第4話:忘れてくださいっ!
図書室で二日連続お化けとエンカウントしたあの日から一週間。この間私は、一度もあのお化けを見ていなかった。
というのも、図書室で一人きりになるというのは実は結構なレアケース。図書室管理の当番は基本二人一組だし、そもそも週に何度も回ってくるようなものじゃない。単なる利用者として訪れたとしても、当然当番の人がいる。つまりはあの時、お化けが去り際に言った『人がいないとき』という条件を、私はあれ以来満たせていないんだ。
本来それは、ホラー系が大の苦手な私にとって願ったりかなったりな状況。……でも今の私は、あのお化けになら、もう一度会ってみたい、なんて思ってたりする。
それは、あのお化けが『ほしもり』を好きだと言ってくれたことや、悪意めいたものを全く感じさせなかったっていうのもあるんだけど……それだけじゃない何かが、私の心の奥底で光ってるような気がするんだ。どこかあたたかい感じのするものが、なんとなく。
この気持ちが何なのかはわからないけど、何にしてももう一度あのお化けに会いたい、会って『ほしもり』の話をしたいっていうのは確かな私の意志。だから今日は、ちょっと一つ、試してみようと思う。
というわけで、私が今いるのは放課後の図書室。その中でもめったに人の来ない、中二階最奥の古書コーナーだ。
この辺りの本は古文や日本史の授業なんかで用いることがあるんだけど、授業外で読む人はそういない。私もいずれは読みたいと思ってたけど、それよりも先に読みたい本がたくさんあったからノータッチだ。自分で言うのも変だけど、私みたいな本の虫ですら寄り付かないここなら、あのお化けも出てきてくれるんじゃないかな? っていうのが私の作戦だった。
思った通り、足を踏み入れた古書コーナー……はもとより、中二階には人の気配が全くない。そして奥の片隅にはちゃんと読書用のソファもある。とりあえず、ここで本を読みながらお化けが出るのを待とう。……まさか自分から、お化けが出るのを待つ日が来るなんて思わなかったなぁ。
ソファに座り、隣に置いた鞄を開く。今日はミステリーの気分だから、こないだ出たばかりの新刊、『喫茶ノワールの未解決メニュー』でも読んで――。
……ん?これ、何だろう?
視界の端に何かが入った気がして、私は鞄をあさる手を止める。見ると、ソファの背もたれと座面の隙間に何かが挟まっていた。これは……お菓子の包装紙? なんでこんなところに?
一般的な図書室と同じで、この図書室も基本飲食は禁止だ。だからこんなもの、あっちゃいけないはずなんだけど……うーん、とりあえず回収しておこう。まったく、とんだ不届きものがいるんだなぁ。
内心でため息をつきつつ、包装紙をポケットに突っ込んだ、その時。
『やぁやぁ、おひさー』
「――!?!?!?」
どこか間延びした声が降ってきて、ソファの上で体が跳ねた。叫ばなかった自分を褒めてあげたい。
恐る恐る顔を上げると、そこには予想通りに広がる一面の赤。つまりはお化けの顔のドアップだ。毎度毎度、何でこの子はこんなに距離感がバグってるの……?
「い、いきなり出てこないでください、びっくりするじゃないですかっ」
『それは無理かなー。だってあたし、幽霊だし』
私のささやかな抗議は、にやりと口角を上げるお化けに一瞬で切って捨てられてしまった。……というか今、幽霊って自称した……? 自分が幽霊って自覚ってあるものなの……?
「えっと……い、一応聞きますけど、ホントに幽霊なんですか……?」
『そだよ。あたしは図書室に憑りついた幽霊なのだー』
お化けはわざとらしく『うーらーめーしーやー』なんて言いながら、両手を前に突き出してぶらぶらさせてる。……うん、何だろう、やっぱり怖くない。どころかなんとなく愛嬌がある感じがする。不思議。
『あれ、前みたいに逃げないの? あたしがコレやると大抵の人は飛んでくんだけど』
「あ、あれは忘れてくださいっ……!」
『えー? いいじゃんいいじゃん、可愛かったよ?』
「忘れてくださいっ!」
『しょうがないなー』
大絶叫を挙げながら校内を駆け抜けたあの日のことなんて思い出したくもない黒歴史だ。クラスの人に見られてなくてホントに良かった……って、そんなことはどうでもいい。早く私にとっての本題に入らないと。
「そ、それより! あの時のこと、覚えてますか?」
『んー? 出たーって言って走ってった時のこと?』
「わ、忘れたんじゃないんですか!? そっちじゃないです!」
『あはは、冗談冗談。ほしもりのことだよね? いいよ、何から話そっか』
ちゃんとわかってるじゃん、このお化けイジワルだ……いや、お化けとしてはむしろそれが正しい状態なのかな……?
それから私たちはしばらくの間、『ほしもり』について語り合った。主人公・シエルのここがいいだとか、ヒロイン・エリスのここが好きだとか。このシーンのあれが良かったとか、自分だったらこうするだとか。今まではそういう話をしても誰も共感してくれなかったけれど、隣に座るお化けはすごく楽しそうに話を聞いてくれたし、生き生きと自分の感想を語ってくれた。……お化けなのに生き生きとっていうのは変かもしれないけれど。
「……今更なんですけど、お化けでも本って読めるんですか?」
『そりゃあ、あたしは図書室の幽霊だからねぇ。ここから出られない代わりにここでは普通の人間と同じようにふるまえるのさ。ほら、実体だってあるんだよー』
「ひゃっ!?」
言うなり、お化けの手が私の首筋にペタリと張り付いた。その手は確かな実体が合って、だけどもうすぐ六月になるとは思えないほどに冷え切っていて、私は思わず身をすくませる。
「な、なんでいきなり首筋触るんですか!? 手とかでよくないですか!?」
『いい反応してくれそうだったから』
「わ、私で遊ばないでくださいよぉっ……そういうところ、エリスにそっくりです……」
『最高の誉め言葉じゃん。あたしも世界変えられるかな? ……っと、そろそろ時間だね』
お化けはひょいっと立ち上がると、目線で時計を示す。気づけば時間はもうすぐ六時、図書室が締まる時間だ。
『また人がいないときに声かけるよ。キミとは仲良くできそうだからね』
お化けはそういってにかっと笑う。人懐っこいその表情からは、幽霊なんて言う存在には似つかわしくないあたたかみがにじみ出ていた。
「……はい。また、来ます」
言われなくてもそのつもりだった。一緒にしゃべる中で、このお化けは本当に本が好きなんだってわかったから。好きなものを一緒に語り合えることってこんなに楽しかったんだ。そのことを思い出させてくれたこのお化けのことが、私はもっと気になっていた。
そこで私ははたと気づく。喋るのに夢中過ぎて、彼女の名前を聞いていなかったことに。
「――あ、そういえばあなたのこと、何て呼べばいいですか?」
『おっと、そういえば名乗ってなかったね。あたしはふわりだよ。キミは?』
「本村 栞、です」
『すごい、いかにも読書好きって名前だね』
「……よく、言われます」
『あー……ごめん、地雷だったか』
今までずっと飄々としていたお化け――もとい、ふわりちゃんの顔が、私の微妙な反応で初めて崩れた。うん、ホント何回も言われたんだよね。皮肉たっぷりにね。最初はその裏を知らなかったから喜んでたんだけど、私の鈍感さに業を煮やしたやんちゃ目なグループの子にハッキリと「ネクラだって言ってんだよ」と言われてからはもう、素直に受け取れなくなっちゃったよね。
でも、ふわりちゃんの言葉にそんな裏がないことは鈍感な私でもわかる。だから私は首を左右に振った。
「大丈夫です。気にしてませんから」
『そう? ならよかった。……それじゃ、気を付けて帰りなよー』
「はい。また今度」
私は鞄を片手にソファから立ち上がると、バイバイと手を振るふわりちゃんに頭を下げて階段へと足を向けた。こんな風に友達と挨拶を交わして帰るのなんていつぶりだろうか、胸の奥がぽかぽかしてくる。
……高校で初めての友達がお化けっていうのはどうなの、という心の声は、完全に無視することにした。
図書室がある西館を出ると、鮮やかな夕焼けが影をオレンジ色に染めていた。カラッとした風に運ばれてくる草木の青々とした匂いが鼻腔をくすぐる。梅雨入りはまだもうちょっと先みたい。……そんな風に、季節に思いを馳せられる余裕ができたのも、ふわりちゃんと話せて心が前向きになったからなのかな。
――昔は、そうだったんだけどな。
帰り道、門限を気にしてパタパタと走っていく小学生くらいの女の子二人組とすれ違いざまに、私はそんなことを思う。
今は人見知り前回で、誰と話すときも一言目には「あっ」から始まるどこかの製薬会社のサウンドロゴみたいな私だけど、小学生くらいまではここまでじゃなかった。それどころか、こんな私にも友達がいたんだ。それも、本のことを語り合えるような、貴重な友達が。
そのころの私は乗れるようになりたての自転車で隣町の図書館に通い詰めてたんだけど、その図書館の近くにある公園にはいつも、何故か一人でぼーっとしてる女の子がいた。それが気になってた私はある日、その子を図書館に誘ったんだよね。……うん、昔の私すごい。今だったら天地がひっくり返っても無理。
で、その子に『ほしもり』をお勧めしたら随分と気に入ってくれて、それからちょこちょこ読んだ本のことを話すようになった。あの頃は楽しかったなぁ。隣町から足を延ばしてる私はどうしても先に返らなきゃいけなくて、でもその子は私が帰った後も図書館で本を読んでたみたいで。私が顔を出すたびにこれが面白かった、あれがおすすめだって話してくれたっけ。
……でも、ある日突然、その子は図書館にも公園にも来なくなっちゃったんだよね。校区が違うから学校も違うし、そもそもあの時の私も名前を聞けてなかったしで探しようもなくて。好きなものを語り合える相手がいないのが寂しくて、他にそういう人いないかなって本のことを語ってたら、やりすぎたのかさっき思い出した通りに嫌みを言われたりハブられたりしちゃった。はぁ、ホント私のバカっ……。
……って、そんな苦い記憶のことなんてどうでもいい。今はまた、本のことを語り合える友達ができたんだもん。お化けだけど。
――あの子は、元気にしてるのかなぁ。
元気に走っていく二人組の女の子たちに、名前を知らない友達の姿を重ねた私は、その背中が見えなくなるまで見送ってから止まっていた足を動かす。
――願わくば私みたいにやらかさず、どこかで楽しく本を読んでくれてたらいいなぁ。
そんなことを思いながら、私はちょっぴりセンチメンタルな気分で家路につくのだった。
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