第48話 冬の通学路
校門の外に出ると、急に風が変わった。
美穂の髪がふわりと舞って、ふたりのあいだに落ちた午後の光を、ゆっくり切り裂いていった。
その髪の香りが、ほんの一瞬、マフラー越しに僕の頬を撫でた。
帰り道はいつも同じ道なのに、なぜか毎日ちがう表情をしていた。
裸になった欅の枝が、空にひっかかっていた。
落ち葉の色はもう、黄から茶へ、茶から黒へと変わりきっていた。
冬の入口は、誰にも挨拶をしないまま、しれっと通り過ぎていく。
「きょうの小テスト、全然わからなかった」
美穂がそう言って笑うと、僕もつられて笑ってしまった。
たったそれだけで、肺の奥がすこしだけ軽くなった気がした。
「“胎児性タンパク質”って答えた人、クラスにひとりもいなかったらしいよ」
「え、あれ“腫瘍マーカー”のやつでしょ?」
「うん。でもさ、“胎児性”って書かれた瞬間、なんかもう、心が拒否してた」
話題はどうでもいいようなことばかりだった。
テスト、学食のメニュー、廊下で転んだ先生、となりのクラスのうわさ話。
でも、そういう言葉の往復だけが、僕たちの体温を守ってくれていた。
すれ違うクラスメイトは、たいてい無言だった。
目が合っても、すぐに逸らされる。
でも、それがかえって、僕たちのあいだの空気を強くする。
ふたりでだけ理解している会話。ふたりにしか見えない風景。
僕たちは同志なんだ。
そんなものが、通学路の白い歩道に、うっすらと積もっていく。
信号待ちの間、美穂は手袋を外して、スマホを確認した。
何も来ていなかったらしい。すぐに画面を閉じて、またポケットにしまった。
その一連の動作の中に、何もなかったはずの一秒が、どこか痛々しく残った。
「……あのさ」
僕はポケットの中で、手を握ったまま言った。
「いつか、どっか遠くに行きたくなったらさ。僕にも言ってよ」
美穂は、何も言わずに、横顔のままうなずいた。
風にまつげがふるえていた。何かを我慢しているようにも、ただ黙っているようにも見えた。
ふたりの足音が、アスファルトに同じリズムで落ちていた。
その音が、どこか遠くで鳴っている音楽みたいに聞こえた。
会話が止まっても、沈黙は不安じゃなかった。
むしろ、その余白のほうが、僕らの関係をよくあらわしている気がした。
言葉が届く前に、心がふれるような、そんな時間。
季節は冬だったけれど、僕たち2人が並んで歩く影は冬の気温や寂しさを打ち消してくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます