5/8(執筆者:金柑)
翌朝。
「あの、この辺で大きなたぬきの置物を置いてる旅館、知りませんか?」
朝食を運んできてくれた仲居さんに亜希が聞く。今日こそ件の旅館を見つけるべく、亜希のコミュ力も朝から全開である。
「大きなたぬきの置物、ですか……。私は最近越してきたばかりでこのあたりの事情には詳しくないんですけど、女将だったら三代目ですしお力になれるかもしれません。お食事の後にでも受付に来ていただければご対応できると思いますよ」
「ほんとですか!ありがとうございます!」
嬉しい情報に目を輝かせる亜希を見ながら、俊も美味しいご飯を堪能する。旅館の朝ごはんはなぜお茶碗一杯のご飯に対してこんなにもおかずが多いのか、などと旅行あるあるに花を咲かせていたら、あっという間に食べ終わってしまった。
「ぼく」からもらった手紙を携えて亜希と俊は女将のもとに向かう。女将はちょうど俊の母親と同じ世代の姿勢の良い女性で、この辺りの昔のことを知りたいと伝えたところ、快く応接間に通してくれた。
「この手紙を見てほしいんですけど」
通されるなり亜希が開いたのは、何度も何度も読んだあの手紙である。女将は不思議な顔をしながら数回目で読んで、それから穏やかな顔でこちらに向き直った。
「素朴で心のこもったような字をされていますね」
「女将さんもそう思いますか。この手紙、差出人も宛先もわからないんですけど、もし私たちにできることがあるならと思って箱根に来てみたんです。そしたら、私の祖母のことを思い出して。祖母は半年前に亡くなったんですけど、黒たまごが好きで、ずっと祖父に一緒に食べに行きたいって話してたんです。祖父は十一年前に他界したので結局それは叶わず、祖母もそれだけが悔やまれるとよく言っていました。…突拍子もない話ですけど、この手紙を書いたのは祖父なんじゃないかなと思ってて」
女将は静かに亜希の話を聞いている。
「黒たまごを箱根で祖母と食べたかった祖父が書いた手紙だったら嬉しいな、とか。だから祖母が言ってた祖母の友人の経営している旅館に行ってみたくて、何かご存知だったら伺いたいんです。この辺りで大きなたぬきの置物を置いていて、露天風呂があって、『くろたまご』っていうのぼりを立てている旅館、知りませんか?」
女将は少し考えるような素振りで目を閉じ、いくらもしないうちに頷きながら口を開いた。
「亜希さん、それ、うちかもしれません」
俊も亜希も、声も出せず目を見開く。既に一泊している旅館でそんな奇跡があっていいのか。
「私は三代目ですけれど、先代である私の母に、よく箱根に来てくれる友人がいると聞いたことがあります。私も何回かお会いしていました。その頃はうちでも黒たまごを販売していたものですから、のぼりも立っていました。先代もしばらく前に他界しまして、それ以降はその方をお見掛けしなかったんですが……そうですか、もうお会いできないんですね。大きなたぬきの置物は、独特なセンスを持っていた先代の夫、私の父が先代に結婚記念でプレゼントしたものだったんです。今はお仏壇の隣に堂々と陣取っていますよ」
いよいよ本当に、おじいちゃんの書いた手紙なのかもしれない――隣で亜希がそう思っていることが、俊にはよくわかる。
「差し支えなければ、お仏壇にお線香、あげてもいいですか」
亜希の申し出に女将も喜んでくれたようで、二人でお線香を上げる。
「素敵なご縁に感謝いたします。壮大な謎解き、頑張ってくださいね」
女将の言葉に背中を押されるように、俊と亜希は箱根の街に再び繰り出した。
手がかりはあったにせよ、俊は《亜希の祖父説》を推し切れない。
<続>
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