第6話【星空の下で】②



「やっぱり独立の話だったんですね」



 グリフィスとバリーには相談をしても構わないとアルノーから許可を貰ったので、二日間の休暇明け、重慶じゅうけいの本社に戻ると、トロイはくれぐれもここだけの話にするよう十分釘を刺した上で、二人に話した。


「なるほどねえ。

 北欧で、ジブリル・フォラントがそんなプロジェクトを考えて、すでに動き出してたなんて全く知らなかった。

 あいつ意外と行動力侮れねえな」


 バリーがいつものように社長室のテーブルにどん、と両脚を上げて、椅子に悠々と体重を預けながら言った。

 彼の座る椅子の背もたれの上に、ハリスホークが留まってじっとしている。

「ちょっと面白そうだとか思っちまった自分が許せねえぜ」

 言いながらも、バリーは楽しそうだ。

「それで……イーシャさんは移籍には前向きなんですね」

「アルの事務所にも大きな還元があるからな」


「まあそうだろうな。あいつはデカい賞獲った直後だし、普通のタレントを売ることを第一に考えるような事務所なら、諭してでも数年常任指揮者やってくれって頼み込むぜ。

 その方が利益もあるし、集客も見込める。その他にだって取材の収入も来るからな。

 それをあっさりノルウェーの田舎に引っ込めさせるあたり【ZODIAC INVREAゾディアック・インヴレア】のあの女総帥もなかなか肝が据わってんじゃねえか。確かに相当強固な絆で結びついてんだろう。

 それに、ジブリル本人も大きい。

 あいつは今回の賞も、今までの賞の価値と何ら区別してないんだ。

 史上三人目の二度受賞とか騒がれてるが、あいつなら十分今度は二十年後に史上初の三度受賞なんてやってのけそうな感じするぜ。

 ああいう人間が、自分のやりたいことをやり始めたら強い」


 バリーがトロイを見てそれを言うと、彼は明らかに、表情を強張らせた。

「変な挑発しないでください。ジブリルさんはジブリルさん、トロイさんはトロイさんです。同じことをする必要はないんです」

 グリフィスがバリーを注意した。

 だがバリー・ゴールドは悠然としてる。


「当たり前だ。同じことなんかする必要ねえよ。けど同じ規模のことはしないと差は付くぞ、トロイ。

 親父はこの十年で、サンアゼールのプロジェクトを完成させて、満を持して表舞台に戻って常任指揮者にでもなって、またデカい賞をきっと取るぞ。

 お前はこの十年をどう過ごす?」


「十年……」

 少し腹を立てるような顔をしていたトロイが、不意に表情を緩めた。

 彼は本当に、指摘された時間を噛み締めたようだった。

 トロイは決して、無計画に今まで来たわけではない。

 会社と意思疎通を取りながら、支えられつつ、数年先のイベントを見据えて活動を続けているし、彼のアーティストとしてのアイディアや意欲が枯れることはない。 

 好奇心も旺盛で、新しいチャレンジにもいつも試みている。

 今までがそうだったように、トロイはこれからもそうするのだ。

 それも、大きな価値あるチャレンジなのだから。

 ……だがその時微かにトロイの表情が曇ったのは、アルノーの顔が過ったからだ。


(十年後、あいつと俺ってどうなってるんだろう)


 今のように、一緒に仕事が出来ているだろうか?

 アルノーはサンアゼール・プロジェクトには非常に前向きなのだ。

 きっと参加するだろう。

 つまりこのプロジェクトの成功は、彼にとっても成功になる。

 ジブリルとの結びつきも、この仕事を経て一段と強固になるだろう。

 自分にもアルノーとの番組があるが、それが十年後まで続いているとは、さすがに思えない。

 ……新しい仕事をして、アルノーは十年後も自分の側にいてくれてるだろうか?


(アルとは何度も、これきりなるかもしれないってことがあった)


 自分の心の弱さが原因でトロイがアルノーを遠ざけようとしたからだ。

 

(でもあいつの方が、そういう俺を許してくれて)


 側を離れないでいてくれた。

 だからアルノーとはきっと、ずっと友情は続いて行くだろうけど。

 普通ならその確信があれば十分だ。

 ずっと友情が続いて行くと確信出来る友人がいることは、素晴らしいことだ。

 でもアルノー・イーシャとはそれだけじゃない。

 愛情の行方がある。

 彼とはずっと友人だろうが、十年後、愛も同じように側にあるだろうか?

 友情の方は必ずあるはずだと思えたのに、何故か愛情の方は自信がなかった。

 アルノーはいつも、自分を愛してくれるから、問題はトロイ自身にあるのだ。


(やっぱり親父のことを気にしてんのかな、おれは……)


 そんな風に考えると自分に腹が立つ。

 元々は自分がジブリル・フォラントの息子だと知ったら、自分より父親に惹かれる人間なんじゃないかと疑って、わざと父親にアルノーを引き合わせたのはトロイ自身だった。

 それでもアルノーは出会ってから一度もジブリルを引き合いに出して、トロイと比べたりしたことはない青年なのに。


(まだなんか不安なのかよ)


 自分が嫌になる。


 ジブリル・フォラントはこれからも世界にとって、大きな意味を持って行く。


 サンアゼール・プロジェクトを聞いた時、トロイは胸が躍った。

 美しい北欧の小さな町を、音楽の都にする。

 壮大なプロジェクトだ。

 もし成功したら、その都はきっと百年、二百年と残って行くのだろう。

 音楽家としてもとても意義のあることだ。

 アルノーもだから、賛同したのだろう。

 トロイは毎日に充実感を感じてる。

 彼も幾つもの賞を若くして取っているし、音楽家として名は残せる。


(結局自分の曲を作って、踊って、歌うしかないんだ。そうやって行く一つ一つが、きっと自分の生きて来た道になるから)


 自分に言い聞かせても、どこか胸がモヤモヤとする。

 強がりではないのかと自分を疑う。


(バカみたいだ。俺は、まだアルの心が離れて行くんじゃないかって思ってんだ。

 十年後、俺とは友情、愛情はあいつに向けられてたらって、そんなことを不安に思ってる。

 まだ起きてないことを、

 起きるかすら分からないことを)


 でも今までと違うのは、アルノーの心変わりを恐れてそう思うんじゃない。

 アルノーが気の迷いじゃなくて、あの真っ直ぐな瞳で、ジブリル・フォラントは素晴らしい才能を持つ人だと、そう結論付けてあの人を愛したいと言われるのが怖いのだ。

 アルノー・イーシャは、側にいる人間に、影響を及ぼす才能がある。

 彼自身が誠実に人と向き合うのもあるが、アルノーは人の誠実を引き出す才もある。

 実際、トロイはこの歳になるまで父親であるジブリル・フォラントのことが全くよく分からない存在だったが、アルノーを通して見るジブリルという男が、どういう人間なのかは、少しずつ分かって来た。

 彼自身、無自覚に他者を圧倒し、挫けさせる才能を持っていたから、長い間彼は他人の影響を受けず、若い頃のままだった。

 アルノーの才は、ジブリルを前にしても食われることが無い。

 むしろ彼と触れ合うことで、ジブリルが変化しているとトロイには感じられた。


(このままアルの側にいたら、あいつももっと変わっていくかもしれない。

 俺がアルの側にいて、変わったように)


 今現在も、そうなのだ。

 サンアゼールの音楽院の話は、正直トロイは驚いた。

 ジブリル・フォラントという男は、自分の子供にさえ無頓着な所があって、彼が未熟な後進を育てる意欲がある、とは思ったことが無かったからだ。

 だがアルノーの話では、音楽院には自分も活動として携わりたいと言っていたらしいし、むしろ若手を育てることも、興味ある試みとして考えているようだった。


(アルが、あいつを変えたんだ)


 トロイには確信があった。

 若い才能に魅力を感じ、自分の手で育ててみようと、あの男に思わせるだけの何かを。


 十年後。


 ジブリル・フォラントはどんな男になっているのかが、トロイは計り知れない。

 自分は何となく、想像が出来る。

 だから不安なのだ。


「トロイさん?」


 廊下を歩いていたトロイはハッとして足を止めた。

 振り返るとグリフィスが立っている。

「話、聞いてました?

 明日の打ち合わせはバンドメンバー全員で取材も兼ねて。

 香港のホテルに変更になりましたから」

「あ……。うん。分かった」

「……大丈夫ですか? ……プロジェクト参加はイーシャさんは前向きかも知れませんが、事務所移籍するとは決まったわけじゃありませんし。あまり気にしない方がいいと思いますよ」

「?」

「いえ……移籍の話した時、顔が強張ってましたから」

 トロイは自分の頬を両手で解した。

「そうか? 別に……そういうんじゃない」

「そうですか?」

 トロイは両腕を組んで、廊下の壁に少し背を凭れかけさせた。

「……いや。ほんとに。

 移籍がどうのとかじゃなくて……ホントにあいつ、俺と同い年なのに、自分より年上の社員たち抱えて、そいつらのことも考えてやらなきゃなんなくて、……。

 正直事務所のこと、聞いたの、この前が初めてだったんだ。互いの仕事の話はしても、会社の話はしたことなかった。

 きっとずっと、悩んでたのにさ。

 力になってやれてなかったな、と思って。

 移籍はホントに、いい話だとアルも言ってたし、俺もそう思ってるよ」


「本当ですか?」

「うん。あいつの負担が減るのが一番だけど、親父はああ見えて、アルのことは本当に買ってるし、いい待遇で迎えてくれるだろうってことは信じられるからな」

 グリフィスは一応、頷いた。

「そうですね。それは間違いないと思います」

「うん。だから移籍のことは気にしてない。アルが一番自分にとっても会社にとってもいいと思うことを選べばいいと思う。」


「……サンアゼールのプロジェクトについてはどうですか?」


 トロイは笑った。


「面白そうって正直思ったよ」


 グリフィスはトロイの顔をじっと見た。

 トロイは非常に分かりやすい性格をしているので、強がりは顔に出る。

 それを見極めようとしたが、確かにトロイはやせ我慢をしているようには思えなかった。

「だって一つの寂れた小さな町が、これからどんどん変わっていくんだぜ?

 音楽を愛する人間達が集って作って行く町になるって、想像するとわくわくするだろ」

「確かに、そうですね。

 それに、ジブリルさんがそういうことを考えてるとは思いもしませんでした」

「別に親父じゃない、他の誰かが立ち上げたプロジェクトでも、そう思ったよ」

「なら、イーシャさんがプロジェクトに参加することも……」

「当然応援する。アル、北欧初めてだって言ってたな。わくわくしてるみたいでなんか可愛かった」

 グリフィスはきょとんとした顔をした。

「私に惚気ないでくださいよっていつも言ってるでしょ」

 トロイが吹き出す。

「わり。ただホントにワクワクしてるアルって可愛いんだ。

 前にアフリカ初めて行った時も、戻って来た時に写真いっぱい見せてくれた。

 それにあいつって単純に街を撮るよりも、その街で過ごす人たちにとっての、景色を撮ったりするのが好きだから、今回のプロジェクトは合ってる」

「そうですね。確かに前に出した教会の写真集もそういったテーマでしたから」


「おれ、アルのそういう所一番好きだ。人間が好きな所っていうか、人間の魅力をいつも探してて、見つけてくれるところ」


 グリフィスはトロイを見て、頷いた。

 確かに彼は大丈夫だと思ったのだ。

 それに別に、今回は、一昨年のようにジブリル・フォラントの世界ツアーにアルノーが付きっきりで滅多に会えなくなるとかではないのだ。

 番組も始まる。

「グフィ、今度番組打ち合わせでアルに会ったら、ちょっと事務所のこととかどんな具合か、話聞いてあげてくれよ」

「私ですか? でも……私は別に経営のプロではないですよ」

「それは分かるけど、お前って何でもちゃんと考えてるから、話聞いてもらうと落ち着くんだよ。アルだって自分で答え出せない奴じゃない。でも誰かの意見聞いてみたい時だってあるだろ」

「それは……ありがとうございます。聡明なイーシャさんに私の意見が必要だとは思いませんが、押し付けがましくない程度に話を聞いてみます」

「うん。ありがとう。なんだっけ? 明日、香港のホテルとか言ってた?」

「はい。迎えの車は手配しますけど、一応変更ですので、事務所ではなく直接空港に。他のメンバーも来ますので」

「分かった」

 トロイは新曲の口笛を吹きつつ、明るい空気で去って行った。

 残されたグリフィスは指先で自分の頬を少し擦った。


「……私の考えすぎだったかな」


 物事をあまりポジティブに考えないのは、自分でも自分の短所だと思っているのだが、まあマネージャー業では細心の注意を払っておくことに損はない、と開き直っているが、あまり自分が細かいことばかり気にして、トロイの気に障るようなことになってもダメである。

 この件はトロイとアルノーの意思疎通がきちんと出来ているのだ。

 あまり深く考えるのはやめよう、と彼は自分に言い聞かせた。


     

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