<冷の種類>
第14話 『雪冷え 5℃』
静かな路地裏に佇む日本酒バー「宵のしずく」。
夜の帳が下り、街の喧騒も遠のいた頃、一人の青年が店の扉を押し開けた。
「いらっしゃい」
店主・律が静かに声をかける。落ち着いた声色に促されるように、青年はカウンター席に腰を下ろした。
「お酒、何かおすすめありますか?」
俯きがちな視線と疲れた声に、律はわずかに微笑む。
「そうですね。今日は少し冷たいお酒が良いかもしれません」
そう言って律は冷蔵庫から一本の瓶を取り出した。瓶の表面には薄い霜が付き、氷のように透き通ったグラスがカウンターに置かれる。酒が注がれる音が、静かな空間に響いた。
「これは『雪冷え』といって、5℃の冷たさを楽しむお酒です。キンと冷えている分、余計な雑味が消えて、すっきりした味わいになります。心が張りつめているときほど、こういうお酒が染みるんですよ。」
青年はその言葉を噛みしめるように一口含んだ。
ひんやりとした液体が舌先に触れると、まるで雪解け水のように冷たく柔らかい味が広がる。
「確かに…冷たいのに、意外と柔らかいですね。」
律は軽くうなずいた。
「雪解け水みたいでしょう?冷たさに耐えてきた心がほぐれると、こんなふうに素直になれるものです。」
青年はふっと笑って、もう一口飲んだ。
「…振られたばかりで、正直しんどかったんです。でも、この冷たさがなんか救われる気がして。」
「恋は時に、心を凍らせますからね。」
律は言葉を選びながら続けた。
「けれど、冷たさに耐えた後には、きっとまた温かさが戻ってくる。人の心も、雪解けと同じです。」
青年はしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「…俺、ずっと強がってたんです。平気だって、自分にも嘘ついて。でも、本当は怖くて、寂しくて。」
律は柔らかな眼差しを向ける。
「強がるのは悪いことじゃないですよ。でも、自分の本当の気持ちを許してあげるのも大事です。冷たさが心を引き締めたら、次は温かさでほぐしていきましょう。」
青年は、少しだけ軽くなった心を感じながら、もう一度グラスを口に運んだ。冷たさの中に感じるわずかな甘みが、張り詰めた心を溶かしていく。
外の冷たい風が吹き込むと、律はふっと微笑んだ。
「雪冷えの一杯、少しは心に染みましたか?」
「はい…なんだか、肩の力が抜けました。」
「それならよかった。」
青年は律に一礼し、少しだけ明るい顔で店を後にした。
扉が閉まり、静けさが戻る。「宵のしずく」はまた、冷たさと温かさが交差する夜を包み込んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます