33 上級魔法

 ――つまりは、アイリスの実の父親。


(そんな……エルメンライヒ公が? 賢君と名高い、あの……) 


 リリオは横目でアイリスの様子を窺う。

 彼女は、真っ青な顔で目を見開いたまま、立ち尽くしていた。


「ちょっと待てよ、【黑妖】襲来が公爵のせいだとして、どうしてジークフリートは死んだんだよ? ジークフリートの死因が【黑妖】の呪いなら、殺したのは公爵ってことだろ?」

「……」

「おかしくないか? 一年前、俺たちを襲わせたのがレジスタンス殲滅のためなら、公爵は息子であるジークフリートを守りたかったってことだろ。それなのに、その数か月後にはその息子を自分で殺させてる。なんでだ?」


(それは僕も思ってたことだ……矛盾してる、って)


 クラスは、この点の不自然さについてどう思っているのだろう。

 そう思ってリリオはクラスを注視したが――彼は眉を曇らせ、苦々しい声で「わからない」と言った。


「ジークフリートを生かしておくことに、何か不都合が生じたのかもしれないが……この点に関しては、今は理由をはっきりとは言えない」

「そうですか……」


「――つまり、リーゼラで起きたことの流れはこうだ。

 第一に、ジークフリートが次の公爵になることに反対していた者たちが、レジスタンス組織を作った。第二に、それをシシィから聞いていたフェリペが、公都の、おそらくジークフリート側に情報を流した。第三に、それを知った公爵が【黑妖】を動かしレジスタンスを殲滅。加えて憲兵も動かし、残党の一斉検挙を行った」


 今起きている襲撃も、まさに『今度こそ反乱の芽を根絶やしにするため』というわけだ。


「そ、それなら内通者は別にフェリペ先生じゃなくてもいいだろ! 外と交流があるのは先生だけじゃないし、先生は襲撃の時だって必死で怪我人の治療をしてたんだぞ!」

「治療なんてポーズでいくらでもできる。……あの男、検死報告書が少ないことを俺が疑ってるのに気がついていたくせに、『これで全てだ』と言い切った。

 遺体と逮捕者を足した数がこの街の男の数に足りないことを誤魔化したいなら、『丸呑みされたやつもいたので、不明だ』くらい言うだろ。……つまりあいつは、この件で俺に怪しまれようが、どうだってよかったんだ」


 ――だからこそ簡単に検死報告書を渡した。医官見習いなどという主張を信じていたのかもわからない。と、クラスはそう言った。

 むしろ自分たちを動かして、レジスタンス組織を探ろうとしていたと。


「もちろん、外と繋がりを持つ可能性があるフェリペや葬儀屋を、ヴィルが全く警戒していない、ということはさすがにないはずだ。恐らくシシィやアノンに伝える情報はある程度制限をしてたと思う」

「――だからシシィを利用したと言うのですか。子どもを手懐け、その子からもたらされる情報を当てにしたと?」

「ああ。アノンたちは賢いし、情報源にするには十分だ。……あいつ、恐らくシシィを使って残党を誘き出すくらい簡単にやるぞ」


 となれば、やはり、まずい。街は今まさに【黑妖】の襲撃を受けているのだ。

 避難が遅れれば命取りだ。エルメルからの救援にも期待できないのだから――。


「っ、行きましょう師父様!」


 ああ、というクラスの返事を受け、弾かれるように走り出す。アイリスもそれに続いた。梯子を上り、通った道を戻る。

 そして暖炉を潜り、ヴィルの家を飛び出して――異常を悟った。



「ああ……!」



 あちこちから上がる悲鳴と怒号。空には黒い霧を纏った大妖級の【黑妖】が数体。


 かたちは猛禽類のようだが、大きさが尋常ではない。

 街にはすでに破壊の痕があった。寂れた商店街には建物の残骸が散らばり、人の気配はない。目立つ血痕もないので逃げ出すことに成功したのだろう。


「イリー、お前は避難誘導を! 鳥型の【黑妖】が多いみたいだ、上空に注意しながら女子供を優先して地下へ!」

「は、はいっ! 行ってまいります!」

「リリオ、俺は今から怪我人を治療する! お前は急いで診療所へ。フェリペを見つけて捕らえるんだ。無理はするなよ!」

「――はい!」


 

【■■■■■ ■■■‼】



 だが――リリオが走り出そうとしたその刹那、大妖級アークの咆哮。

 魔法にならない、エネルギーそのものの魔力が弾ける。


「きゃああああ! お腹はあ! お腹はダメえ!」


 息を吐く暇もなく、若い女性の悲鳴が耳に届いた。声の方に視線を向け、息を呑む。

 猛禽類型の大妖級が、鉤爪を以て妊婦の腹を引き裂かんとしていたのだ。


「やめろ……!」


 ざっと血の気が引いた。――急いで弓を引き、番えた矢に魔力を込める。

 養成機関の研修では、リリオの魔法では小型の【黑妖】を斃すので精一杯だった。だから、大妖級になど到底届かないかもしれない。――それでも。


(僕がやるんだ。公都の時も、できただろう!)



「【溢れよ汝 うてなに白む うるわしき銀の槍】!」



 無意識のうちに口から放たれたのは、水の――上級魔法の詠唱だった。

 今まで、一度だって発動に成功したことのない。


 しかし放たれた矢は、弦から離れたその瞬間、巨大な水の槍へと変化した。白い飛沫を撒き散らしながら空を裂き、妊婦に爪を突き立てんとしていた猛禽の心臓を貫く。



「でき……た」



 半ば呆然と、霧散していく【黑妖】を見つめる。


 窮地に追い込まれれば、成功するのか。――だとしたらやはり、以前クラスの言っていたように、リリオには、自分の「才能のなさ」に胡坐をかいていた部分があったのだろう。


(けど、なんだか身体が熱い……水魔法だけを放つと、体内で何かの抵抗があるみたいだ)


 今まで気づかなかったが――これまで水魔法がうまく発動しなかったのは、自分の身体の中にある『何か』の反発があったからなのだろうか? 

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