第3話: ほしもり好きなんですか!?
翌日の昼休み、私は図書室の前で立ち尽くしていた。
不測の事態があって急遽代打を務めた昨日と異なり、今日は正真正銘私が図書室管理の当番の日。だというのに、東館にある学食でお昼を済ませて急いで来たはいいものの、私は次の一歩が踏み出せないでいた。
それもこれも、全部昨日のお化けのせいだ。あの赤い瞳が視界いっぱいに広がった瞬間を思い出すだけでまた鳥肌が立つ。今度同じように驚かされでもしたら、他人様には言えないような粗相をしてしまうかもしれない。そう思うと、大好きなはずの図書室に向かう足が広辞苑十冊分よりもはるかに重くなってしまう。
どうしよう、やっぱり怖い……! いっそのこと今日は体調が悪いってことにして誰かに代わってもらおうかな……いやでももうお昼休み真っただ中だし、そんな急なことしたら迷惑かけちゃう。それに、昨日忘れてきちゃった本も回収しなきゃ。あんな中途半端な状態でもう一晩なんて耐えられないよ……! でも、でもまたお化けに遭っちゃったら――。
「……入らないの?」
「んきゅっ!?」
突然背後から声を掛けられて、私は大きく飛び跳ねた。感覚的には三十センチくらい宙に浮いていたんじゃないかと思う。まさか昨日のお化け!? ……って、違った。振り向いた先に立っていたのは、今日私と一緒に図書室管理の当番を務める、同級生の佐藤さんだ。
佐藤さんは、私が飛び跳ねたことで空いた道を何の躊躇いもなく通って図書室の中へと入っていく。そうして開けっ放しのドアの向こうでこちらを振り返ると、未だに両手を胸の前で組むみたいにして体を縮こまらせたまま固まっている私を見て、不思議そうな顔で首を傾げた。
「……狛犬ごっこ?」
「してないですよ!?」
なんて言うか、佐藤さんは独特な感性をしてる。私が言えたことじゃないかもしれないけれど。こんな感じだからか、佐藤さんに対しては私の人見知りも随分マシになるんだよね。
ともかくそんな彼女のおかげでいくばくか恐怖が薄れてくれて、私も図書室に入ることができた。
図書室の中は、一昨日までと何ら変わりない。いつも通りに静かで、紙の匂いに満ちていて、どこかゆったりと時間が流れている。私にとっての楽園に、昨日見たお化けなんて影も形もなかった。
そんな様子にほっとしつつ、私はカウンターへと目を向ける。記憶が正しければ、そこには私が放り出してしまった、『星降る森と約束の魔法』の第七巻が――。
……ない。カウンターの上にはメモ用紙と貸出作業用の端末しかない。落っことしちゃったのかとカウンターの周りに目を向けても、絨毯の上には本どころか埃一つ落ちてはいなかった。
「探し物?」
キョロキョロと辺りを見回す私に、佐藤さんが声を掛けてくる。
「あ、えっと……昨日、本を忘れていったと思ったんですけど」
「何てほん?」
「『ほしもり』の最新刊です。カバーを外した裏表紙に、名前書いてて」
「ふーん」
佐藤さんの返事は淡泊にも聞こえるけれど、その実カウンターの奥やら返却ボックスやらまで覗き込んで探してくれている。独特だけど優しい人なんだよね、佐藤さん。
そうしてしばらく二人で探してみたけれど、結局目的の本は出てこなかった。
「……ないね。先輩が持って帰ったんじゃない?」
「あ、そっか。そういう可能性もありましたね」
確かに、あの後先輩が図書室に戻ってきたのなら、置きっぱなしの本を預かるなり職員室に届けるなりしててもおかしくない。とりあえずメッセージだけでも送っておこう。
「で、今頃古本屋に……」
「そんな人じゃないですよ先輩は!?」
佐藤さんのボケ? に振り回されつつ、そこからはちらほらと生徒の姿が見えたので二人で図書委員の仕事に集中する。そうすることしばらく、お昼の閉館時間間際に先輩から返ってきたメッセージは――『本なんて落ちてなかったよ』というものだった。
「はぁっ……」
放課後、1-Aの教室の机に突っ伏して、私はため息をついていた。まるで昨日のデジャヴだけど、今日のそれは理由が全然違う。
――なんでなくなっちゃったの……? 続き、気になってたのにぃ……。
『星降る森と約束の魔法』は私が十歳のころから続くシリーズで、続巻が出ればすぐに買って読むくらいにお気に入りの作品だ。物語としても少しずつ佳境に向かっているところで、この七巻も楽しみに少しずつ読んでいた。……なのに、こんな形で失くしてしまうだなんて。
お小遣いには一応、余裕はある。けれど一度買ったものにもう一度お金を出すのは、貧乏性な私にはちょっと抵抗があった。かといって図書室に並ぶのを待っていたら数か月はかかってしまうだろうし、それだけの間この『ほしもり熱』を持て余すなんて耐えられない……!
こうなるってわかってたら、昨日無理やりにでも図書室に取りに戻ってたのに。私のバカ、読みたい本のためなら、お化けなんて、怖くな……こ、こわ、怖くな……いことも、なくもない……ような……気が……。
「……図書室行こう」
どのみち本の回収は出来なかった、そんな現実から目を背けるようにして、私は鞄を片手に立ち上がる。こうなったらもう、ほしもり熱を紛らわせられるくらいに図書室の本を読みまくってやろう。
そんな思いを胸に、そして図書委員のお仕事のために、図書室を訪れた私は。
『やぁ、待ってたよ』
私が探し求めていた、ほしもりの第七巻を片手に――。
『昨日はコレ置いていってくれてありがとねー。いやぁ面白かった面白かった』
カウンターの椅子を我が物顔で占拠するお化けに、実ににこやかに出迎えられた。
――え? いや、あの、え?
目の前の光景を、私は呑み込むことができなかった。
だってそうでしょ? お昼に来たときは何もなかった、それこそ置き忘れたはずの本も含めて、お化けがいた痕跡なんて何もなかったはずなのに。今目の前にはそのお化けがいて、しかもほしもりの第七巻をしかと持っている。何ならそれを片手に、カウンターからこっちに回り込んできている。
「――ひゅっ」
喉の奥から変な音が鳴る。思わず後退りした背中が、壁にトンとぶつかった。お化けはそんな私を追い詰めるかのように、容赦なくその距離を縮めてくる。
ど、どどどどうしよう……!? お昼何事もなかったから完全に油断してた、びっくりしすぎて足が震えてこれ以上動けないよぉっ……!!
頬を冷や汗が伝うのがわかる。なのに私は微動だにすることもできない。頭の中が恐怖一色に染まる中、私の視界一杯に、昨日と同じ赤色が広がった。
――ち、近い近い近いっ……!? 何、私何されるの? 呪われる? もう一度お化け見ちゃったから呪われるっ!? やだやだやだ、せめてほしもりの完結は見届けさせてぇっ!!
訳が分からなくて、ただただ怖くて、私は瞼をぎゅっと閉じた。――その、瞬間。
『ほい。これ返すね』
自分を抱くようにしていた両腕の隙間に、何かがぐっと押し込まれた。
「……はぇ?」
そんな気の抜けたような声と同時に瞼を開くと、お化けはもうさっきの距離にはいなくて、カウンターの向こうに戻ってた。そして、私の腕の中には、ほしもりの第七巻。……あ、あれ? 何もしてこないの? それどころか、本、返してくれた? もしかして、悪いお化けじゃないの? いや悪くないお化けなんて知らないけど。
「昨日はあんな感じでいなくなっちゃったから、もう来ないかと思ってたよー。直接返せてよかったよかった。ねぇ、キミもほしもり好きなの?」
茫然とする私を他所に、お化けはカウンターの丸椅子に座ってくる来る回ってる。……いや無邪気かっ!? つい十秒くらい前まで怖くて怖くて仕方がなかったはずなのに、いよいよもって目の前のお化けに対する恐怖心が薄れてきた。
……だからだろうか。私はお化けが口にしたその言葉を聞き逃さなかった。
「『キミも』……? も、もしかしてあなたも、ほしもり好きなんですか!?」
『ん? おぉぅっ?』
気づけば私は、お化けが驚くような勢いでカウンター越しに詰め寄っていた。
「どこまで読みましたか? 七巻を楽しめたってことは六巻までは読破済みってことですよね? じゃあじゃあ――」
回る回る、自分でも驚くくらいに口が回る。入学してからの一か月で私が発した言葉の合計を超えて、勝手に言葉が流れ出て行く。
私の周りにはあまり読書家がいなかった。好きを語れる場所なんてまるでなかったし、語ってもほとんど共感されなかった。だからいつしか諦めて、自分だけで本の世界を楽しむようになってたんだ。それがまさかこんなところで、それも同じほしもり好きの同士にであるだなんて……!
感動のあまり、勢いに任せてしゃべり続けていた私の口は、
『――あー、ちょっといい?』
お化けからのそんな一言で、ぴたりと止まった。
「――っ」
マズい。しゃべりすぎちゃった。どうしよう、こうなるから気を付けてたのに。
今までだってそうだった。私が調子に乗って本について語ってると、決まってみんな面倒くさそうな顔をする。当たり前だ、興味のないことを延々と聞かされて楽しい人なんているはずがない。わかってたのに、なんでまた同じ失敗しちゃうの。
目の前のお化けだって、ホントにほしもりが好きかどうかはわからない。私が置いていった本をたまたま読んで、ちょっといいなって思ったくらいだったのかもしれない。なのに私はちゃんと確認もせずに一方的にしゃべり続けちゃった。そんなの迷惑以外の何物でもないのに。
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。息が詰まる。顔が勝手に俯いていってしまう。嫌だったよね、迷惑だったよね。とにかく早く謝って、それから――。
『ごめんね、全部聞いてあげたいのはやまやまだし何ならあたしだって語りたいんだけどさ。そろそろ時間みたいなんだよね』
「……ふぇ?」
今、彼女はなんていったの? 全部聞いてあげたい? 語りたい? ほ、ホントに? そう思いたい私の妄想じゃなくて?
その言葉を確かめるように顔を上げた私の目の前には、少し困ったみたいな赤色が広がっていた。っや、やっぱり近い……!
『また人がいないときに会おうね。それじゃ』
直後、目の前を激しい光が埋め尽くした。
「うぇっ!?」
痛い。眩しすぎて痛い。何も見えない。瞼を閉じるだけじゃ足りなくて、思わずのけぞって目を腕で庇ってしまう。
そんな衝撃が過ぎ去るのを待つこと数秒――再び瞼を開けた時、お化けの姿はどこにもなかった。
「失礼しまーす」
カラカラと引き戸が開く音がして、次いでどこか眠たげな声が追いかけてくる。声の主はお昼同様今日の当番になっている、佐藤さんだ。
佐藤さんは、顔を庇ったまま固まる私を見て、不思議そうに首をかしげた。
「……ヒーローショー?」
「変身ポーズの途中じゃないですからっ!?」
二度目のお化けとの遭遇は、そうしてあまりにも唐突に終わりを告げたのだった。
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