根津の最後の言葉
何の道具もなく咄嗟にできることなど大量にある雪をぶつけることくらいだ。ばあちゃんも俺も、無我夢中で手に触れた物を投げつけたんだ。それしかできなかった。
熊崎は子供の頃から雪鬼を追い払う方法を大人たちから自然と教わっていたに違いない。雪合戦と言う形で南出身の子供たちは身につけていったのだ。北の風習で南天を玄関に置いていたように、南は玄関に柊を置いていたのだろう。最後の手段として柊を入れた雪玉で追い払う必要があるのだ。
思い浮かんだキーワードと熊崎の言動からこれしか思いつかなかった。ポケットに入れていた柊を、雪まみれで中に投げ込まれた濱田からこっそり集めた雪で包んで投げた。
しかし根津は運動能力が恐ろしいほどに高い。ジャンプだけで屋根に上れるのだ。外した時用に、すぐ見つけられるよう柊を少しだけ見えるように包んで思い切り固めて投げた。案の定避けられたがそれを見ていた赤星と津田に目で合図を送ると、二人とも頷いて雪玉を投げつけたのだ。
おそらく柊を入れなければ本当の効果はない。ばあちゃんと俺、雪玉をくらってこうして俺の前にまた姿を見せた。ただの雪玉はダメージは大きくてもトドメは刺せないんだ。二人が雪玉で応戦してくれている間に柊が見えた雪を見つけ、今度こそ根津に当てることができた。
はあはあと激しい息を繰り返し苦しむ根津。どんどん衰弱していっているのがわかる。それでもわずかに残った気力なのだろう、震える手で俺のほうに手を伸ばす。その表情は殺意に満ちていた。
「こんな事しても、熊崎たちが生き返るわけじゃないけどな。このまま死ね、バケモノ」
俺の言葉にピタリと根津の手が止まった。そしてボロボロと雪と化して崩れていく。そうか、雪鬼は「鬼」だけどやはり「雪」なのだ。どういう原理なのか、服ごと雪となっていく根津は。
「あはは」
嗤った。本当におかしそうだ。
「そっかあ、そういうこと。なるほどどおりで……ねえ牧瀬君? 一つ教えてあげるよ」
「うるさい、お前の言葉なんて聞かない」
「くくっ じゃあ独り言ね。僕はねえ」
最後の言葉を残すと、根津はすべて雪となった。少しだけ吹いた風に散らされてあっという間にその場から消えてしまう。疲れきった様子の赤星と津田がやってきて、やったな、と声をかけてくる。俺は小さく頷き、全員ぺたりとその場に座りこんだ。
長い一日が、ようやく終わる。
急いで濱田の止血をしている時に警察が来た。停電の影響で大混乱となったがようやくこの宿に来てくれたのだ。しかも大量に人が死んでいて、俺たちはしばらく事情聴取で警察署にいた。もちろん根津の事を正直に話すわけにはいかないから、頭のイカレた殺人鬼が今もうろついていると怯えた演技で伝えた。見つからなかった旅館の人はすべて庭園の一角に隠されていたらしい。どの人も凍死していたそうだ。
警察も要領を得ない俺たちの話に困り、どうしようかという雰囲気を見せ始めた頃突然釈放された。一日ぶりに会った赤星と津田を見て、俺は情けない事にその場で泣き崩れた。安心したのだ。昔のこともようやく乗り越えた。二人はよく頑張ったと声をかけてくれた。終わった、本当に終わったのだ。
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