第11話 狐に弟子入り

 目が覚めた。


 何が起きたんだっけ。隣を見ると、狐の獣人がいる。耳はぺたんと倒し、まるで叱られた犬のような顔をしていた。視線に気づいたみたいだが、顔を上げようとしない。


 そうだ、胴体が焼き切れたはずだ。腹を見下ろす。そこには白い包帯が丁寧に巻かれていた。まだ僕は生きている。右手もくっついていた。


 ゆっくりと身を起こす。


「……っ」


 ずきりと痛みが腹の奥に広がる。やけどの跡があった。けれど、動けないほどではない。


「まだ、動くでない」


 彼女の声を無視して、僕は土下座する。


「僕を弟子にしてください!」


「な、なんじゃと?」


 目を見開き、困惑した表情を浮かべている。


「僕は弱い。だから気を教えてほしいんです。やりたいことがあって、力が必要なんです」


「だから、あなたに教えてほしいんです」


「妾に、じゃと……?」


 言葉を発してそのまま口を閉ざしてしまった。


 沈黙。


 やがて、彼女はぽつりと口を開く。


「……あの時、なぜお主は止めた?」


「え?」


 思わぬ問いに、僕は顔を上げる。


「妾は、お主が死んでもよいと思うた。それでも……お主は腕を止めた」


「それは」


 声が詰まる。僕はどう生きるか決めたから。だから、したくないことはしないから。なんかえっちな狐を倒したくないと思ったから。


「それは……僕はどう生きるか決めたから、です」


「そうか」


「妾が女じゃからか?」


「そうですね。あまりにも魅力的で、美しいと思ったから」


「たわけ」


 僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「お主がまたここに来れたら、考えてやらんでもない」


「え?」


「気づいておらんのか? 今すぐ元の世界に帰りたいのじゃろう? やり残したことをするために。そんな顔をしておるわ」


 彼女は立ち上がり、軽く伸びをする。


「飯の時間じゃ」


 そう言うと、ちらりと笑った。


 屋敷の中に漂う焦げ臭い匂いは、すでに薄れている。炎はすっかり鎮火され、黒く焦げた柱や障子が散らばっていた。


 ここから青空が見える。そこに浮かぶ太陽が、じりじりと熱を投げかけていた。


 昼だ。

 

 少しの時間が経つと、食事と石を持って来た。

 

 いただきます。お昼ご飯は白米に味噌汁と何かの川魚だった。見守られながら食事を終える。ごちそうさまです、と手を合わせると、石の欠片が付いた首飾りを手渡してきた。


「妾の呪力が込められておる。虚空を彷徨うとも、この場所へ戻って来られるじゃろうて」


 虚空とはなんだろう。ダンジョンの混沌のこと?


「虚空とは世界と世界の境界じゃ。お主がこの地に虚空を通じて降り立ったことは分かっておった」


「お主は星地とつながっておる。じゃから、精神も体も廃れなかったようじゃな」


 人の子にしてはようやりおる、そう言うと、太くしなやかな指先を天に向けた。


 鉤爪が空間を切り裂く。空間そのものを裂き、視界がぐにゃりと歪んだ。そこに現れたのは、かつてダンジョンの崩壊時に見た混沌だった。


「お主なら、いつでもここに来れるじゃろうて」


「また来い。お主が望む時に修行をつけてやるわ」


 話を黙々と聞いていたら、ぽつぽつと頬に冷たいものが落ちた。


 晴れている空から、雨が降ってきた。不思議と胸が締め付けられるような感覚が襲う。


 雨が止むまでここに留まっていれば、きっと誰からも知られずに、現世から切り離される。そんな気がする。


 僕は一度だけ振り返る。


「お主なら元の世界に帰ることができるはずじゃ」


 彼女の表情は読み取れない。狐の顔を見慣れていないから判別ができなかった。


「ありがとうございます」


「また絶対に来ます」


 礼を言い、深く息を吸う。やるべきことは決まった。後は進むのみ。足を踏み出す。


 目の前の混沌へ、僕は迷わず身を投じた。


 どのくらいの時間が経ったんだろうか。いつの間にか閉じていた目を開く。意識に反して動かしていた足を止めた。


 あの総合商業施設の前に立っていた。


「あ」


 探索者ギルドだ。対浸蝕装備で全身を覆った探索者が大勢いた。きっと、崩壊したダンジョンを調査するためだろう。


 一気に気を使って走り抜ける。


「ちょっ、待ってくださいッ!」


 後ろから声がするが気にしない。家があった場所まで全速力で駆け抜けていった。


 息が切れる。胸が焼けつくように苦しい。それと同時に、あることに気がついた。


 僕は気を体内に貯められていない。まるで、穴の空いたバケツだ。流れ込むはずの気が周りに漏れていく。狐との闘いで理解度が上がったからか、わかるようになっていた。


 気を生み出せる体になったことで、モンスター化の心配はないと考えていた。だが、このままこの地にとどまれば——また変異してしまうだろう。


 半壊した家に着いた。瓦礫が散乱し、狼の爪痕が残っている。


「よかった無事だ」


 メモ帳が置いてあったテーブルはまだあった。メモ帳を荷物から探り、手に取る。ページをめくっていく。見覚えのある、ごめんねの文字。


 ただ一瞥し、そっと元の場所に置く。


 手を合わせて今までの感謝と追悼をする。両親の死でも何も変わらず、ただその場に合わせて生きていたニンゲンモドキの自分。そんな自分が今でも嫌いだが、それでも良い。そう思えた。


 家の前に出る。息苦しさは変わらないが、清々しさが胸を満たす。


 さあ、どこから行こうかな。

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