、島田の腰のあたりを指さした。


「あんた、防犯用の電気ショッカーを目覚まし代わりに使っているね? そういう使い方は、あんまりよくないよ。車の運転もしない。それはいい判断だ。あんたの場合はまばたきの回数が少ないから、目を閉じるとものすごい眠気に襲われるんでしょうな。無理もない、あんたは寝てなさすぎる。ほかの経営者と同じで、忙しすぎるんだ」


 まるで独裁者の演説のように、右手を下から上に振り上げるようにしてエム医師は主張した。

 反論する余地があればよいのだが、島田はあんぐりと口を開けて、固まってしまった。

 エム医師の言う通り、島田は『ショートスリーパー』を自負するほどに、睡眠をとっていない。

 本当は寝た方がいいという考えはあるのだが、寝なくても平気な身体になった。

 夜に酒を飲み、朝までカラオケで歌い、三十分ほど仮眠をして仕事に出る。

 夕方からは経営者との親睦を深めるために、やれキャバクラだ、やれバーだ、やれスナックだ。休日は早朝からゴルフ、釣り、麻雀、葉巻バーで一杯……。

 数多くの企業の経営コンサルとして働く島田は、会社の状況を知るというよりも社長に気に入られるために『夜の時間』を大切にしていた。

 必然と睡眠時間は削られ、瞼を閉じると強烈な眠気に襲われる。

 だから車ではなくて電車移動に変えたし、タイマー付きの電気ショッカーをへそのわきに張り付けている。これでびりりっと電気が走って目が覚める。電車移動の時によく使うアイテムだ。

 エム医師は言った。


「あんたみたいにね、防犯用の電気ショッカーを目覚まし代わりに使う若い人をよく見るよ。バリバリ働いて、カネを稼ごうと必死なんだ」

「お説教ですか。そんなことを言われても、俺は生活を変えませんよ」

「違う違う。これ、使いんさい」


 そう言ってエム医師はなんの変哲もない枕を引っ張り出してきた。

 昭和的な旅館で出てきそうな枕である。

 そば殻の入っているような質感で、子どものころに祖母の家で出てきた記憶がある。


「こ、これ……枕ですか?」

「宿屋でね、一泊すると全回復するでしょうに。それって枕なんですわ」

「はァ……?」

「あんたも、経験あるでしょうに。宿屋に泊まって完全回復っての」


 意味の分からんことを言い出すひとだ。

 エム医師はにいっと笑って。


「ンまァ、使ってみなさい。あんたが望む睡眠を、枕が与えてくれるから」

「ああ、はぁ……」

「けれどもね。一週間ですよ。来週、またいらっしゃいな。まだ処方が必要なら、さらに追加で一週間分の処方箋を書くから。レンタルの」


 レンタルの処方箋ってなんだよ。

 島田は「わかりました」と気のない返事をして、枕をもらった。

 袋にも入れず、そのまま抱えるようにして電車に乗らなくてはいけなかったので、大変邪魔だったし、良く目立った。

 駅のロッカーに入れて、その日もまた、急成長中の企業の社長と夜のお酒へと旅立った。



 枕を使ったのは木曜日のことだ。

 ロッカーに預けていたことを思い出し、帰りのついでに回収した。

 その日は中古車販売店の社長と午前四時まで飲んだ。

 そうして近くのカプセルホテルに入り、倒れるように眠った。

 ハッと目が覚めたとき、島田は強烈な危機感に苛まれた。

 それは『寝坊した!』という致命的な危機感である。

 電気ショッカーをものともしないほどの熟睡をしてしまったのだろうか。


 とにかく、いま何時だ……!?


 時計を見れば、まだ午前五時前だ。

 電気ショッカーを跳ね返したのではない。まだ所定の時間になっていないので、発動していない。


「なんだ、思い過ごしか……」


 ぼそっと呟いて、胸をなでおろした。

 それにしても、目覚めがいい。

 枕のせいだろうか。

 寝起きがいいことに変わりはないのだが、どこか『いつもの寝起きの良さ』とは違う。

 これは、まるで……。


「休みの日に、午前中のすべてを寝過ごしたみたいだ」


 八時間、十時間、十二時間……。

 好き放題に惰眠を貪って、もう眠れないよ、と身体が目を覚ましたような明瞭さがあった。

 けれども、それは島田の勘違いに過ぎない。

 なぜなら眠ったのは四時過ぎ。そして今は五時前だ。

 時間にして一時間も眠っていない。

 それなのに、このすっきりとした明瞭感はなんだろう……。

 島田はジッと枕を見つめる。

 昭和的なそば殻の枕が、これほどまでに効果がてきめんだというのだろうか。

 エム医師のふざけた声が、脳裏によみがえった。



* *



 寝起きが良いと仕事の進みもよかった。

 事務作業は予定よりも早く終わり、翌週分の事前準備も夕方までに終わってしまった。

 夜の接待も、よく飲めるし、よく食べられる。なおかつ、酔いに対する抵抗力も高まっている。べろんべろんに酔っている社長を尻目に、冷静でいられた。

 その日も、朝の五時まで飲んだ。

 そうしてビジネスホテルで倒れるように眠った。

 あの枕を使って。

 するとどうだろうか。

 翌日も、驚くほどに目覚めがいい。

 やはり休日の日に際限なく眠ったあとのような寝起きの良さがあった。

 島田は枕に触れながら、呟いた。


「宿屋の、枕……。完全回復の、枕って……まさか、ほんとうに?」


 その日も島田は絶好調で、大型契約を二本ほど決めて夕方から飲んだ。

 飲んでからゴルフの打ちっぱなしへ行き、夜の会食をしながら飲み、キャバクラで接待しながら飲み、明け方から麻雀をやった。そのまま寝ずに会社へ行き、午前十一時ごろにトイレへ入り、枕を抱えて目を閉じた。

 十五分ほどの時間を経たが……予想通り、ばっちり眠気が吹き飛んでいる。

 たかだか便所の個室で十五分だけである。

 それなのに、寝起きは最高なのだ。


「こりゃあ……すごいもんだ」


 睡眠から解放された。

 島田は小躍りしながら便所の個室から出て、午後の営業へと出発した。



 快進撃だった。


 完璧な睡眠をとるというのは、人間のパフォーマンスを最大限に引き出してくれる。


 遊びも、仕事も、喋りも、なにもかも……!!!


 営業成績はもともと一位だったが、天井知らずの好成績に。

 得意先の社長たちは「島田くん」「さすが島田くん」という具合で、コンサルティング業での独立も視野に入って来た。

 会社からは役職と大幅な昇給を条件に慰留を求められた。

 よく出入りしていたキャバクラの女性が、どうしても島田と一緒になりたいと交際が始まった。時を同じくして大学時代に一緒だったサークルの女の子と再会し、彼女とも交際を始めた。

 同時に二人の女の子と付き合いながら、複数の企業とコンサルティング業務を進め、また役職者として部下を率いて課の仕事を進めていた。

 金は貯まり、使う時間がなかった。

 眠らずに働き、遊び、飲んだ。

 睡眠から解放されるだけで、人間はここまで順風満帆に生きられるのだ。

 精力も、食欲も、衰えない。

 むしろ若返ったようだ。

 睡眠をしっかりとるのは、これほどまでに大切なことだったのか。

 島田は「ぬはっはっはっ!」と笑いが止まらなかった。

 なにもかもが、うまく行っていた。


 本当に、すべてが順風満帆だった。



* *



 病室に入って来たエム医師は、島田の様子を見て「おやおやァ~」と喉を鳴らした。

 とっくにレンタル期限が切れた枕を抱えて、病室のベッドに島田は横たわっていた。

 看護婦が点滴を取り換え、排せつ物の管の様子を確かめる。


「ぬはっ……ははっ、はははっ……」


 断片的な寝言を放つ島田に、エム医師は「いやはや……」と自らの顎を撫でた。


「一週間と言ったじゃないですか、島田さん。あなたは現実と夢の境目が見えなくなってしまって、夢の世界に行ってしまったのですね」


 うんうん、とエム医師は頷いて。


「でも、夢のなかで生き続けた方がお幸せそうですよ」


 カレンダーは2022年5月からめくられていない。

 彼を見舞いに来た最後の客は、そこで途切れていたのだろう。



 エム医師は肩を寄せる。


「仕事もプライベートも大切ですが、ちゃんと眠らないと自分の居場所がどこかわからなくなってしまうものですね。でも、あんがい居場所を求めなくていい世界の方が、幸せになれる方もいらっしゃるのかもしれませんねえ。島田さん、あなたはどっちの世界で生きたかったんですかァ~?」


 そう言い残して、エム医師は病室を出て……自分の団地へと帰って行った。

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