第2話:で、ででででで出たあああああああああっ!!!
固まった私を他所に、先輩は作業を止めずに続ける。
「なんかお昼ここ開けるときに貸出履歴のない本が返却カウンターに置かれてたり、誰もいない書架から物音がしたと思ったら本が落っこちてたり? あと完全下校時刻の後に忘れ物に気づいて取りに来た子が、外からカーテン越しに動く影を見たなんて話もあるね。どれもここ一か月くらいの話かな。聞いたことなかった?」
「……は、初耳、でしゅ」
震える唇でどうにかそれだけを絞り出した私の腕には、これでもかとばかりに鳥肌が立っていた。
そう、私はホラーが大の苦手。和風ホラーも洋風ホラーもてんでダメ、ホラー小説なんてもってのほか。というか想像の世界だと当事者感がでて余計にダメ。だからこんなに物語の世界が大好きな私なのに、ホラー要素があるものはその一切を遠ざけて生きてきた。
それがこんなに身近に、しかも私にとっての楽園に潜んでいるだなんて……! ――はっ、もしかして今こうしている間にも、そこの本棚の影から誰かがこっちを見つめていたりするの……!? 何の気なしに手に取った本に謎の手形がついてたり、ホント本の隙間から真っ白い手が飛び出してきたり!?
――ゴトンッ!
「うひゃぁっ!? ななな何!? お化け!?」
「あ、ごめん。私が本落としただけ」
突然響いた鈍い音に跳びあがった私を他所に、先輩はよっこらしょって身をかがめて足元から本を拾い上げる。……もう、この話の流れでそれはホントに心臓に悪いよぉ……。
「ま、どうせただのネタ話しでしょ。ホントに出るんならむしろちょっと見てみたいけどねぇ。……それじゃあこれ戻してくるから、ちょっとだけカウンターお願いしていい? 今日当番だった子、インフルで休んじゃったみたいでさ」
先輩は冗談めかしてカラカラと笑うと、私が返した本を抱えて書架の方へと歩いて行った。……そういえば、いつもは図書委員が二人一組で回すはずの当番なのに、今日は先輩一人しかいないみたい。
幸いなことに、私の放課後に宿題と読書以外の予定はないからお手伝いしよう。……いくら人見知りな私でも、本の貸し出しや返却みたいに二言三言の決まったやり取りくらいなら何とかなる。それにカウンター業務なら、人が来ない限りは好きにしてていいしね。
私はカウンターの方に回ると、中の椅子に腰かけて鞄から文庫本を取り出した。タイトルは『星降る森と約束の魔法』。図書室から借りていたものとは別のもので、私が小学生のころから続いているお気に入りのライトノベルの新刊だ。
しおりを挟んだページを開いた瞬間、私の意識は内気で根暗な女子高生から世界を旅する少女・シエルに切り替わる。目の前に広がるのは現代的に整理された図書室の内装じゃなくて、中世ヨーロッパを彷彿とさせる街並みだ。
迷い込んだ森の中で偶然知り合った少女・エリス。彼女は過去の何かをきっかけに、人間の悪意を恐れて森の中に閉じこもる生活を送っていた。そんな彼女に私は、「悪いことばかりじゃないよ」と外の世界のことを話して聞かせ、「いつか外に出たくなったときは、私が一緒にいてあげる」という約束を交わす。
ところがしばらく経ってから私がもう一度森を訪れると、エリスは森の中にいなかった。彼女はその身に『世界を変える魔法』を宿していて、それを利用しようとする勢力に連れ去られてしまっていた。だから私は、約束を守るためにエリスの行方を捜し始めたんだ。
待っててね、エリス。私は絶対にあなたを見つけ出して、傍にいてあげ――。
「本村さーん! ちょっといいー?」
「ひゃいっ!?」
不意に現実世界から呼びかけられて、私は反射的にビシッと立ち上がりながらまたしても変な声を上げてしまった。けど今回はどうやら元気目な返事の範疇に収まってたみたいで、呼びかけた主である先輩は特に気にした様子もなく本棚の間から私の方へと歩いてくる。その隣には、見覚えはないけどネクタイの色からして先輩の同級生、つまり私から見てもうひとりの先輩も一緒だ。
「ごめん、ちょっとしばらく図書室預けてていい? 先生に呼び出されてたのすっかり忘れてたわ」
先輩が両手を顔の前で併せて申し訳なさそうに頭を下げる。その隣で、もう一人の先輩はあきれ顔だ。
「もう、私ちゃんと言ったじゃない。何で委員会の当番は忘れないのにこういう用事ばっかり忘れるのよ。……本村さん、だったかしら。そういう訳で、ちょっとコイツ借りて行ってもいい?」
「ちょっと、後輩の前でコイツ呼ばわりはなくない?」
「だまらっしゃい」
不服げに唇を尖らせて抗議した先輩の頭を押さえつけつつ、もう一人の先輩も頭を下げた。いやあの、そこまでされなくても別に私に大した用事もないので、好きに使ってもらっていいんですが……。
「だ、だいじょぶ、です」
コクコクと頷いた私に、もう一人の先輩はホッとした様子で頬を緩めると、もう一度先輩の頭を下げさせてからそのまま先輩を引きずっていった。
「ごめんね~すぐ戻るからね~」
そう言いながら引きずられていく先輩は、なんというかすごくシュールだった。
さて、と。思わぬ形で一人で番をすることになっちゃったなぁ。
図書室の扉が閉まるのを見届けてから、私は今一度椅子に座り直す。ひと騒ぎ終わった後の図書室はいつも通り静かだ。
一階部分には読書スペースとして机と椅子、場所によってはソファなんかが設置されている。試験期間中は大勢の生徒たちで場所取り合戦が起こったりするらしいけど、今は誰の姿もない。
階段を上がった先の中二階には、辞書や辞典、古書なんかを修めた本棚が立ち並んでいる。こういう言い方をするのは良くないかもしれないけど、あまり利用頻度が高くない本ばかりが集められているような印象で、今まで図書室に通った中でもそこに人影を見たことはなかった。当然、今も誰の姿もない。
つまり、今私は、この広い図書室に一人きり。普段ならそれは、さっきみたいに本の世界に没頭するのにちょうどいいはずなんだけど。
――お化けなんて、いない、よね……?
先輩からあんな話を聞いた後だからか、今一度手にした文庫本に目を落としてみてもどうにも集中できない。せっかく文字を目で追っていても視界の端で何かが動いたような気がした利、何か物音がしたような気がしたりして、どうしても本の世界に入り込めないんだ。
……もう、先輩も言ってた通りお化けなんて大抵が勘違いだって。事実、今だって動いた気がしたのは風にそよぐカーテンだったし、物音も図書室の隅に置かれてる観葉植物の葉が擦れる音だったじゃないか。昔の人も言ってるじゃん、『幽霊の 正体見たり 枯れ尾花』って。疑う心が暗がりに鬼を生むんだよ、余計なことなんて考えずに集中して――。
『へぇ。キミ、いい本読んでるね』
その声は、まるで最初からそこにいたみたいに自然に響いた。
「……はぇ?」
視線を上げると、赤い瞳と目が遭った。
……というより、赤い瞳しか見えなかった。
近い。
メチャクチャ近い。
少し目線をずらすと、びっくりするくらい目鼻立ちが整った女の子だということはわかった。後ろの方で、真っ白な長髪がふわふわと揺れている。
でも、それよりなにより顔が近い。近すぎる。こんな間近で誰かの顔を見たことなんて、私の人生で一度もない。そもそもこんな距離に人を近づけたことなんてない。
『それ、続き気になってたんだよねー。新刊出てたってことは、ここに入るのは二、三か月後かな。早く入ってくれないかなー』
どこか間延びした口調とともに、その瞳が私の手元で開きっぱなしの文庫本に向けられたことで、金縛りから解けたかのように私の頭が回り始める。
な、なんでこんなに近いの? いくら同性相手でもこんなに近いと恥ずかしいというか、近くなくてもあんなに見られたら恥ずかしいというか……待って、そもそも今、ここには私しかいなかったよね? ドアも開いてないよね? 足音もしなかったよね? それでいて急に現れた、どこからともなくって、それって、それってぇっ――!!!
「――っで、でででで出たああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!?!?」
私は思わず叫び声をあげながら、脱兎のごとく図書室を飛び出した。
――なんでなんでなんで!? 噂は噂じゃなかったの!? 今の絶対お化けだよね!? 白髪に赤い目なんてファンタジー小説でしか聞いたことないもん、絶対お化けだよね!? 幻覚じゃない、いた、絶対そこに!! というか顔近すぎる!! 距離感どうなってるの!? あんなの家族でもありえない――ってそんなことはどうでもよくて!! 怖い怖いこわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!
心の中で大絶叫しながら、お下げが身を振り乱して全力疾走していたら、いつのまにやら私は一人暮らしをしているマンションの部屋にたどり着いていた。無意識に閉めた鍵がガチャンと鳴ったところで、両足から力が抜けてドアを背にその場にへたり込む。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……い、今の、何……?」
自宅に戻ったことで少し気持ちが緩んだみたいで、私の頭がゆっくりと回り始める。何の前触れもなく現れた、人間離れした容姿の女の子。思い出すだけでもつい身震いしてしまうんだけど、彼女、何か私に話しかけてたような……? 確か、新刊がどうとか――。
「……あっ」
その時私は、自分がしっかりと閉じられた鞄しか持っていないことに気づく。あれだけ慌てている中で、わざわざ鞄を開けて本を仕舞うような余裕なんてあるはずがない。
「……どうしよう、今更取りに戻るなんて……というか図書室開けっ放しじゃん……でも、お化けがいるのにもう一回戻るなんてぇ……」
玄関先で二十分ほど悩んだ私は結局、その日のうちに本を回収することを諦めて、先輩に「急用ができた」とメッセージを送ったのだった。
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