第26話 教会の闇

「おい、ソーニャ、手ぇ止まってんぞ」


 ユリウスに指摘され、ソーニャは慌てて作業を再開した。一通り床掃きは終わったので、次は床を拭く作業である。ソーニャはバケツに汲んである水に雑巾を浸し、きつく絞ってから、部屋の隅を拭き始めた。


「……で、話の続きだけどよ。そんなこんなで、俺はクソみてえな毎日を送ってた。だが、十五になった年のある日、デブ……ハンスに声をかけられたんだ。『お前のその美貌と知性を見込んで提案がある。聖職者になる気はないか?』ってな。ま、我ながら俺はいい顔してると思ってたし、頭も回る方だと自負してたからな。正直言って聖職者になりたいとは毛ほども思ってなかったが、このカスみてえな生活から抜け出せるんだったらもうなんでもいいと思ってたから、その誘いに乗ったのさ」


 ユリウスは窓を拭き終わり、「よし、こんなもんか」と呟いた。窓はピカピカに磨かれていた。


「俺は、聖職者になるための教育を受けた。いろんなこと勉強させられたぜ。読み書きから、この国の『歴史』、あとは聖光教っつう宗教がどんなもんなのか、とかな。ソーニャ、あんたも騎士だったなら、養成学校行ってたんだろ? そこであんたが学んだ内容と大差ねえとは思うぜ。で、一応聖光教の教義については一通り暗記した。まあ、これっぽっちも信じちゃいなかったけどな」

「……だが、その『歴史』は……」

「ああ、嘘っぱちだったみてえだけどな」


 そう言うとユリウスは、ソーニャに倣って自分も床を拭き始めた。あまり広い部屋ではないので、二人でやると作業はすぐに終わった。


 家の外の井戸で雑巾をゆすぎながら、ユリウスは再び話を始めた。


「……で、俺は、見習い修道士として、司教たちについて回って、祭祀の様子とかを見学した。驚いたぜ、すげえ多くの人間が礼拝に来てるの見た時は。いもしねえ神を祀って、効果のねえ呪文的なもん唱えて、挙げ句の果てにお布施と称して信者どもから金巻き上げてんのによ、人々は、リーアス神とやらが救ってくれるって本気で信じてやがった。とんでもなくおめでてえ奴らだって思ったが、裏を返せばそれだけ追い詰められてるってことだと分かった。信仰ってのは、国民にとっちゃ欠かせねえもんだっつうことを思い知らされたんだ、俺は」


 ユリウスは遠い目をしていた。ソーニャはしばらく黙っていたが、やがて一つの疑問が浮かんだ。


「では、なぜ貴殿は女性を演じることになったのだ? 今までの経緯からは、全く見えてこないのだが」

「まあまあ、順を追って話すからちょっと待ってろ。……ある時、聖女が病死したんだ。正確には、

「ことにされた?」

「ああ。その人とは、俺はあんまり関わりがなかったが、割と優しい人だったと思う。だが、ある日を境に、妙な態度を取るようになったんだよ。どっかよそよそしいっつうか、ぼうっとしてるっつうか。それからすぐ、俺は彼女の姿を見なくなって、どうしたんだって聞いたら、病死したって言われた。だけどな、俺が思うに、多分彼女は『真実』を知っちまったんだと思う。俺、その人の部屋から運び出された荷物の中に、古語で書かれた本があったの、偶然見たんだよ」

「……知ってしまったから、消された、と?」

「そうだ。ったく、物騒な話だよな。とにかく、次の聖女を誰にするかっつう話になった。そん時に、ハンスが目をつけたのが、俺だったんだ」


 ソーニャは目を丸くした。思わず雑巾を取り落としてしまい、彼女は慌てて拾い上げ、またゆすぎ直した。


「な……なぜ、男性である貴殿に?」

「ちょうどいい女がいなかったってのもあると思うが、俺は、聖職者になってからは『いい子ちゃん』を演じてたからな。それが気に入ったんだろ。教会のジジイどもに媚び売って、毎日欠かさずに祈って、上品な言葉遣いと立ち居振る舞いして、少なくとも表面上は敬虔な聖光教徒を装ってたからな。いちいち反抗的な態度取るよりも、そうやって体制におもねった方がいい思いできるって学習したんだよ、俺も」

「そうなのか……」

「ああ、そうだ。で、教会は俺を次の聖女に選んだ。だが、流石に聖女っつってんのに男だったら国民から非難されると思ったのか、教会は、次の聖女は人前に姿を晒さないことに決めた。その方がより神秘的になるから好都合だと思ったんだろうな。俺は、教会の欺瞞を嘲笑った。男の聖女なんて、あんまりにも滑稽だろ? 超ウケる、ってやつだ。けどな、俺としても、拒否はしなかった。むしろ、望んで聖女になったのさ。なぜかって、奴隷だった俺が、聖女サマまで成り上がったんだぜ? それがたまらなく気持ち良かったんだ。国民たちが俺に助けを求めてすがってくるのが、すっげえ快感だったんだよ。……どうだ、ソーニャ。俺に失望したか?」


 ユリウスに問われ、ソーニャはしばらく考えた。ややあって、彼女はぽつりとこぼす。


「失望、か……それなら、初めて出会った時にとっくにしている。私が聖女様と崇めてきた存在が、実際は極めて信仰心の薄い……というか皆無な男だったのだからな。今考えれば、あの時、私は既に聖光教に裏切られていたのだ」


 ユリウスは一瞬きょとんとした表情をしたが、すぐに大声を上げて笑い出した。


「はっはっは、そうかそうか! まあそうだよな、慈悲深い聖女サマの中身がこんなチンケな男だったんだもんな! ……でもよ、国民たちの信仰心は嘘じゃねえ。あいつらは、本気で聖光教にすがってんだ。だから、俺はその迷える奴らをなんとか救ってやりたくて、聖女を演じることを決めたんだ。たとえ上っ面だけの言葉だったとしても、それがあいつらの助けになるなら、悪くないと思ったのさ。ま、証拠を集めて、いずれは教会の不正を糾弾してやるつもりではいたが。……話が長くなっちまったな。付き合ってくれてあんがとよ」

「……いや。話してくれてありがとう。おかげで、貴殿のことをより深く知ることができた。貴殿が聖光教を見限った理由も分かったしな。だが……私は、少し考える時間が欲しくなった」

「ん?」

「私は、しばらくこの里を巡ってみようと思う。もしかしたら、私の出自に関することも分かるかもしれないしな」


 ソーニャの言葉に、ユリウスはにっと笑った。


「そうかよ。じゃ、俺も付き合うぜ」

「……その気持ちはありがたい。だが、少し一人にさせてくれないか?」

「おっと、そうか。分かった。だが、あんまり遠くには行くなよ?」

「分かっている」


 ソーニャは家事を一通り終えた後、アンナに事情を話し、少しの荷物を持って家を出た。

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