第25話 ユリウスの過去

 翌日の朝、ユリウスは部屋に差し込んでくる朝日で気持ち良く目を覚ました。大きく伸びをして寝床を出ると、寝間着を脱ぎ捨て、ブラウスとフリルのついたスカートに着替える。


 彼は椅子に座って片足を上げながら、独り言ちた。


「……やっぱ、スースーするな。前にズボン履いたのはいつのことだっけか? おっ、いい匂いする。もう朝飯できてんのか?」


 ユリウスは部屋のドアを開け、リビングへと向かった。


「はよざーす、アンナさん。あれ、ソーニャは?」


 ソーニャの姿が見当たらず、ユリウスはスープを運んでいるアンナに問うた。


「おはよう、ユリウスさん。ソーニャさんは、今素振りをしているわ」

「素振り?」

「ええ。……そうやって、自分を落ち着かせようとしているらしいの。彼女、騎士だったんでしょう? その頃は、朝早く起きて鍛錬するのが日課だったみたいだから。でも、朝ご飯ができたから、そろそろ呼んできてもらえるかしら?」

「へえ……分かった」


 ユリウスは外に出て、ソーニャの様子を見に行くことにした。









「……九百九十九、千、千一、千二……」


 ソーニャは近くに落ちていた太い棒切れを使って、ひたすら素振りをしていた。そうすることで、雑念を振り払おうとしていたのである。しかし、どうしても、自分のアイデンティティが崩壊しかけているという事実から、逃れることはできそうになかった。


「おーい、ソーニャ。朝飯できたってよ」


 ユリウスが呼びに来たが、ソーニャは気づかない。彼はソーニャの背後からそっと近づき、その両肩を思い切り叩いた。


「うわあっ!?」


 ソーニャは飛び上がった。そして、ゆっくりと後ろを振り返る。


「ユ、ユリウス殿……何をするのだ! 心臓が止まるかと思ったぞ!」

「あー、わりい悪い。でも、あんたが全然気づかねえもんだからよぉ。ちょっくら脅かしてやろうと思ったんだ」

「そうか……」


 意地悪そうに笑うユリウスとは対照的に、ソーニャは目を伏せた。と、ユリウスが声を荒らげた。


「おい、ソーニャ! 鍛錬に励むのはいいが、ちゃんと飯食え! そうしねえと、元気出ねえぞ!」

「……分かっている。今行く」


 ソーニャは棒切れを庭の隅に置くと、とぼとぼと家に向かっていった。


「けっ、何だよ、張り合いねえなあ」


 ユリウスはソーニャの背中を見ながら、ぼそりと呟いた。










 朝食を終えると、ソーニャは部屋の掃除を、ユリウスは食器洗いを始めた。二人はアンナの家に滞在させてもらう代わりに、家事の手伝いを買って出たのである。ソーニャが黙々と作業をする一方で、ユリウスは音痴な鼻歌を歌いながら手際良く皿を洗っていった。


 ユリウスの方が先に終わり、彼はソーニャの手伝いに回った。ソーニャが床を掃き、ユリウスは窓を拭く。しばらくは無言だった二人だが、不意にユリウスが口を開いた。


「俺、教会の奴隷として生まれたんだ」


 その言葉に、ソーニャは驚いてユリウスの方を見た。


「……ユリウス殿? どうしたのだ、突然……」

「いや、俺、黙って作業すんの苦手でさ。なんか適当に喋ろうと思って」

「適当に話すような話題ではないと思うが……」

「何だっていいだろ。俺が喋りたいんだよ」


 ユリウスはソーニャに背を向けたまま、話を続ける。


「……で、俺は、神の名の下にクソキツい労働を強いられてきたんだ。死んだ牛馬の解体とか、排泄物の処理とか」

「待ってくれ。教会に奴隷がいたなんて話、聞いたこともないぞ」

「だろうな。俺らは、人目に触れることも許されない、汚れた存在とされてたからよ。基本的に教会の地下で暮らしてて、ちょっとでも聖職者どもの気に食わねえ振る舞いをすれば、すぐに折檻された。いや、折檻なんて生易しいもんじゃねえ。ありゃ拷問だった。裸にされて水ぶっかけられて、鞭でひっぱたかれて。今も残ってる傷痕もあんだぜ。見るか?」


 ユリウスはソーニャに向き直って、ブラウスの前をはだけてみせた。彼の胸には、何か細いもので叩かれたような痕や、いくつもの痣があった。


「こ、これは……」


 ソーニャは目を見開いた。教会の非道な行いの証をまざまざと見せつけられ、彼女は言葉を失った。ユリウスは自嘲気味に笑うと、ブラウスのボタンを留め始めた。


「あんた、前に、俺は地下牢の環境を知ってんのかって聞いたことあったよな。俺は聖職者どもに噛みついて、しょっちゅう地下牢に閉じ込められてたから、あそこのクソみてえな環境はよーく知ってんだよ。……で、まあ、そんな感じで、俺は人間扱いされてこなかった。ガキの頃、俺はよく神サマに祈ったもんだ。このつれえ状況から解放してくれってな。リーアス神ってのは、慈悲深い神なんだって話を聞いてたから、俺みてえな可哀想なガキにも手を差し伸べてくれるんじゃねえかって、本気で思ってた。だが、当然ながら誰も助けちゃくれねえ。それどころか、聖職者どもは、お前らは神の奴隷なんだから、喜んで労働に従事すべきだとか、ふざけたことを抜かしやがった。とんでもねえ話さ。だから俺は、神なんていねえって結論に至ったんだよ」

「……」


 いつの間にか、ソーニャの掃除をする手は止まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る