第14話【空を越えて】①

 

 



 携帯の音に目を覚ます。

 アルノーはすぐにサイドテーブルの明かりをつけて、携帯に手を付ける。

 深夜三時四十七分。

 どき、とする時間だった。

 それはアルノーが個人事務所の社長として社員を抱える立場だからで、大抵こんな妙な時間に電話があると、社員の絡む事故ではないかと思いが過る。

 仕事上のトラブルや変更もあるだろうし、所属しているカメラマンたちはアルノーと同じように世界中に散って仕事をしている。

 困っている時は、すぐに助けてやらなければならなかった。

 だから携帯にグリフィス・エレーラの名前を見た時、思わずきょとん、としてしまった。

 でも彼も滅多にこんな時間に掛けて来ることはないのだから、不思議な着信であることには変わりないのだが、自分の会社絡みのことかと身構えたアルノーは少しほっとして、携帯に出た。

「はい。……グリフィスさんですか?」


『イーシャさん。本当に、こんな非常識な時間に電話を掛けて申し訳ありません』


 出た所に謝られて、アルノーはすぐに声を和らげた。

 グリフィスの声がいつもよりも小さく、明らかに寝ていると理解していたアルノーの所に掛けて来たのだなということが分かったからだ。

「いえ……少し驚きましたけど、いいんですよ」

 アルノーは笑った。

 自分もグリフィスにはいつも仕事とは関係ない、トロイ絡みのプライベートな頼み事や伝言を頼んでしまうことがある。

『ほんとうにすみません!』

 アルノーは目を瞬かせた。

 グリフィスの必死さを感じたからだ。

「……どうしました? なにか……トロイにあったんですか?」

 一瞬心配そうな声になったアルノーに、『いえ!』と向こうですぐにグリフィスが否定した。

『すみません、トロイさんは大丈夫です。何か事故とか、そういうことではありません』

 ホッとする。

「ああ、よかった……貴方がこんな時間に掛けて来るのは珍しいので、何かあったかと」

『そうですね、申し訳ないです。勘違いさせてしまって』

「いえ、大丈夫ですよ。それで……どうかしましたか?」

『あの……、』

 いつも明瞭に話すべき内容をはきはきと喋るグリフィスらしくなく、彼は口ごもった。

 それでもこんな時間に、もし恋人でなかったら、他人に多大な迷惑を掛けているのだと思ったグリフィスは今更口ごもっても仕方ないと意を決した。

『イーシャさん……今、ドイツにいらっしゃると聞きましたが……』

「はい。ベルリンにいます」


『無理を承知でお願いしたいんです。私は今青島チンタオにいます。トロイさんは自宅に戻りました。ほんの数時間で構いません。トロイさんに会いに来ていただくことは出来ませんか?』


「え?」

『こんな無茶をお願いしておきながらロクな説明も出来ないんですがトロイさんと、貴方の関係を世間に公表するかどうかの話をしていて……。

 それで、……彼は一度きちんと一人で考えたいと自宅に戻ったんです。

 あの……。……すみません。無茶なお願いをしていますね。もし無理なら、電話で構いませんから、トロイさんと少し今から話していただけませんか。

 お願いします』


 トロイは後日、自分がアルノーに話すと言って、グリフィスに仔細を話すことは口止めをした。

 だが、数日後には事務所の話がまとまってしまうかもしれない。

 状況を考えても、ジブリルとアルノーが会う前にトロイと話して欲しかったのだ。

 勝手なことを言っているという自覚はある。

 アルノーの仕事には相手がいる。

 いくら恋人だといって、何もかも叶えてやれるわけじゃない。

「トロイは、公表したいと言ったんですか?」

『……そうしたいような、意志があるようです』

 慎重に答えた。

 分かりましたと数秒後声が聞こえた。

 グリフィスは顔を上げる。


『明日の夜に、クライアントと打ち合わせがあります。これは国際カーグラフィックスの運営スタッフ全員が参加するので、必ず私も出席しなければいけません。それまでに送っていただけるなら、大丈夫です』


「ほ、ほんとうですか?」

 もうほとんど、ダメもとで言ったのだ。

 最悪電話でも構わない。

 今日、トロイと話をしてくれたら。

 あまりにあっさりアルノーが頷いたので、グリフィスの方が戸惑った。

『今からすぐに出る準備をしますから』

「イーシャさん」

 グリフィスは携帯を手にしたまま、頭を下げた。

「本当に、すみません。青島への飛行機は、今すぐこちらで手配します。それに、明日のその打ち合わせまでには責任を持ってうちのチャーター機で送らせていただきますので。

 ご迷惑をおかけします。トロイさんの為に……すみません」

『いえ』

 アルノーの声はあくまでも穏やかだった。

 自分がもし逆の立場なら、仕事と恋愛を一緒にするなと怒って携帯を切っていただろう。


『貴方はいつもトロイのことも、私とトロイの関係のことも、フォローしてくれましたから。貴方が今、私に来てほしいというなら、そうした方がきっといいんです。

 大丈夫、行きますよ』


 グリフィスは心の底からアルノーに感謝した。

 ありがとうございます、と重ねながらもう一度頭を下げた。


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