第5話 パトロン


「それで、弟さんは喜んでくれた?」


 翌日の昼、ハルプモント座に行くと、ノアが声をかけてきた。


「あ……はい! それはもう! マジでありがとうございました……!」


 もちろん、ベンが「あれは妖精のダンスじゃない」とか何とか言ったことは、言わないでおこう。ノアには、本当に迷惑をかけてしまった。


 でも、ベンがまるで俺たちの舞台に感動しなかったかといえば、そういうわけでもなかったみたいで、今日、俺を見送ってくれたベンの目は、いつもに増してキラキラしていたように見えた。


「そうだ、さっき、座長さんがサーシャのこと呼んでたよ」

「え、座長が……?」

「うん、座長さんの部屋で待ってるって」


 何だろう……怒られるのか? やっぱり、昨日は無理なことを言って演目を変えてもらったし……


「どんな用事だか、分かる……?」

「うーん、僕も予想はつかないけど……少なくとも、悪い話じゃなさそうだったよ」


 悪い話じゃない?

 ……ますます分からない。


 怯えていても仕方がないので、俺は早々に座長の部屋に向かってノックをした。


「アレクサンダーか? 入れ」


 しかし、その声を聞いて、一気に威勢がしぼむ。

 座長が俺のことを本名で呼ぶのは大抵、何か改まった話があるときだ。


「失礼します……」


 俺はちょっと緊張しながら、扉を開けた。

 座長が俺の方をジロリと見る。


「……それで? 昨日は、弟は喜んだのか」

「は、はい! 本当に、ご迷惑おかけしました!」


 頭を下げると、座長が「ふむ……」と呟くのが聞こえる。


 まさか、ベンのことを聞くためだけに呼び出されたわけではないだろう。

 いったい、何の話が始まるんだ……?


 ふと顔を上げると、机の上に真っ赤な薔薇の花束があるのが目に入った。

 あれだけ立派なら、ノアや、そこら辺のお兄さんたち宛てのものだろうか。いや、それにしては、まだ持ち帰られていないのはおかしいな。座長の部屋にあるということは、ハルプモント座宛てに贈られた花束なのだろうか。


「……本当は昨日の夜、少し残ってもらって話しておくべきだったんだが、仕方ない。弟と一緒に帰らなくてはいけなかったようだからな……」

「……というと……?」


「あそこの花束、あれはお前宛てだ」

「俺ですか⁉」


 びっくりして、思わず大きな声が出てしまった。


 もちろん俺とて、ハルプモント座の二番手だ。花束なんて何回も貰ったことがある。

 ただ、ここまで立派な花束は、なかなかお目にかからない。


 しかも、驚きはそれだけではなかった。


「マイヤー夫人という方にお前の家の話をしたところ、いたく同情してくれたようでな。お前のパトロンになってくれるそうだ」

「パトロンに⁉」


 ノアにもついている、いわば出資者。

 チケット代以上のお金を与えてくれる人。


「当然、いくらかはこちらで差し引くが……給料は上がると思ってもらってかまわん。先方と話し合いつつ、細かいことはおいおい決めていこう」


 ——しばらく、言葉が出なかった。


 まさか、華のない自分が誰かに見てもらえて……パトロンになろうというお金持ちが現れてくれるなんて、思ってもいなかった。


 正直、どれくらい生活が変わるかは、まだ分からない。座長だってがめついから、相当な額を差し引いてくることだろう。

 それでもベンとの生活は、間違いなく今より楽になっていくはずだ。



 ——俺は、この瞬間を待ち望んでいたのだと気づいた。

 夢見ていたと言ってもかまわない。

 自分の努力が、認められる瞬間を。



 夢は、夢のままじゃない。

 おとぎ話は、おとぎ話じゃない。



「……おい、言うことは言ったから、さっさと練習に戻れよ」


 放心状態の俺を見かねた座長が、しびれを切らしたように声をかける。


 立ち上がっても、まだぼんやりしている俺を見て、彼はフンと鼻を鳴らした。


「……良かったな」




 今晩も、森のどこかで妖精たちがダンスを踊っている。

 人間には真似のできない、幻想的な舞。どんな楽器でも再現できない、至上の調べ。


 それを目撃する人間が、時々現れる。

 おとぎ話が現実になる、その光景を。

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妖精のダンス【KAC20253】 海音まひる @mahiru_1221

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