十年前ー5 雪鬼の仕業
どう対策しようかと相談し始める大人たちを尻目に、俺は周囲を見渡す。すると死体に脅えている子達と明らかに違う脅え方をしている奴を見つけた。おそらく最初にドアを開けた奴らだ。
脅えている理由はわかる。熊などではないのがわかっているからだ。どこの世界に目が赤く光り凍死した死体をご丁寧に体育館まで運んでくれる熊がいるというのか。それに最初に言ったはずだ、「誰かの声がした」と。そこが完全に抜けているあたり大人たちは完全に余裕がないのだろうかと思ったが違う。わかっていてあえて考えから外しているのだ。
この地方に生まれ育ったなら誰だって一度は耳にする存在、「雪鬼」。それを、認めるわけにはいかない。それに雪国には熊にまつわる恐ろしい話も実際いくつか存在はする。人間の味を覚えた熊が毎年降りて来るだの、食うのに飽きて無残な殺し方をしていくだのと。そっちの知識も大人たちにはあったのだろう。
だが俺はそっちには考えがいかなかった。寝静まる前に雪鬼の話を詳しく聞いてしまったからだ。見ればあの話をしてくれたどこかのおじいさんは腹から大量に血を溢れさせて死んでいた。顔が無傷なのがせめてもの救いだ。
雪鬼。ばあちゃんが話してくれなかった、俺の知らない部分。光や火で攻撃すると逆上して襲い掛かって来る。その結果がこれだ、好き勝手殺していった。そして目的を果たすまで出て行かない、ということ。そもそも雪鬼の目的とは何か。ばあちゃんは食うために人間を連れて行くといっていたが少し違う。食うかどうかは知らないが、人間を連れ去るというのが本来の言い伝えだ。しかし手当たり次第連れて行くわけではない。雪鬼が気に入った人間を連れて行くのだ。そしてその人間が見つからないと見つかるまで探し続ける。
逆上していなかったら玄関を開けておけば諦めて大人しく出て行ったのだが、怒らせた上扉を閉めた。
扉を閉めてしまうと、雪鬼は人間と同じ存在となる。どんな姿になるのかはわからないが、光にも火にも強くなって人間と区別がつかなくなってしまうという。
つまり最悪の状況だった。逆上して怒り狂っている人間の姿をした雪鬼が、何食わぬ顔で体育館の中にいたのだ。しかも誰を連れて行くかなんてわかるはずもない。一つ確かなのは今いる雪鬼は年寄りが嫌いらしい……とばあちゃんの、少しずつ冷たくなっていく手を摩った。そんなことしたって温まるわけもないのだけど。
ガツン、と音がして全員が一斉に音のほうを見た。音がしたのは体育館入り口だ。
ガツン、ガツン。
何かかたい物が当たるような音だ。その場にいた人たちが全員みるみる青褪めて行く。誰も動けない。静まり返った体育館内に、声が聞こえた。
「おおい、誰か、開けてくれ! 今着いたんだ!」
はっきりとした人の声だ。ガンガン、と打ち付けるような音は必死に扉を叩いている音だとわかる。しかし全員が動けず、開けるかどうかの問答が始まる。
「あ、今あけ……」
「馬鹿! やめろ!」
「おい、まさかアンタまで雪鬼の仕業なんていうつもりじゃないよな?」
「どうやって来るんだよこんなに積もってるのに、車も動かないし雪の中歩いたら一時間以上かかるんだぞ! 避難指示出て何時間経ったと思ってる!」
「じゃあ外にいるのが本当に普通の人だったらどうするんだ!? アンタの責任で見殺しにしていいんだな!」
誰もが心の中でありえないと思っているが、根本の恐怖を拭えない。もしも。もしも、万が一、ありえないけど、でも本当にそうだったら? この場にいる誰もが恐れている、アレだったら?
今開けたら、どうなるのかはわかりきっている。今目の前にある異様な死体がそれを嫌でも物語る。
冷静なら、普通の状況なら誰だって扉を開ける。雪鬼なんて馬鹿馬鹿しい、という意見が勝って聞く耳を持たないだろう。事実最初の女子たちがそうだった。
しかし今この状況でそんな事を言える奴がいるわけなかった。だって、どうやったらほんの数分で十人以上を殺せるのだ、あんな惨い状態で。天井に人が突き刺さっているのをどう説明する。手足が千切れているのは、内臓ぶちまけているのは、ご丁寧に両目が抉られているのは、腰が真逆に折れ曲がっているのは。熊? 吹雪? 殺人鬼? 一体どうやってそんな事ができる。
子供よりも大人の方がその思いが強かった。開ける開けないで本気で口論し始めたのだ。ついに手が出て殴りあいになり周囲が止める。その間も外の人は大声で助けを求め続けた。中から人の気配はするのに開けてもらえない。段々イラついてきたらしく言葉が乱暴になり、それがますますドアを開ける事を躊躇わせる。
「ひいい!」
外から悲鳴が上がった。びくりと全員扉の方を見つめる。
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