誰もいない

 客室には入らずスタッフオンリーと書かれた扉を中心に中を調べた。鍵はかかっておらず、洗濯物を置いておく場所や掃除道具、裏方の仕事に必要なものが置いてある部屋だとわかる。しかしどの部屋の中にも誰もいなかった。


「いないね」

「ああ。そして誰もいなくなった、とか洒落にならない」


 あまり不安にさせることは言わない方がいいのだろうが、この異様な光景に俺も少し余裕がなかった。似てない、似てない、と呪文のように内心で唱えながら足早に部屋を見てまわった。


「あ、あのね牧瀬君。こんな時に何なんだけど、聞きたいことあったんだ」

「なに?」


 二人になった時に聞いてくるという事は聞きづらいことなのだろう。少し落ち着かなくてはと深呼吸をした。


「その、牧瀬君って、雪鬼の伝説知ってたよね?」

「……。なんで?」

「ごめん、実は昨日雪鬼の話してくれた仲居さんから聞いてたの。南天の間にいる牧瀬様はご出身のようですよ、って」


 仲居に自己紹介などしていないが、予約をしたのは俺だし受付でチェックインしたのも俺だ。仲居が俺の顔と名前を知っていてもおかしくはない。おかしくはないが余計な事を、と思わずにはいられない。


「ああ……まあね」

「それでね、ちょっと聞きたかったんだけど、その」

「何で知らないふりしたのって?」

「ううん、違う」


 首を振られて俺はえ、と言ってしまった。てっきり知っていたのに何で知らないふりをしたのかと聞かれるのかと思っていたからだ。それを聞かれたら嫌いだから、これ以上つっこんで聞くなということと俺の前で雪鬼の話をしないで欲しいと言うつもりだんだけど。熊崎は意を決したように真っ直ぐ俺を見る。


「牧瀬君が知ってる雪鬼の話ってもしかして――」

「あー、いたいたマッキー」


 後ろにあった階段を上ってきて声をかけたのは津田だ。


「そっちどうよ、二階はなんもない」

「ああ、三階も同じだ」

「やっぱな。濱田とも話したんだけど、一階に戻ろう。他の旅館に助け求めたほうがいいんじゃないかって」

「そうだな、赤星が何か見つけてないか聞いてみよう。戻るか」


 俺の言葉に全員が階段を降り始め、熊崎を振り返る。


「ごめん、さっき何言いかけた?」

「……ううん、いいの。また後で」


 そう言うと熊崎は黙ってしまった。そういえば俺と二人になったのを見計らって話したのだから、二人の前では言いにくいのかもしれない。後で頃合を見て二人になって聞いてみよう。見れば濱田も静かだ。てっきり津田と二人になれて少し嬉しかったかと思ったが、さすがにこの状況ではそう思ってもいられないのかもしれない。

 広間に戻ると先に赤星が戻っていた。結論は、今この旅館には客しかいないということだ。そして最悪な事に吹雪になってきた。今のうちに他の宿に移ろうという話があちこちで出始め、俺たちはどうするかという話になった。


「旅館の人間がいないんじゃ飯もないし、正直ここにいるメリットないんだよな」

「移動しようか。他の旅館なら別に客間じゃなくても、こういう広間みたいなところにいさせてもらおうよ」

「濱田、柚木から連絡は?」


 濱田は「あ、忘れてた」といって携帯を取り出した。すまん、俺もすっかり忘れてた。俺も根津さんからの連絡がないか見てみたが特になし。電話をかけても相変わらず呼び出しはするが出ることはなかった。


「おい、外から何か聞こえないか」


 唐突にそう言ったのは赤星だった。一瞬俺はぎくりと身を強張らせたが、よく耳を澄ませばそれは人の声ではない。音だった。


「ねえ、これ着信音?」


 電話の着信音だ。携帯だろうか? 俺もよく聞いてみようとコールしている電話をひとまず切る。すると外から聞こえている着信音もピタリと止まった。不思議に思ったが、赤星がやや険しい顔をして俺に言う。


「もう一回かけろ」


 不思議に思いながら再び根津さんにかけるとやはりプルル、という呼び出しはする。すると、外から再び着信音が聞こえてきた。さすがに何を意味するのかわかって、俺は再び電話を切る。やはりピタリと音が止まった。俺たちは顔を見合わせ、俺は再びコールをすると外に行こうとした。


「おい、どこ行く」

「見てくる」


 赤星に止められたが俺はそのまま出入り口へと歩き出した。宿には来ていないというのに根津さんの携帯だけ外にあるというのはどう考えても変だ。まさかこの雪の中外でじっとしているわけではないだろうから携帯だけあるのだろうが、一応確認しておきたい。

 しかしその考えはあっさりと中断された。悲鳴が上がったのだ、広間から。俺たちは顔を見合わせると急いで広間に行った。部屋に入れば皆パニックになっていた。

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