意心電心夢舞台
まさつき
稽古不足と発明品
「あの夢を見たのは、これで9回目だった。夢の中で、僕はいつも暗い森の中にいた。遠くで鳴るぅ音が風の……じゃなくて……えーっとごめん。なんだっけ?」
「『風の音に誘われて』――サタケ君っ、本番明日だよ?」
「マナカちゃん、このセリフむつかしいよう」
「出だしも間違えてるし。『その夢を見たのは、これで9回目。』」
すべてのセリフを頭に入れた、厳しい演出家の少女は小学5年生。
セリフをとちるサタケ少年とは同じ3組のクラスメートである。
秋の学習発表会、つまり学芸会の出し物を、サタケは猛稽古中なのだ。
なんと少年、主演男優であった。助演女優は、演出兼脚本兼のマナカちゃん。
二人は教室に居残り、本番を翌日に控えて仕上げの稽古に励んでいた。
これで稽古は9回目。マナカの描く夢の芝居は、サタケの悪夢になっていた。
だが稽古不足を、幕開けは待ってはくれない。
そうだ閃いたぞと、サタケは得意げに妙案を述べた。
「僕聞いたことあるんだけど。有名な俳優さんも、カンペとかいうもの見ながらお芝居するって」
花みたいに可憐なマナカの顔が、灰皿を投げつけかねない鬼気に染まった。
「カンニングペーパーのことでしょ。ダメだよそんなインチキ」
頭の上に〝プンスカ〟とオノマトペを浮かべそうに、マナカは頬を膨らませる。
「サタケ君、ずっとカンペだけ見てお芝居するつもり? ちゃんと相手役の私を見てくれないと」
どういうわけか、マナカは〝見てくれないと〟と言ったとたんに顔を赤らめた。
これは、芝居の稽古のはずなのに、だ。
サタケたち5年生の学習発表は、自作自演の演劇披露。
5年3組の演目には、『民間伝承に息づく信仰と幻想』という説話集に収録された古い物語が選ばれた。選んだのはもちろん、マナカである。
筋書きは、〝木こりの男が森の女神により夢の世界に誘われ、やがて二人は愛を交わして共に生きる道を選ぶ〟といったもの。
欧州16世紀の作家、A・ヘイルマンが残した著作からの一篇を、文学少女のマナカが子供向けに翻案脚色し、戯曲に仕立てたのである。
登場人物は9人。木こりの男と森の女神の2人。女神の小人従者が7人いた。
舞台美術に大道具小道具、衣装を作るクラスメートもいる。どのクラスも総出で芝居を作るのだ。このちょっとした演劇祭は、小学校の名物行事だった。
それにしてもマナカ嬢、小学5年生の身で20分の戯曲を書き上げたというのだから、大した才能である。さらにヒロイン役も兼ねるとは、まさに八面六臂の大活躍。
難しい脚本を書いたものだと、担任教師は感心半分心配半分であった。だがファンタジックな話を気に入って、生徒たちはマナカを筆頭に皆張り切っている。こうなっては先生、静かに見守るほか術がない。
クラスの皆が一丸となる中で、独り災難を受けたのがサタケ少年だった。ヒロイン役はマナカの指定席であり、もう一つの席には――サタケが指名された。演出家たっての大抜擢である。
「明日本番なんだからっ。セリフしっかり覚えてきてよねっ!」
台本とにらめっこしてセリフを反芻するサタケに、マナカの厳しい指導が飛ぶ。
とたんに背筋をしゃんと伸ばすサタケだが……すぐに、萎れた。
教室に差し込む夕日が陰り始めていた。
さすがにもう遅いからと、二人は稽古場の教室をあとにする。
正門を抜けてしばらく二人で歩くうち、先ほどまでの厳しさはどこへやら。
マナカは黄色い秋桜のような笑顔を浮かべていた。
「明日、がんばろうねっ」と少年に別れを告げて、少女は家へと駆け出した。
§
マナカの背中を見送ると、サタケは家には帰らず寄り道を選んだ。
ユカリ博士が居を構えるトウマ研究所に駆け込んだのだ。
トウマユカリ――マッドで美人すぎる27歳、稀代の女発明家である。
少年にとっては仄かな憧れを抱く、頼りがいのある大切な大人の友達。
ときどき、発明の実験台にされてしまうのが玉にキズではあるけれど。
「博士ーぇ、いるーぅ?」
研究室の扉を開けて声をかけると、工作台の裏側からにょっきりユカリ博士の顔が生えてきた。どうやら、仮眠をとっていたらしい。
「ごめんね、起こしちゃったかな」
「いいや、構わないよ。あら、もうこんな時間……少年、家で夕飯じゃないの?」
「そうなんだけど、博士に相談があって――」
かくかくしかじかこれこれと、サタケは鬼演出家との苦労話を語りだした。
「――明日本番なのにセリフが入らなくて……博士ぇ、なんかいい知恵ない?」
「知恵は無いけど、役に立ちそうな発明品ならあるよ。使ってみる?」
「使う使う! ヘンなモノでも使っちゃうっ」
「ヘンとは失礼な」
助け舟に博士が倉庫の奥から持ち出したのは、奇妙な形のペンダントだった。
凸凹の組み合わせで出来た丸い飾りに、首かけの鎖の輪が2本繋がっている。
ユカリは片方の鎖の輪を自分の首に、もう片方をサタケの首にかけた。
「ちょっと試してみようか」
博士が丸型の真ん中にあるボタンを押すと、装置は緑色の輝きを放った。澄んだ色を保ったまま、丸型は凸と凹の二つに割れる。凸部をサタケが、凹部のペンダントをユカリが首から下げていた。
そうしてなにも言わず、博士が少年の目をじっとみつめると――
「夜はカレーだってお母さん言ってたよ……て、あれれ?」
「これはね、相手の心にあることが読める道具だよ。名づけて『
「読めた読めた。台本読んでるみたいに、字が頭に浮かんだよ」
ほったらかしの試作品だけどね――と若干不穏なことを呟きつつ、博士は二つの首飾りを外して元の丸型に戻し、サタケに手渡した。
「マナカ君は台本を全部暗記してるんでしょ。それなら、彼女の心を読めばサタケ君もセリフを読めるという寸法だね」
「すごいや博士っ!」
少年はペンダントとユカリ博士の手を握り締めて礼を述べてから、喜び勇んで研究室から飛び出した。
「あーっ、それでちょっとこの道具には問題があって――」
大事な説明を加えようとしたときにはもう、サタケの姿は研究所から消えていた。
§
本番当日、ユカリ博士から借り受けた〝意心電心(仮)〟を携えて登校したサタケは、前日までとは打って変わって、はつらつ元気な少年としてマナカの前に現れた。
午前中の上演は1組と2組、サタケたち5年3組は午後1時からの開幕である。
早めの昼食後、楽屋代わりの空き教室で皆が最後の準備にいそしむ中、サタケとマナカはクラスメートお手製の舞台衣装に着替えて打合せを始めた。
「サタケ君、セリフ全部覚えてきた?」
「ばっちりだよ! それにユカリ博士から、いいもの借りてきたんだよねーっ」
ポケットから細い鎖が2本ついた緑色のペンダントを取り出して、マナカの首に片側の鎖をかけた。
マッドで有名な名物博士の名を聞いてマナカは不穏な顔をしていたのだが、ふいにサタケが顔を寄せたものだから目を白黒してしまう。
少年はそんな女子のことなどお構いなし。自分の首にも鎖をかけて装置を起動し、丸型を凸凹に分割した。
少々変わった見た目だが、舞台衣装の小道具のようでもあり違和感はない。
「相手の頭の中を、セリフにして読める発明品を借りてきたんだ。ねえ、台本を思い浮かべてみてよ」
〝頭の中〟と聞いたマナカは少々不安な顔をしながらも、言われたとおり芝居の台本を脳裏で開いてみた。すると――
「これよりお目にかけますは、遥かな昔、遠い世界の物語。太古の精霊が未だ息づく森の奥にて――」
なんとサタケは冒頭の、語り部のセリフまで朗々と読み上げてしまった。
「――その夢を見たのは、これで9回目。夢の中で、僕はいつも暗い森の中にいた。遠くで鳴る風の音に誘われて、森の奥へと歩んでゆく。なぜだろう、誰かに呼ばれている気がしてならない。今度こそ、僕を誘う人の姿が知れるのだろうか?」
淀みのないセリフに、マナカは目を丸くした。口もぽかんと開いてしまう。
「どうだい森の女神様。僕の木こり役、完璧でしょ?」
「そ、そうだね……」
驚きと不安が混じったマナカの気持ちまで読み解いてしまい、サタケは素直に正直な気持ちを告白した。
「ごめんね。道具に頼るの良くないとは思うけど、マナカちゃんが一生懸命なの知ってるし、みんなも頑張ってるから、僕のせいでお芝居台無しにしたくないんだ」
「うん……ありがとう。がんばろうね」
はにかんだ笑顔を、少年少女が交わしあう。
こうして、5年3組上演の『木こりの男と森の女神』は、ついに幕開けを迎えた。
§
マナカ書き下ろしの戯曲の上演は、順調な滑りだしで始まった。
舞台に立ちスポットライトを浴びるサタケを、
装置はセリフと同時に自信と安心も与えたらしい。少年は身振り手振りを交えつつ「その夢を見たのは――」と、堂々と語り始めた。
「――今度こそ、僕を誘う人の姿が知れるのだろうか?」
木こりの男は夢の森を進み、やがて女神が住む泉の元へとたどり着く。
7人の小人を引き連れた森の女神が、舞台に上がった。
胸元にヒスイ色のペンダントを光らせて、青いロングドレスに身を包んだマナカの姿は麗しく、なるほど女神にふさわしい。会場は感嘆の声でどよめいた。
森の女神は、同じく森を愛する木こりの男に恋慕の情を抱いている。そうして夢の中で青年を誘い情愛を交わそうと――といった筋書きであるのだが、さすがにそこは子供向け。マナカもマイルドに脚色しておいた。
ついに出会った木こりと女神、物語はいよいよクライマックスに差し掛かる。
「夢を入り口にして、愛しい貴方を私の元へ招いたのです――」
セリフとはいえ〝愛しい貴方〟と口にして、マナカは芝居であるのに頬を染めた。サタケの芝居も次第に熱を帯び、稽古からは想像できないほど情熱的になっていた。
「夢ではないのです」と、女神が手を差し伸べたところで――木こりは女神の手を、握った。台本には無い芝居だった。
「僕も貴女を、お慕いしておりました」
マナカの手を取ったサタケは、そのまま幼い女神を引き寄せた。
もはや少年は、ただの子役ではなかった。
マナカが伝えきれなかった脚本への思いまでもがすべて、手に取るように読めていた。細やかな演出意図、秘めた情熱、木こり役に託したマナカの淡い想い……それらすべてを、読み解いてしまった――アドリブの指示として。
「森の女神よ、我が愛しき女、どうか僕の妻となって――」
木こりの男は跪き、再び女神の手を取ると、女の揺れる瞳をじっと見つめた。
歓喜に打ち震えて女神の唇がわななくが――実のところは、ただの動揺。
追い打ちをかけて小人たちが、サタケにつられてアドリブで演じ始めた。
「これはめでたい。女神さまと新たな森番様の結婚式だ」
「さあさあ、お二人とも。誓いのキッスを」
やんややんやと囃し立てる。会場も大盛り上がり。固唾を飲んで二人の行く末を見守る中――男の唇が、女神の手の甲にそっと、落ちた。
柔らに触れた感触にマナカは卒倒しそうになる。それをサタケがさっと腰に腕を回して、体を引き寄せ抱きとめた。
とたんに、口笛やら黄色い声援やらで、体育館が埋め尽くされる。
熱い抱擁の場面に、会場は弾けんばかりの大盛況。
大団円を迎えて、マナカの戯曲は幕を降ろした――のだが。
§
「サーターケーく~んっ! どういうことかなーっ?!」
真っ赤な顔をしたままのマナカが、楽屋でサタケに詰め寄った。
ところが少年、いったい何が悪かったのかと、きょとんとしたままである。
「どういうことって、このまま抱きしめられたいとか、いっそ二人で溶け合いたいとか、急にアドリブの指示が出たから僕がんばって……」
サタケの赤裸々な告白を、マナカは腕をぶんぶん振り回して止めに入った。
「やーっめーっもーっ言わないでーっ……て、アドリブ?」
「びっくりしたけど、上手くできて良かったよ。みんな盛り上がってたね」
振り回した拳の行きどころを、マナカは失ってしまった。
あれほど情熱的に振舞っておきながら……サタケは気づかぬままなのだ。
マナカが胸に秘める仄かな想いに。
「そ……そだね。盛り上がって、良かったねー」
「どうしたの、マナカちゃん?」
こうしてマナカの、恋の初舞台は幕を下ろした……。
――て、いやいやいや。
マナカの恋はまだまだこれから。また新たな脚本を書けば、良いのである。
意心電心夢舞台 まさつき @masatsuki
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