ねじれのメモ

ねじれのメモ


 格闘家みたいでかっこいいだろう、と旦那は笑って、スキンヘッドの頭をぺしぺしと叩く。

 その頭には手術痕がくっきりと残り、事情を知らない人たちは「えっ」と二度見する。

 旦那はコンプレックスを「格闘家みたいで格好いいだろう」と胸を張って仕事へ行った。大病とは無関係な、そりゃあ大きな『格闘家』のような肉体を持っているが……捨て猫を二匹も拾ってくるような争いごととは無縁の男だ。

 そんな旦那との出会いについて、未だに気になっている事がある。

 わたしは青森県の郊外で生まれて、埼玉県の大学に進学するまでずっと青森弁が世界で唯一の言語だと思っていた。とくに英語という禁忌の言語は近く消滅するべきだと心から願っていた。

 わたしのポケットに奇妙な紙片が入り始めたのは、たしか十四歳ごろのことだ。

 学校から帰ってくるとスカートのポケットに紙片が入っていた。危うく入れたまま洗濯機やらクリーニングに出すところだった。

 その紙片には汚い字で「ねえ、とどいてる?」と書いてあった。

 なんのことやら。

 そもそも、人口の少ない街で……いつ、だれが、わたしのスカートのポケットに、こんな紙切れを入れたのだろうか。

 ぐうっと記憶をたどっても、解決するようなシーンは思い出せなかった。

 それから一か月後に「いま、げんきなの?」と似たような紙片がポケットに入っていた。

 いよいよ、わたしは怖くなって母親に相談した。

 パートから帰ってきて台所で料理を作っていた母親は「バカ言ってんじゃないよ」と取り合ってくれなかった。

 わたしはゴミ箱に紙片を捨てたが、夕食を食べ終えてから紙片を拾って観察してみた。

 メモ紙をちぎったような大きさで、くしゃくしゃになっている。わたしがくしゃくしゃにしたせいもあるが、もともとよれていた。

 筆圧が強いのか、鉛筆の色はひどく濃かった。

 字はそこまでうまくなく、男性の文字だろうと想像できた。

 そもそも、学生の字にしては汚いし――大人の字としては、どこか崩れすぎている。

 子どものいたずらだろうか。

 上から下から、表と裏と観察してみたが、それ以上の事はわからなくて――やはりゴミ箱に捨てた。

 わたしは毎朝ポケットのなかを確認する。

 学校を下校するときにも「よし、入ってない!」と確認して、自転車に乗って帰宅する事が習慣になっていた。

 それでも、あの紙片はふたたびポケットに入っていた。

 今度は奇妙なことに「墾田永年私財法だ。忘れちゃいけない」と書かれていた。

 妙に角ばった字の『墾田永年私財法』で意味が分からなかった。

 なぜ墾田永年私財法を忘れてはいけないのか。そもそも、そんな単語があったなあと記憶すら薄かった。

 わたしは、それよりも一つの事実に気づいた。

 それは『朝、学校へ行くときはポケットにない』こと。

 そして『学校から帰宅するために自転車に乗る前にもポケットにない』ということ。

 つまり学校から自宅に帰る道中で、このメモ紙はポケットに入る。

 そう、入ったのだ。

 出現したのではなく、入ったのだ。入る以外に混入する方法などない。

 あたりまえの事象を理解するまで時間がかかった。

 その日、わたしは再び自転車に跨って学校までの道のりを取って返した。

 特に変わった様子もない、いつもの青森県の景色だ。

 ただ、その途中で自転車を停めた。

 山道にぽっかりと口を開けたくすんだ朱色の大鳥居――。

 鳥居の向こうには獣道のような階段が続いている。

 昔からある地域の氏神様で、自治会で管理をしているが……気軽に参拝するほどきれいな場所ではない。

 わたしは妙な予感とともに「まさかね」と呟いた。

 そんな神がかり的な事があるわけないだろう。

 しかし、その三日後に背筋が凍るような出来事が起こった。

 週明けの朝礼で、同地区で選出された衆議院議員が学校を表敬訪問してきた。

 退屈な全校朝礼が、さらに長いものになって……うんざりだったのだが――。

「律令制の支配が西から広がってきましたが、東北地域ではどの程度の支配力があったかは定かではありません。しかしながら、地域の教育委員会や学者先生の努力のおかげで、我々の地域にも記録の空白が埋められようとしています。その手がかりが、まさに、そうだな、みなさんはなんだと思いますか?」

 ふいに衆議院議員のおっさんが言葉を切り、集中力の切れた生徒たちに不意打ちをかける姑息な大人の特権として「じゃあ、そこの女の子。そう、髪の長い、キミだ」とわたしを指示してきた。

 全校生徒の視線がこちらに集まり、さきほどまで少し私語でざわついていた空気が、静まり返った。

 担任が「福田さん、あなたよ」と小声ながら聞こえる声で問いかけてきた。

 わかるわけがなかった。

 設問も聞いていないし、答えなんて想像もつかなかった。

 けれども、わたしはなにか答えなくちゃいけなくて。


「墾田永年私財法……」


 ぽつりと答えた。

 すると衆議院議員が「んん? ごめん、もう一度、大きな声で」と促してきた。

 もはや、ヤケだった。

「こ、墾田永年私財法です!」

 すると衆議院議員は目を見開いて「おお、素晴らしい! まさに墾田永年私財法です。三世一身法で聖武天皇の時代に――」と話を続けている。

 わたしは胸がバクバクしていた。

 答えられたからじゃない。

 ふいに指名を受けたからでもない。


 ――あの紙片が、なんらかの示唆となったからだ。



 それから、わたしは幾度も神社に参詣した。

 汚くて、気味が悪くて、暖かい日はぶんぶんと虫が飛び回るような場所だった。

 手を合わせたり、綺麗に掃除をしてあげても、紙片が必ず届くというわけではなかった。

 ただ、その神社の前を通り過ぎる際に、あの不思議な紙片は『ポケットの中に混入するらしい』という事は、一年ほどかけて理解した。

 受験を迎えたシーズンに、わたしは幾度も「解答用紙が入ってないかなあ」と毎日ポケットを確かめたものだ。

 断片的な謎のメッセージは続いている。

 今日は暑かった? 雷すごかったよね。家にね、トカゲが出たんだ。

 そう言ったメッセージだ。

 ぜんぜん暑くないし、雷なんて鳴ってないし、トカゲなんてどこにでもいた。

 噛み合っていないが、不思議な紙片はポケットに混入する。

 筆者も、目的も、なにもわからないまま――。



 中学を卒業する間際に、わたしはバスケ部の男子から「付き合ってほしい」と告白を受けた。

 突然の事だったし、想像もしていなかった人からの告白で「ええっ!?」と驚いてしまった。悪い人ではなかったし、付き合ってもよかった。

 ただ「ちょっと考えさせて」と保留にした。

 その日の帰り道に、紙片が入った。


「その男は、よした方がいい」


 なにを根拠に、と思ったが……この紙片の筆者は、わたしをなんらかの方法で見ているのだと思って、仏壇や空を入念に確かめたりした。

 わたしはバカバカしいと思いながら、墾田永年私財法の事もあって――お付き合いを断った。

「後悔するような結果になったら、ホントに許さないから」

 物言わぬ紙片にそう言って、わたしはべこべこになった大切なものを入れる箱に、また紙片を入れた。



 少し、紙片の字が綺麗になった。

 わたしが好むような丸さとシャープさを持ち始めたのは、たぶんこのころからだ。

 志望校が三つあった。紙片は生意気にも「県立A高校は無理だと思う」とか書いてきて、奮起してそこを受けた。意地になって勉強して合格したら「やっぱり頑張って合格したんだね」とか言って来たので、くしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てた。

 憎らしい。

 高校でコースを選択するときも、部活を選ぶときも、なにかにつけて紙片はポケットに入ってきた。そして文句なり意見を言うのだ。

 わたしにとって『ふしぎな紙片』は生活の一部になりつつあった。

 こちらから問いかけることはできない。

 けれども『あちら』はこちらを知っている。

 気味が悪かったが、いくぶん慣れた。

 そうした日常を送り、わたしは埼玉県の看護系の大学に進学した。

 あの神社の前を通らなくなる生活で、すっかり紙片はポケットに入る事がなくなった。

 そもそも学校の制服ではなくなったし、スカートでもなくなったので――。

 大学での時間はあっという間だった。

 そして、わたしは都内にあるとある大学病院に看護師として就職した。



 その子と出会ったのは、その病院でのことだ。



 わたしが就職する少し前に産まれた子どもたち。

 新生児集中治療室に入っていたあの子は、頭部に重篤な障害があった。大きな瘤があり、見るからに健康ではなかった。

 両親は身を寄せ合いながら医師の説明を聞いていた。医師もひどく後ろ向きな、けれども患者家族を失望させない、百点満点の話し方をしていた。

 大学病院に勤めるとこうした患者は少なからずいる。

 先輩に言われて納得したつもりだったが、どことなくつらかった。

 産まれてすぐに死を覚悟しなくちゃいけないのは、どんな気持ちなのだろうか。


 余命は幾日――。


 けれども、その子は生きた。

 入退院を繰り返しながらも、彼は五歳まで生きた。

 六歳の時に再び児童病棟に入院し、わたしは「おーう、久しぶりいー」とハイタッチして元気づけたものだった。

 彼は憔悴していたが、決して悲観的ではなかった。

 勉強に興味を持っていたし、文字の読み書きを病身でありながらもしっかりと積んでいた。


「がっこうにね、いくんだ」


 調子のいい日は、そう言って笑うのだ。

 いつも頭がつるりとしていて、鼻に管、腕に点滴が入った少年だった。

 そんな彼が、奇妙な行動をしていることに気づいたのは……大きな手術を控えた夜の事だった。

 彼は小児病棟の脇に設置されていた紙の箱にゴミを入れていた。

 それはカウンターの上に設置されていた赤いボール紙の箱で、誰かが手作りしたものだった。

 わたしが「こらっ! なにしてんだ」とおどけて声をかけたら、少年は「んひっ!」と肩を震わせた。

 彼は細切れになった紙を握りしめていた。

 そうしてから「手紙、出したんだ」と握りしめていた紙片を見せてくれた。

 最初、わたしはにこにこしながら「どんな手紙?」と小首をかしげたが――その紙片とぐしゃぐしゃな字に、思わず胸がぞくっとした。

 ねえ、届いてる?

 少年が手にしていた紙片は、中学生のわたしのポケットに混入していた、あの紙片と酷似していた。

 カウンターの上に置かれていた赤い箱――。


『時空郵便局』


 クレヨンで銘打たれた、その名前――。

 脇に『みらいのみんなに、てがみを書こう!』と案内が添えられていた。


「だれに、出したの?」


 わたしは声が震えていた。

 少年は「わかんない」と答えながら「ぼくも、だれかを応援したくって」と続けた。

 ふいに、わたしは彼の事を抱きしめていた。

 まだ七歳にもなっていない少年だったが、その身体は思っていたよりもしっかりとしていて病身とは思えない力強さがあった。

 つながったわけじゃない。

 ただ、強い予感と確信があった。



 時空はねじれているのかもしれない。

 あの当時で、わたしはもう三十歳に近かった。

 彼は七歳にもなっていない。

 それでも、わたしは見守られていた。

 彼が生まれる前から、見守られていた。

 だから、わたしは彼がしっかりと生きられるように見守らなくちゃいけないと思った。

 つるりとした頭の旦那は「いやさー、もう来週も出張ってありえないよな」と夕食時にビールを飲んだ。苦そうに飲んで、口元に泡を残す。


「ん、どうしたの?」

「べつに。昔から変わんないなって思って」


 テレビでナイター中継が終わろうとしていた。

 今日もまた終わっていく。

 ねじれた時空の謎はいまもわからないけれども、年の離れたふたりを結ぶには……必要なねじれだったのかもしれない。

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