第10話 狐の住処
気づくと歩いていた。森の中にいる。先ほどまでダンジョンの中で戦っていたはずなのに。
ダンジョン崩壊に巻き込まれて生き残った人はいない。崩壊したその先は誰も知らなかった。おそらく、森の中にいるのは混沌が影響しているのだと思う。ダンジョンの壊れた隙間から覗いていた混沌がここに導いたのかもしれない。
そう考えながら、青々とした竹が入り混じる森の中を進む。葉を踏みしめる音だけが静かにでる。獣道を見つけた後は、その道を辿る。この地からは、いまだかつて感じたことのないほどの流れがあふれ出ている。僕の体から作られるようになった流れと同じ、もう一つの何かがすべてを占めている。
いつの間にか屋敷に辿り着いた。誰かが手入れをしているのか、門には草一本も生えてない。息を整え、門に手をかけた。暗くなり始めた景色とは反対に、石畳が続く道を灯篭が照らす。
誘われるように道を進み、屋敷の玄関前に立つ。玄関先の暗がりの中から、音もなく影が現れた。
狐だ。
人の形をした狐の獣人がいる。
玄関に備え付けられた提灯の灯りが点いた。見下ろしながら、妖艶な雰囲気を持つ彼女はゆっくりと口を開ける。
「人の子が何用でここにおるのじゃ?」
狐の長くしゅっとしたマズルには髭がなく、毛が短く整えられている。身長は耳を含めなくても二メートルはありそうな体躯。胸もかなりでかい。毛でそう大きく見えるのか、わからない。
「ここは……どこですか?」
意図せずに、質問に答えずに質問で答えた。彼女は目を細めると、見つめる。まるで咎めるような視線でどこか不安になる。
「ここは宿じゃ。おぬしらがあの世、向こう側、そう呼ぶ異界にここはある」
「泊まるなら対価を頂く。冥貨を持っておるか?」
「冥貨?」
冥貨とは何なのか。とりあえず価値のありそうなものを探る。小さな魔石に、市民カード、お金は持っていない。他になにかないのかな。
「これはなんじゃ?」
肉球がついた大きな手が魔石を取る。短い鉤爪が軽くひっかく。
「それはダンジョンで取れた魔石です。魔物が落とします」
「だんじょん? 今の人の世はこのような物が出るようになったのかの」
「まあ、よい」
背を向けて、建物の中に歩き出す。体毛と同じ、橙色と白色の長髪が揺れる。もふもふなしっぽがこちらに向いた。
「ついてくるがよい」
有無を言わせない彼女に従う。急いで靴を脱ぎ、後ろ姿を追いながら、周りを見渡す。木造の廊下は灯りでぼんやりと照らされている。床板は磨き込まれており、足を踏みしめるたびに微かにきしむ。
「どこで気を習った?」
「気?」
「うむ」
「気ってあの、自然の力とか内功とかのですか?」
「そうじゃ」
「おぬしの体からは気が生まれ出でておる」
このもう一つの力は気だったんだ。今まで気というのは、魔力の別の呼び方だと思っていた。
「一人で、瞑想とかしてたらできるようになりました」
彼女の耳がぴくりと動いた。次の瞬間、赤い炎が目の前に浮かび上がる。
「うわっ」
「狐火じゃ」
流し目でこちらを見つめながら、炎を浮かべる。宙を舞う炎はゆらゆらと揺れた。
僕の体内で湧き上がる力と同じ、けれどもっと練り上げられた気配だった。
「ここじゃ」
そして立ち止まり、障子戸をするりと開ける。畳敷きの床、掛け軸、木の机。伝統的な和室だ。
もう会話する気がないのか、狐の獣人は何も言わずに背を向けた。彼女の姿は、淡い灯りに照らされ、ゆらゆらと影を揺らす。しっぽも、長い髪も、暗がりに溶けるように消えていく。僕は一人、畳の感触を確かめるように足を踏み入れた。
ふと、自分の体に意識を向ける。異形と化していた左腕に触れた。違和感が残っているがもとに戻っている。気を生み出せるようになったことで、ある程度操作できるようだ。戦いになればまた、腕を変異させることもできると思う。
「疲れた」
思えば、激戦があってから休んでもいなかった。力なく畳に腰を下ろし、そのまま仰向けに横たわった。ふわりと香る、い草の青く清々しい匂い。体の力がふっと抜けていく。そうして、いつの間にか眠っていた。
障子から漏れる月明かりで起きた。ちょっと寝たおかげか、倦怠感もない。
喉が渇いた。
違和感。
得体の知れない視線を感じる。嫌な予感を感じ、ぼんやりした思考が研ぎ澄まされる。
思わず障子に手をかける。ひんやりとした木の感触が手の平に伝わる。開けると、廊下のひんやりとした空気が流れ込んできた。
木の床が軋む音が歩くたびに響く。まだ視線を感じる。あやしい気配が背後からずっとついてきていた。
――通りゃんせ、通りゃんせ。
女性の声。
「こーこはどこの、細道じゃ」
「天神さまの、細道じゃ」
廊下を駆け出して、振り切るように走る。冷や汗が止まらない。歌声は耳元にまで迫っていた。
「行きはよいよい」
「帰りはこわい」
耳元で囁く声に振り返った。
「どこへ行くのじゃ?」
囁く声は耳に絡みつき、逃れようとしても離れない。
艶めかしい仕草、細められた瞳、そしてちらりと覗く牙。底知れぬ恐ろしさを感じさせる高位的な存在。闇の中であやしく浮かぶ金色の眼は捕食者のそれだった。
「ここから逃げようとしました。嫌な感じがしたので」
正直に答える。嘘をついても意味がない。
「勘が良いのぉ……」
狐火が浮かぶ。反応する頃には、右手が焼き切れていた。
「ッッあ!」
後ろへ跳ぶ。失われた手からは血もでない。
「おぬしら人のせいで……」
「妾は……人を、どうしても許せん」
怒りと哀しみが混じったような、そんな低い声で語り掛けた。
「お主ら人がおらなければ、斯様に感じることはなかったァ!」
体を裂くように向かってくる狐火をなんとか回避する。
「人に近づいた獣がどうなるか、すでに知っておるのに」
「おぬしを見ていると、人を求める浅ましい自己が嫌になる」
「じゃから。すまぬ、死んでくれ」
「ッッ!」
とっさに身を低くして床を蹴る。障子を蹴破って部屋へ飛び出す。狐火が通り過ぎて熱の余韻が残った。障子が炎に当てられ焼け落ちる。外の夜風がどこかから流れ込む。
違和感。
どこか手加減したような攻撃を避ける。成熟した気の使い手。気のことを何も知らなくてもわかる。彼女は一つの到達点だ。彼女の実力なら僕を即死させることは簡単だったはず。
追ってきた彼女との距離を詰め、接近戦を仕掛ける。だが、蹴りも殴りも全部受け流された。
「弱い」
「ぐっ……!!」
鋭い蹴りが鳩尾に突き刺さる。衝撃が体を貫き、内臓が悲鳴を上げる。気で強化した体でも、内臓が破壊されるほどの威力。
身体がぶっ飛ぶ。
背中が柱に叩きつけられ、さらに障子を突き破って床を転がる。
「く……ぅあ……」
痛みで呼吸が乱れる。砕けた柱の破片があたりに散らばり、障子の残骸が床に転がっていた。燃え盛る旅館で彼女は冷ややかに見下ろす。
それでも立ち上がった。祈るように手を合わせる。片手が足りなくても関係ない。
視界を埋め尽くす炎が目前に迫る。一瞬で体を燃やし尽くす威力の狐火だ。
目を閉じ集中する。この人は何度も狐火を見せてくれた。だからどうすればいいか分かる。
ああ、成った。目の前の到達点に一つ近づいた。
炎が消える。狐火を無力化する効果を目の前の空間に付与した。この付与の力がなんなのかわかってきた気がする。きっとこの力は概念に作用する力だ。
あの時の感覚がよみがえる。世界を断つ斬撃を放てば、きっと倒せる。
金色の眼が驚きに見開かれている。チャンスだ。
「はああッ!!」
力を込め一気に駆け出す。煙を吸いながら一直線に向かう。彼女は構える素振りも見せない。ただ、見つめている。
「っ!」
屋根が崩れて、顔が月明りで照らされる。今にも泣き出しそうな顔だった。
斬撃を放とうとした腕を止めてしまった。
直後、狐火が腹を消し飛ばす。
「あ」
激痛を感じる暇もなく、胴体と足が分かれた。
「なぜじゃ……」
かすかな声。
屋敷は半壊し、まだ熱く燃えていた。黒く染まった夜空に、一つ大きな月が光っている。こんなにも明るくなったのに、視界が暗くなっていく。冷たい感覚が全身を這う。
僕はゆっくりと意識を手放した。
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