君は、春のままで

えもやん

第1話 晴れた日に、元カレと。


 春の風が、歩道に落ちた桜の花びらをくるくると舞わせていた。駅前のカフェ、そのテラス席で、私は五年ぶりに元カレと向かい合っていた。


「久しぶり、だよね。全然変わってない」


 そう言って笑った彼の横顔は、あの頃とまるで同じだった。笑うときに少しだけ右の頬が上がる癖も、コーヒーカップを持つ仕草も、懐かしさに胸が締めつけられる。


「そっちは変わったよ。髪、短いの新鮮」


「仕事が忙しくてね、朝が楽な方がよくて」


 お互いの近況を話しながら、私はふと、この再会がどこか夢のように思えていた。連絡を取らなくなってもう何年も経っていたのに、共通の友人の結婚式で偶然再会し、「久しぶりに話さない?」と彼が言った。それだけのことなのに、なぜか私は少し浮足立っていた。


「結婚するって聞いたよ。おめでとう」


 彼の言葉に、私はわずかに微笑んだ。


「ありがとう。まだ先だけどね、来年の春くらい」


「へえ、春か……あの頃も、桜、見に行ったよな」


 あの頃。それは大学四年の春、就職活動の合間にふたりで出かけた、井の頭公園の桜並木のことだった。桜の下で撮った写真は、今でも実家の引き出しに眠っているはずだ。


「懐かしいね。あのとき、花見客に囲まれて座る場所がなかったの、覚えてる?」


「仕方なくベンチの隅にふたりで座ってさ、コンビニのおにぎり食べたよな。あれ、地味にうまかった」


 私たちは、過去の話を笑い合った。もう戻らない時間なのに、思い出だけはきらきらと色あせない。


「でもさ、あの頃って、なんでうまくいかなかったんだろうな」


 彼がふと、そうつぶやいた。私は言葉を探すように、カップを口に運ぶ。


「たぶん……若かったから、かな」


 そう答えると、彼は「だな」と小さく笑った。


 私たちは愛し合っていたけど、不器用だった。未来の形も見えないまま、ただ隣にいるだけで満足していた時期もあったけれど、社会に出て、考え方も、求めるものも変わっていった。ぶつかることが増えて、距離を取るようになり、自然と別れはやってきた。


「でも、あの頃のこと、後悔はしてないよ」


「俺も。むしろ、あの時間があったから、今の自分がある気がする」


 私たちはきっと、通過点だったのだ。誰かと出会い、愛して、離れて、それでも確かに誰かの一部に残っていく。そんな関係だって、悪くない。


 ふと、彼が時計を見て立ち上がった。


「そろそろ行かないと。次の予定があって」


「うん、私も」


 会計を済ませて、店を出る。日差しが少し強くなっていて、私はまぶしそうに目を細めた。駅までの道、並んで歩く時間も、最後になるだろう。


「元気でね」


「お互いにな。幸せになれよ」


 そう言って彼は、改札を通り、振り返らずに歩いていった。


 私はその背中をしばらく見送って、そしてひとつ息を吐いた。


 ――元カレ。もう過去の人。だけど、ちゃんと好きだった人。


 そして私は、新しい日常に、また歩き出す。

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君は、春のままで えもやん @asahi0124

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