蜃気楼の答案用紙
蜃気楼の答案用紙
十四歳の中間考査のとき、その『異変』に気づいた。
中学二年生の多感な時期だったので、なんらかの『幻覚』だったのかもしれない。
「あまり詳しくは覚えていないんです、本当に」
宇都宮駅前にあるコーヒーショップで、向こう側に座ったジャーナリストに僕は答えた。
四十代後半のボサボサの髪型の男性は「んあっ、いえーっ、でもね?」と独特な口調で唾液を集めてから言った。
「たいへん重要な事なんです。あなたが『春の死神』に接触した。これが事実なんですから」
僕は顔を振る。
「『春の死神』なんて、いま初めて聞いたし、それがどんな意味合いのものかもよくわからないんです」
「でも、あなたは啓示を受けたんじゃないですか?」
「だから、さっきも言ったじゃないですか。十四歳のころで、多感な時期だった。だから変な夢も見るし、妄想に近い幻聴みたいな、都合のいいことだけを考えていい気分になったり……後藤さんもしたでしょう?」
懸命に反論したつもりだったが、後藤と名乗るジャーナリストは顔を振って「あなたの場合は、違う」と断言する。
後藤はぼさぼさの髪の毛を乱雑にひっかきながら。
「わたしにも、そういう時代はありました。すけべなことに興味が出たり、なんでもないクラスメイトの娘に恋しちゃったり……とにかく十四歳はフロンティアを前にしたような『わくわく』があった事は認めます。ただね、あんたみたいな『神がかり』は誰も経験してない」
彼はコピーをテーブルに置いた。
それは僕の中学時代の学年テストの記録だった。
「一番最初の中間考査のとき、あなたはまぁまぁな成績をとった。これは普通だ。でも、それからずっと……あなたはすべて百点を取り続けている。すべての科目で!」
ごくり、と僕は生唾を飲み込んだ。
ジャーナリストの後藤は「話してくださいよ」と下から覗き込むように言い、肩を寄せる。
「最初と最後のテストだけ、あんたはフツーの成績をとった。ただ、その間の二年間……とんでもない『神がかり』が起こって、超常的なチカラを手に入れた。そのチカラは『春の死神』が与えたものだ。つまり、あなたはなんらかの理由で『春の死神』と接触しうる環境にいたということではないですか?」
断定を続ける後藤の口ぶりに、僕はうんざりだった。
それになにより――。
「超常的なチカラをもらったわけじゃあありません。僕は普通の中学生でした。ただ、後藤さんが言うように、不思議な状態になっていたことは認めます。『春の死神』という存在が関係していたかは、知りませんけど」
「なら、話してください。あなたの身に、なにがあったのか」
たいした話ではない。
僕は中学二年生の最初の中間考査で、答案用紙の裏側に『なにか』を見つけた。
それは消しゴムで消されたような薄い文字のようなものだった。
最初は『わたしを見つけて!』と書かれていた。
いったいぜんたい、なんのことやら。
消しゴムで消したような文字を復活させるため、薄くシャープペンで黒を塗ったりした。するとうっすらとではあるが『わたしを見つけて!』の先が浮かび上がってくる。
彼女は囚われている。
助けてもらいたいから、誰かに思念を飛ばした。
あなたが受け取ってくれたのなら――。
そこで、どう頑張っても読み取れなくなった。
テスト中に怪しげな行為をしていたせいで、先生から「おい、なにしているんだ」と怒られた。答案を取り上げられ「なんで裏を黒く塗ってるんだよ」と指摘され、ちょっと笑いものにされた。
けれども、不思議なことは続いた。
答案が返ってきた。六十点の得点だった。
すると裏面の消えかかった文字も……少しだけ増えていたのだ。
まさか六十点分の文字が浮かんできているのか……?
中学生の僕は短絡的にそう考えた。
こんな不思議な現象に驚かないわけがなかった。けれども、国語も英語も社会も……どの答案の裏にも『彼女』からの助けを求めるメッセージが書かれていた。
数学と英語は壊滅的な点数だったので、ほとんど読み取ることができなかったが、社会と国語は多くを読み取ることができた。
要約すると彼女は思念で助けを求めてきているようだった。
どこに囚われているかは、読めなかった。八十点ほどとれていれば、読めたかもしれない。
僕は妙な気持ちになって自分の机に向き合って……勉強を始めた。
最初は「まさかな」という気持ちが大きかったが、一学期の期末考査を終えて疑念は確信に変わった。
期末考査はすべての教科で百点を取った。
答案用紙の裏に書かれていた『彼女』からのメッセージは多かった。
『世界が破滅してしまうかもしれない。わたしはそのカギを握っているの。だから、捉えられて身動きが取れなくなっちゃってる。キミの名前は青木竜也くんだよね。書いてくれてるから、よくわかるよ。一方的に伝える形になってごめんね。でも、わたしを助けてほしいの』
そうした前置きが国語のテスト、数学のテストの答案にあり、本題が理科のテストの裏に書かれていた。そこには彼女が捉えられていると思われる住所があった。
また重要なのは英語のテストの裏面にあった「質問があれば書いて。答えるから!」という一文である。
一方的なやり取りではなくて、こちらからの声も届く。
この奇妙な現象に疑念はあったが、現実としての事実の方が強く全身を支配していた。
早速、僕は彼女が指示した東京の上野の住所に向かった。
そこはコインロッカーで、なかにはUSBメモリが入っていた。自宅に戻ってパソコンで開いたが、開くことのできない拡張子のファイルがいくつも入っていた。
「なんだよ、見れないじゃんか」
がっかりだった。
あのときの僕にとっては、なかに入っていたファイルの内容よりも……『彼女』の実態をつかむための手がかりが欲しかった。
二学期の中間考査のとき、僕はいち早く答案を書き上げて裏面に手紙を書いた。
「キミの言う通り上野に行った。USBメモリは僕が大切に保管している。質問をしたいんだけど、これは僕の得点に応じてメッセージが届く仕組みなの? どういう仕組みなの? それに名前を教えてよ」
そうした手紙を書きこんだ。
別の答案の裏には「住所を教えて。どこでもいい。助けに行くから!」と宣言した。
この『手紙』の答えは、答案用紙が戻って来るタイミングで明らかになった。
『驚かせてしまってごめんなさい。わたしはキキラ。日本人じゃない名前だけど日本人なの。あなたとは少し違う次元で育ったから、そんな名前なんだけれど……。わたしは東京の調布市にある××丁目×××にいるの。すぐに助けてほしいの』
二学期の中間考査もすべて満点だったので、満足のいくやり取りができた。
彼女の指示に従って調布市の住所に向かうと……そこはすでに空き家になっていた。貸しオフィスらしく、埃っぽいフロアが広がっているだけだったのだ。
後藤はぷくぷくと珈琲を泡立たせてから、じゅずずぅとストローで啜った。
「んで、そのUSBメモリ、まだ持ってますの?」
「持っていますが、お渡しはできません」
「なぜ?」
「あれはキキラから預かったもののうちの一つだからです」
なにか大事なもののように伝えたが、本音を言えば『どこにあるかわからない』が正直な答えだった。後藤から連絡を受けるまで、キキラの事も彼女から託されたたくさんの品物のことも……覚えていなかったのだ。
中学生のときに熱中したガラクタ集め――。
僕にとってキキラから託された品物は、そうしたものばかりだった。
後藤は「ふむぅー」と鼻から息を吹いてから。
「で、あんたは『春の死神』……いいんや、キキラと会った」
「はい、会いました。彼女を助けたんです」
「で、彼女はどうなったんだ?」
「いまでも覚えてますよ。府中の、競馬場の近くの住宅地でした。細かい住所は忘れてしまいましたが、とにかく住宅街の空き家で彼女を見つけました。背の高い、金髪の女の子でした。とても可愛くて、僕と同じ世代でした」
とんとんと後藤は僕の成績が記されているコピーを指で叩きながら。
「彼女との間に、なにがあった?」
「なにがって……」
しばらく僕は俯いて、記憶を探る。
忘れるわけがない。
「キスをしてもらいました。初めて、キスをしたんです。女性と」
「キキラとキスをした?」
「ええ。僕らは多くのメッセージを答案用紙を通じて交わしていました。必ず彼女を助けたいと僕は心に誓っていたし、そのおかげですべての教科は百点が取れました。勉強が苦しくなかったんですよね」
「で、キミはキキラを見つけてキスをした。そのあとは、どうなった。彼女はどこにいる?」
ふるふると僕は顔を振る。
「消えたんです。すうって」
「消えた……?」
「バカみたいですよね。信じてもらえないの、わかってます。でも、僕はキキラと強く抱き合いました。彼女は、ありがとうって言ってキスをしてくれました。長い時間、キスをしていたと思います」
あのときのことを思い起こす。
中学三年生の五月の連休だったと思う。
キキラの柔らかさ、温かさが、目を瞑れば明瞭に思い出すことができる。
それなのに、どうしていままで忘れていたのだろうか。
「彼女は僕に長いキスをしてから、本当に感謝していると言って……すうっと消えたんです。まるですべてが最初から『夢』だったみたいに」
「信じられないな。それは」
「でも、答案用紙にメッセージを書いてやりとりをしていたことだって、ある意味では信じがたいですよ。それに後藤さんは調べているんでしょ? 僕が行った場所とか、時間とか」
すると後藤は「まあね」とクリアファイルに入っている数枚の写真を指ではじくようにぺらぺらとめくった。それは監視カメラの画像であったが……すべて僕がキキラを助けるために訪問した場所のものだった。
そうした場所で僕はキキラから、たくさんのガラクタを受け取った。僕にとっては、なんの価値もない、意味の分からないもの。
「でも、結局は終わったんです。いくら探しても、キキラはいなかった。消えてしまった」
最後のキスを境にして、キキラは消えた。
答案用紙にメッセージは現れなくなり、僕は勉強への意欲を失って『普通の学生』と同じような点数を取るようになった。
中学の成績がよかったせいで、県内の進学校に通うことになって……とてもとても苦労した。
後藤は手のひらで額を擦りながら、顔をしかめた。
「青木さん、いいですか。来週にも品物を受け取りに伺います」
「え、ですから――」
「悪い事は言いません。人生を長く、楽しく生きたいなら、キキラから託されたものをこちらに引き渡してください。そうしなくちゃ、あなたの身になにが起こるか――」
後藤はそれからもしゃべり続けた。
僕の命があぶないと力説してくれた。
けれども、僕は生返事を繰り返すばかりだった。
なぜなら……いまの人生について、あまり悔いはなかった。
出来る事なら、早く店じまいしたかった。
だから、キキラが迎えに来てくれることを切に願った。
あの温かい体温と柔らかさに、また包まれたい、と。
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