◆第2話:摩天楼の出逢い◆

翌日、ニューヨーク・シンフォニカの音楽ホールは、張り詰めた空気に包まれていた。緊張と不安、そして疑念が渦巻き、かつての調和は霧散していた。


「新しい指揮者だって? しかも、あのバイオリニストが?」

「確かに天才かもしれないが、指揮の経験はあるのか?」

「俺たちの音楽を理解しているのか?」


団員たちの間でささやかれる不満の声がホールに響く。彼らの視線の先、舞台の中央に立つのは黒いロングコートに身を包んだ男——レオナルド・ヴァレンティーノ。その冷たい表情には、一片の迷いもなかった。


「今日から俺が指揮をする。文句があるなら出ていけ」


その冷徹な一言が、静寂を切り裂いた。


場が凍りつく。指揮者としての就任挨拶とは思えない発言に、団員たちの間で怒りが爆発した。


「なんだその言い方は!」

「オーケストラを侮辱するつもりか!」

「俺たちはお前の指揮棒じゃない!」


不満の声が次々と飛び交い、ホール全体がざわめきに包まれる。だが、レオナルドは微動だにせず、冷ややかな視線を団員たちに向けた。


「不満があるなら、ここを去る自由はある」


その言葉には、挑発でもなく、説得でもなく、ただ純然たる事実があった。誰かが怒鳴り返そうとしたその瞬間——


「待って!」


ダリア・フォスターが前に進み出た。その瞳は鋭く、レオナルドを真正面から見据えている。


「あなたにこのオーケストラを導く資格があるの?」


レオナルドの眉がわずかに動いた。


「資格?」彼は低く呟く。「音楽は資格で奏でるものか?」


「そんな理屈が通るわけないわ! 音楽は心で奏でるものよ。ただ力でねじ伏せるものじゃない!」


一瞬、レオナルドの瞳が鋭く光る。


「……なら、証明してやるよ。音楽が何なのかを」


静かにバイオリンケースを開く。弦を張り、弓を手に取る動作に、一切の迷いはなかった。


そして——


弓が弦に触れた瞬間、ホール全体が震えた。


鋭く、哀切な旋律が空間を切り裂く。怒り、憂い、絶望——それらすべてを内包した音が、鋭く研ぎ澄まされた刃のように響き渡る。その音には、言葉では表せない激情があった。団員たちは息を呑む。まるで魂そのものが暴かれるかのような旋律に、誰もが動けなくなっていた。


音が止む。


静寂。


誰もが言葉を失う中、レオナルドは淡々と言い放った。


「これが俺の音楽だ。認められないなら去れ」


凍りついた空気の中、誰一人として動けない。抗議の声を上げていた団員たちも、何かを言おうとしたダリアも、ただその音の余韻に囚われていた。


レオナルド・ヴァレンティーノ——彼はただの天才ではない。


彼の音楽は、悲しみを孕んだ孤独そのものだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る