第11話【君がいない】①
二日後、上海で公演があった。
来月八月から二カ月間で五ヶ国を回り六公演をこなすというサマーライブツアーが始まるが、その先行ライブとして
トロイのライブの特色として歌を歌うというアプローチがある。
彼の曲は歌詞があってもCDにも歌声は入らない。PVだけは歌を入れるが、それはDVDにはなっていないので、いつかPVをまとめたDVDを出してほしいというファンからの要望が圧倒的に多く、十五周年の来年、そういう話も出ている。
トロイ自身はダンスこそに強い思い入れがあるため、歌っても自らをダンサーと称することを好む。
だからこそライブが彼は好きなのだ。
ライブという臨場感の中でしか発揮出来ないパフォーマンスがあり、自分が感じる、ライブでの昂揚感と集中している、というあの実感が、ダンスと歌とを共存させて、どちらもを高めてくれる。
デビューしてから出した二曲ほどはCDでもトロイは歌っていたが、それ以降はライブでしか歌わなくなった。
ライブで、観客の目の前で見せるその場限りのパフォーマンスに、トロイは非常に強いこだわりがあった。
彼にとって『歌』は、まだ日常的な表現方法ではなく、ライブパフォーマンスの一つという明確な線引きがある。
彼は歌手としても素晴らしい歌い手で、自分では日常いつでも歌っているのだが、どうもカメラの前だけで歌うのが苦手らしいのだ。
ほら、カメラの向こうにも貴方の新曲待ってるファンが大勢いますよ、と何度か手を振ってみたことはあるのだが、「お前しか見えない」とかつまらなそうに言って全然乗って来なかった。
だが、グリフィスはトロイ・メドウが最近自分の中に埋もれたままになっていた『言葉』や『歌』を、少しずつ日常的な表現方法へと変えて行っていることを知っていた。
想いを言葉にすることが苦手だった彼が、言葉に表わす楽しさや喜びを感じ始めているのではないかと思う。
最近はそこに誰がいてもいなくても、あまり関係ないようだ。
アルノー・イーシャという存在が彼の中で、しっかりと根が張ったからかもしれない。
想いを込めて歌うようなバラードは特に気が進まないようだったのだが、今回の新曲もドラマタイアップの静かなバラードになったが、これはCDも作ってあっさり収録を終えてしまった。
ドラマが遠距離恋愛をテーマにしているので、それでトロイ自身の事情と重なって、思いを込めやすかったのかなとも思った。
切ない恋愛感情を込めたバラードだったが、彼の中で込めるべき想いも伝えたいものも、はっきりしていたのだろう。
他にもあった仕事の中から、このドラマタイアップの曲を作って歌うことを決めたのはトロイだ。他にも彼好みの仕事はあったから、グリフィスは少し、この仕事を選んだのが意外に思えた。
だが曲作りが始まれば、ああ、そういうことだったのか、と選んだ理由が分かった。
今の自分が一番素直に取り組めるテーマだと彼は分かっていたのだ。
伝えたい、と最近トロイがよく口にする。
アルノーと再会した頃のトロイは、今まで陽気だと思っていた彼のどこにそんな疑う心や躊躇いや、臆病があったのかと思うほどで、何度もグリフィスは「イーシャさんに直接聞けばいいじゃないですか」と言った。
いくらここの父子関係が複雑でも、疑う人を間違えてると思ったからだ。
でも幾度かアルノーを深く傷つけて、愛情を裏切って、トロイは変わったと思う。
今までは、自分が真摯に愛しもしないのに愛情ばかり欲しがっているようにグリフィスには見えた。
それでも今は、アルノーの為に何かをしたいとよく口にするし、俺ももっと自分の気持ちを伝えられるようになりたいと、そんなことも言うようになった。
グリフィスはトロイを見た時、やっとまともな恋愛をするようになったとマネージャーとしてホッとする反面、自分は個人として、たかが恋愛でこんなに人間がいい方向へと変化するだろうか? と思うことがある。
人はそれぞれ違うのだから、羨ましい、とはまた違うのだが……今のトロイはとてもいいなと思うことがある。
初めて会った時からトロイは、それまで踊りになど微塵も興味なかったグリフィスに衝撃を与えるほどのエネルギーを放って踊るダンサーだったが、まだまだ彼の踊りも歌も、表現者として良い方向にどんどん変化しているように見えるのだ。
(……イーシャさんに撮って欲しいな)
舞台の上で息も切らせず踊り続けているトロイを見ながら、グリフィスはふと、そんなことを思った。
アルノーは実は、トロイのライブをあまり生で見たことが無いのだ。
番組をやるようになって、番組内でパフォーマンスをするトロイを撮るようになったが、多忙で時間が取れないことが一番の理由にせよ、やはり他の鬱陶しい理由でもライブ会場に行くのは控えているのだ。
彼が一番最近でライブを観客席から見たのは、四年前だ。
トロイが父親とアルノーの仲を疑い、急に彼との仕事を投げ出したことで、あらぬ憶測を呼び、音楽業界で大きな力を持つ【
その間彼は本来専門であるスポーツフォトグラファーとしての仕事に専念し成功を収めたが、それはアルノーの実力と努力があってのことだ。
アルノーは自分の仕事ぶりをトロイが気に入らなかったから、仕事を断られたと誤解していたから、グリフィスは貴方は父子のいざこざに巻き込まれただけだと真実を伝えた。
あの時は、グリフィスが謝り倒して、どうかライブを見に来てほしいと頼み込んだのだ。
……瞬きをするのも忘れて、瞳から涙を零していたアルノーの横顔が、グリフィスは今でも忘れられない。
こんな素晴らしい人がトロイを撮りたいと、思ってくれていたのに。
恋愛の臆病や誤解で、それが出来なくなった。
アルノーを裏切ったのはひたすらトロイだったので、グリフィスはそれ以上のことはアルノーには要求できなかった。
またいつか再びトロイを撮りたいと思うようになってくれれば、と思ってその時は別れた。
あれから四年。
番組は楽しいが、楽しいだけじゃない、全身全霊でライブに挑むトロイ・メドウをアルノーに見てほしいし、彼に撮って欲しかった。
【
その中で、もしかしたらいい機会があるかもしれない。
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