うちの図書室には、幽霊がいます。
ひっちゃん
第1話:で、出るって、何が
私は、本が好き。
物心ついた時からずっと、ページをめくるたびに広がる物語に夢中だった。勇敢な主人公の冒険にハラハラし、仲間との絆に涙し、恋にときめいた。
現実の私はただのモブキャラだけど、本の中では自由だった。私は物語の主人公で、強大な敵とも戦えたし、心の奥がくすぐったくなるような恋愛だってできた。私じゃない私になれる、そんな世界が、私――
……そんな風に、ずっと本の世界に入り込みっぱなしだったからなのかな。
「本村さん、今日この後って空いてる? みんなでカラオケ行こうって話になってるんだけど、よかったら一緒にどうかな?」
現実の世界でこうして誘われると、途端に何も言えなくなってしまうんだ。
授業も終わって帰り支度を進める私の正面に立って穏やかに微笑んでいるのは、クラスメイトの
「え、あ、あの、その」
高橋さんの眼差しが温かくて、なのに言葉が出てこない。
誘ってくれたのは嬉しい。だけど私みたいに根暗な子が紛れ込んだら、場の空気、壊しちゃわないかな。せっかくみんなが楽しくしてるのに、そんな空気をしらけさせちゃったら、どうしよう。だけど断ったら、せっかく誘ってくれた高橋さんのことをガッカリさせちゃうよね……?
どうしよう、どうすれば――そんな考えばかりが頭の中をぐるぐる回って、何も言えないまま高橋さんを見上げて固まっていると、不意にその高橋さんの眉がハの字に垂れた。
「……あ、もしかして今日も図書委員の仕事あった感じかな? ごめんね、無理に誘っちゃって」
「あ、えと、その、はい」
「そっかそっか、本村さんってホント頑張り屋さんだねぇ。また今度誘うから、今日のことは気にしないでね!」
微かに頷くだけだった私に、高橋さんは嫌な顔一つせずにひらひらと手を振って教室を出ていった。その姿を見送った私は、深々とため息をついて机に突っ伏してしまう。
「――また、やっちゃったなぁ……」
私がここ、
喋るのが嫌なわけじゃない。遊ぶのが嫌なわけでもない。でも自分がその輪の中にいる想像をするだけでどうしようもなく不安になっちゃうんだ。私なんかといてつまらなくないかな、邪魔にならないかな、って。
そう、本の中の世界と違って、現実での私はただのモブキャラなんだ。分不相応なことをするべきじゃない。そういうのはそれこそ、高橋さんみたいな人の役割なんだ。私みたいに地味で目立たない人間は、自分の世界でひっそりと生きていればいいんだ。
……そう割り切れてるなら、ちゃんと断ればいいのに。それすら満足にできない私が情けないし、善意で動いてくれているであろう高橋さんにも申し訳ない。
「はぁ……」
重いため息を吐きだして、鞄を片手に立ち上がる。行き先は、私がこの学園の中で一番落ち着ける場所であり、図書委員としての仕事場だ。
私が所属する一年A組の教室を出て左へ。すれ違う生徒たちの邪魔にならないように体を小さくしながら階段を降りて校舎を出ると、少しずつ傾いていく夕日が目に刺さる。
眼鏡の奥で目を細めつつ渡り廊下を歩き、中ほどで右手に折れた正面に見える西館の一階。そここそが私にとっての楽園と言っても過言ではない場所――図書室だ。
引き戸を開けると、吹き抜けの中二階構造になっているどこか開放感のある内装が私を出迎えてくれる。その中を満たすいくつもの本棚には、その一つ一つに私の心をくすぐる、まだ見ぬ素敵な物語が詰まっているんだ。
と、私がそんな感慨に浸っていると。
「あ、本村さんお疲れ様。今日は返却?」
「ひゃっ!?」
左手のカウンター側から声を掛けられて、つい小さな悲鳴を上げてしまった。体をすくませて勢いよくそちらを振り向くと、図書委員の先輩が困ったみたいに笑ってる。
「あはは、ごめんね。びっくりさせちゃったかな」
「ひゅっ、あ、いえ、その、ごめんなさいっ」
先輩の一言に、私はばね仕掛けのお人形みたいに思いっきり頭を下げる。いつもできる限りひっそりと過ごしている私にとって、誰かから声を掛けられるっていうのはいつまでたっても慣れられないことの一つなんだけど、かといって先輩相手に悲鳴を上げちゃうなんて失礼すぎる。
でも先輩は特に気にした感じもなくて、「大丈夫大丈夫」なんて微笑んでくれた。うぅっ、高橋さんにしても先輩にしてもみんなこんなに優しいのに、私ときたら……。
「えっと、それで返却でいいんだよね? 今日は本村さん、当番じゃなかったはずだし」
「あ、はい。その、お願いしますっ」
先輩に促されて、負のオーラを纏いつつあった私は気を取り直して鞄から借りていた本を取り出す。一度に借りられる上限の十冊を積み上げたところで、先輩は少し呆れたみたいに肩をすくめた。
「それ、借りてったの先週だよね? もう全部読んじゃったの?」
「えと、はい。面白くて、つい」
「もしかしなくても、図書室の本全部読破しようとしてる?」
「そ、そこまでは考えてないですけど……」
「あはは、冗談冗談。うちの図書館広いからねぇ、全部読破するなら住み込みでもしないと無理無理」
そうやって雑談しながらも、先輩は手際よく返却の手続きを進めている。私も図書委員として何度かやったことがあるけれど、こんな風に喋りながらなんて私には一生無理だ。
……そんなことよりも、住み込みかぁ。
先輩の言う通り、悠凪学園の図書室は一般的な高校と比べても段違いに広く、蔵書数も群を抜いている。この図書室の存在を知ったその瞬間に、私の進路は決まっていた。
高校の図書館ということもあって開館時間が昼休みと放課後、完全下校前までに限られているから叶わないけど、それこそ一日中ここにこもって本の世界にどっぷり嵌れたならどれほど楽しいんだろう。平日は授業があるから無理だとしても、せめて土日だけでも……!
「……本村さん? 本気で住み込みたそうな目してるけどダメだからね? 流石に先輩として止めるからね?」
「はぇっ!? そ、それはもちろん!」
ど、どうしてバレたんだろう……? というか私だって流石に、それができないことなんてわかってるよ! ……だからこそ、もしできたらって思わずにいられないところもあるんだけど。
内心を看破された気まずさやら恥ずかしさやらで視線を床に落としていた私に、先輩が。
「まぁ、仮に住み込み……泊り? が許されてたとしても、今は止めておいた方がいいと思うけどねぇ」
そんな、気になることを口にした。
「……えっと、その、それって、どういう」
どもりながら問い返した私に、先輩は手続きを終えた本を積みなおしつつ不敵に笑う。
「最近ここ、出るらしいから」
「で、出る、って、何が」
「お化け」
予想だにしなかった一言に、私は完全に凍り付いてしまった。
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