本当の伝説は違う
「これじゃいつ助けが来るか分からないな」
津田が苦虫を噛み潰したように言った。赤星も電話を終えて小さく首を振ったので似たような対応だったのだろう。すっかり脅えてしまった濱田には熊崎がつきっきりで面倒を見ている。
「これからどうする」
津田が真剣な顔で言う。正直それは俺も判断に困っていた。どうにかしたいが、どうにもできない。
「今俺たちにできることはこれが精一杯だ。助けを待つしかない」
まさか数日助けがこないことはないだろう。今日一日、最悪明日までしのげばなんとかなる。……なんとかなるのを許すとは思えないが、「奴」は。
「……根津が来たら?」
黙っていた濱田がポツリと言った。その顔は不安そうだ。
「殺すつもりでなんとかするしかないだろ」
赤星が冷静に言うとあたりを見回して何かを探し始める。
「何してるんだ」
「湯わかせるようなもん」
「湯……あ、そっか」
俺と津田が納得して目の届く範囲で入れ物を探した。廊下に飾ってある小さな植木鉢をひっくり返して中身を出し、底に穴が開いていないのを確認してからそれを持って赤星たちに見せる。
「いいんじゃないか」
「俺は花瓶見つけた」
「ねえ、何してるの?」
てきとうな器に、近くにあったスタッフルームのポットからぬるくなったお湯を入れ始めた俺たちの行動を不思議に思ったのだろう、濱田が聞いてくる。
「広間から持ってきたストーブ、結構古いタイプで上に物乗せれば熱せられる。これでお湯沸かしておけば熱湯になる」
「あ、お湯で攻撃するの?」
熊崎の反応に俺は頷いた。熱湯をかけられたらひとたまりもないはずだ。いくら頭の中がイカレた殺人鬼でも顔にかけられれば、上手くいけば目にダメージがいくかもしれない。過剰防衛なんかじゃない、こっちは命がかかっているんだ。しかしそれを聞いた濱田は顔色を真っ青にした。
「だめ!」
俺たちは驚いて全員濱田を見る。何でだめ? 全員の顔にそんな疑問が浮かんでいた。
「ゆ、雪鬼は! お湯とか熱いものとかで攻撃しちゃだめ! 怒って、襲って来るの!」
ああ、そうだ。確かにそんな伝説だった。それをやったから、あの時体育館でたくさん人が死んだ。でも、何故? 何で濱田は雪鬼の話を知っている。
「違う!」
今度は熊崎だった。大人しい熊崎のそんな声聞いたことなくて俺はまた驚いた。見れば熊崎は怒っているようだった。
「はまちゃん、やっぱり知ってたんじゃない雪鬼の伝説! どうして知らないなんて噓ついたの!?」
「し、知らない! 私何も知らない! 聞いたの、仲居さんに!」
「噓! あの人は県南の方出身だって言ってたよ!」
「だから何!?」
ヒートアップする二人の口論。まずい、と思った。これでは根津にここにいるから襲ってくれと言っているようなものだ。赤星たちも危機感を抱いたらしく周囲を見渡す。俺は二人を止めようとしたが、熊崎の言葉に足が止まった。
「私もあそこの県南出身だから! ねえ、北と南で雪鬼の伝説違うんだよ!? 南ではね、雪鬼はバケモノじゃないの、冬の守り神なの! 北に住む奴らが勝手に面白おかしくしてバケモノ伝説にしちゃっただけだよ! 南出身の仲居さんがそんな話するわけないでしょ!?」
……え? ちょっと待ってくれ、熊崎は俺と同じ県出身だったのか。いやそれよりなんて言った、北と南では雪鬼の伝説が違う? しかも守り神だって?
「ねえ、何で噓ついたのあそこの出身じゃないなんて。私嬉しかったんだよ、同じ地方出身の人がいたって思って嬉しかった。でもはまちゃん違うっていうから!」
「違うって言ってるでしょ!?」
言い返す濱田の声は完全に裏返っていて悲鳴に近い。
「やめろ」
「でも!」
「殺されたいのか」
呆然としていた俺に代わり赤星が冷静に言う。その言葉に二人ははっとなって黙り込んだ。大騒ぎしていた事を今更自覚したらしく、慌てて周囲を見る。人の気配は、ない。
「ごめん……あのね、こんな時に何だけど聞いて。雪鬼伝説って」
「やめてよ!」
「黙ってて」
小さい声で止めようとする濱田にやや強い口調で熊崎は言った。完全に立場が逆だ。熊崎のそんな態度を見た事がないのだろう、濱田は黙り込んだ。
「雪鬼は人を襲うバケモノなんかじゃない。人と仲良くなると、一冬だけ守ってくれる存在なんだよ。追い返すなんてとんでもない。ただ、神様じゃないから人にとっては都合の悪い事もする。無礼をすれば怒って人を困らせる事もする。だから、冬が終わって春が来る時に柊の葉と、一度人が入った後のお風呂のお湯で玄関をお清めするの。どうかお帰り下さい、雪山へお帰り下さいって。冬の間守ってくれてありがとうございますって感謝の意味をこめて。化け物なんかじゃないの」
熊崎はまくし立てるように一気にしゃべった。俺はそれを呆然と聞いている。俺が昔体育館で聞いたお年寄り達の話にはそんな内容なかった。当然だ、俺は県北に住んでいたのだから。今更だが、熊崎と二人になったとき彼女が俺に言おうとしていたのは雪鬼伝説の確認だったのだ。
「あの根津って人が人間なら対策はさっきの案でいいと思うし、もし本当に雪鬼なら私がなんとかするよ」
「なんとかって」
俺の問いに熊崎は少しだけ笑った、俺を安心させるように。
「さっきの方法でも帰ってもらえない雪鬼がいたら、最後の手段がある。凄く簡単で誰でもできることだから、だから」
だから、だいじょうぶだよ。そう言いたかったのだと思う。でも熊崎はその続きをしゃべれなくなってしまった。
だって、さっきまで俺の目の前にいた熊崎はいないのだ。いや、正確にはいる。
首から下だけ。
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