第17話 逆風の中で

 ソーニャとユリウスはひたすら走り続け——というよりはユリウスがソーニャを引っ張って走らせ続け——、やがて夜になった。どこまで逃げてきたか、もはやユリウスにもよく分からないようだった。


 大きな川の近くで、二人は足を止めた。


「ったく、この服、走りづらくてしょうがねえ。それにあちいし。いっそ脱いじまうか」


 ユリウスが、着ている修道服のスカートの裾を持ち上げ、ひらひらと振った。


「……替えの服は持っているのか?」

「いや。着の身着のままで来ちまったから、他にねえよ。あんたもそうだろ?」

「そう、だな……」


 ソーニャもまた、手持ちは今着ている囚人服のみであった。


 すると、ユリウスが草むらにどっかと胡座をかいた。


「よし、今日はここで野宿するぞ。敷布も何もねえけど、地下牢よりはマシだろ」

「……貴殿は、地下牢の環境を知っているのか?」


 ソーニャの問いに、ユリウスは一瞬固まったが、すぐにニヤリと笑った。


「あんたみてえなを閉じ込めとく場所なんて、どうせろくなとこじゃねえと思ったのさ。っと……腹減ったな。これでも食おう」


 ユリウスはポケットから茶色の丸薬のようなものを取り出した。


「それは?」

「俺の非常食だ。いつか教会の外に出てやろうと思ってな、その時に持ち出すために、こっそり作ってたんだよ。味は不味いが、栄養は保証できる。あんたも食うか?」


 そう言いながら、ユリウスは丸薬を口に放り込んだ。彼はゴリゴリと音を立てて咀嚼し、「うえっ、まじい」とこぼした。捕らえられてから処刑までの間、ろくなものを口にしていなかったため、ソーニャも空腹は感じていたが、あまり食欲が湧かず、ユリウスの誘いを断った。


「何だよ、食わねえと飢えちまうぜ? 下手したら、くたばっちまうぞ」

「……飢えても、構わない。そのまま死ねたら、本望だ」


 ソーニャの言葉に、ユリウスの顔色がさっと変わった。


「あんた、さっき俺があんだけ言ったのに、まだ死にてえとか抜かすのか? いい加減にしろ! いくらエルイーネがあんたを異端とみなしても、俺はそうは思わねえ。あんたも、今回の件でよぉく分かっただろ? 聖光教ってのが、いかに残酷で無慈悲な宗教なのかが。なあ、ソーニャ。自分てめえを異端視した宗教なんて、もう信じるな。あんたも、こっち側に来い」

「……」


 ソーニャはしばらく黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。


「まだ、私は、聖光教を見限る覚悟ができていない。それは、私の全てだったからだ。しかし……このような目に遭って、もう以前のようには聖光教を信じることはできない。それだけは、確かだ。……ユリウス殿。私は、生きていても良いのだろうか……?」


 言葉の後半は、涙声になっていた。そんなソーニャの背を、ユリウスはとんとんと軽く叩く。


「何だよ、今更懺悔かぁ? そーだな、そんな迷える子羊さんには、このが自ら、ありがたーいお言葉を授けてやろう。生きてちゃいけねえ人間なんて、そうそういねえよ。少なくともあんたは、そういう奴じゃねえ。何度も言ってるが、生まれてきたことそれ自体が罪になるなんて考え方なんざ、絶対的に間違ってるからさ。そいつは、天地がひっくり返っても変わらねえ真理だ」

「ユリウス殿……ありがとう。少し、勇気づけられた気がする」


 ソーニャは目頭に浮かんだ涙を拭った。一方のユリウスは、わざとらしくため息をついてみせた。


「へっ、『気がする』程度かよ。せっかく真剣に答えてやったのに、なんか報われねえなあ」


 そんな会話を交わしつつも、二人は草むらに寝転び、一晩を明かしたのであった。










 その後数日間、ソーニャとユリウスは移動し続け、やがて一つの村に辿り着いた。そこで宿を探そうと考えたのだが、村人たちは二人の姿を見た途端、めいめいに農具などの武器を手にして、凄まじい勢いで追いかけてきた。


「わざわざ向こうから来てくれたよ、これもリーアス神の思し召しかねえ」

「こいつら捕まえて教会に突き出せば、いったいいくらもらえんだろうなぁ?」

「臨時収入だ。みんなで山分けだな」


 追ってくる村人たちの間からそんな会話が聞こえてきた。ソーニャとユリウスはやむなく再び逃亡を図ることになった。


「クソ、こんなとこまでもう教会の手が回ってやがった! 俺たち、どうやら指名手配犯になっちまったみてえだ」


 ソーニャの手を引いて走りながら、ユリウスは叫ぶ。一方のソーニャは、諦めの滲む口調で言った。


「……この国には、私たち……いや、私の居場所はないようだ。ユリウス殿、まだ間に合う。私を教会に差し出すのだ。そうすれば、貴殿は罪を逃れられるかもしれん」


 ユリウスは冷笑を浮かべながら、ソーニャの手をより強く引っ張った。


「はっ、今更俺がそんなことすると思うのか? つーか、仮にそうしたところで、あいつらが俺を許すわけねえだろ。本気で許してもらえると思ってるとしたら、あんた、相当おめでてえ奴だな。……よし、こうなりゃ一蓮托生だ。地獄の果てまででも付き合ってやるよ」

「ユリウス殿……なぜそこまで、私を守ろうとするのだ?」

「決まってんだろ。聖光教の犠牲者を救うためだよ。何てったって、俺は徳のたけえ聖女サマだからな」

「……」


 ソーニャは口をつぐみ、目を閉じた。彼女の目尻から、一筋の雫が伝った。

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