第16話 逃亡劇開幕
「聖女」ユリウスは、杭に縛りつけられたままのソーニャを抱え、ひたすら走っていた。大広場を後にし、教会の裏手に回り、森を突っ切って、人気のない細い道を駆けていく。途中で追っ手に迫られるたび、彼は手製の煙玉をばら撒いて煙幕に身を隠した。
「はあっ、はあっ……クソ、重いな! 杭を持って走んのは骨が折れるぜ。よし、ソーニャ、ちょっと止まるぞ」
ユリウスは湖のほとりで一度足を止め、ソーニャを降ろした。そして、彼女を杭に縛りつけている麻紐を解き始めた。しかし、なかなか解けない。
「畜生、かなりきつく縛ってやがる。こんなことに労力割くなんざ、聖職者どももよっぽど暇なんだな。ソーニャ、もうちょっと我慢してくれ。今この紐、ぶった切ってやるからよ」
ユリウスはそう言うと、どこからか鋏を取り出した。そして、ぶつりと音を立てて紐を切った。ソーニャを杭に固定していた全ての紐が切られ、彼女の体は自由になった。
「よっしゃ、できた。これであんたは自由だ。ほら、早く逃げるぞ」
ユリウスは地面に座っているソーニャに手を差し出した。しかし、彼女はその手を取ろうとせず、黙って首を横に振った。
「は? 何で動こうとしねえんだよ。追っ手に捕まっちまうぞ」
眉間にしわを寄せるユリウスに、ソーニャはぼそりと呟いた。
「……私に、逃げる意志はない。もともと、甘んじて処刑されるつもりだったのだ。私は、どうあがいても償えぬ罪を犯したのだから」
その言葉に、ユリウスの目は点になった。ソーニャの言うことが、到底理解できなかったのである。しばしの沈黙の後、ユリウスはソーニャの両肩をがしっと掴んで叫んだ。
「馬鹿か、てめえは! 誰が生まれてきたことそのものが罪だなんて言われて納得できんだよ! ちょっと人と見た目が違うぐれえ、なんだっつうんだ! っつうかよ、てめえは今まで、神サマのため、エルイーネのために人生を捧げてきたんだろ!? それがいきなり全部否定されて、悔しいとは思わねえのか? どうなんだ、あ!?」
「……」
ソーニャはユリウスから目を逸らした。そんな彼女の態度に苛立ち、ユリウスはさらに声を荒らげる。
「俺はなあ、もともと聖光教に対しては毛ほども信仰心を抱いちゃいねえ。だがよ、今回のことで確信したぜ。やっぱりあれは、紛れもねえ『悪』だ! てめえみてえな敬虔な信者ですら、魔女の血とやらを引いてると分かるやいなや、ソッコーで切り捨てるような奴らの集まりなんだよ! 内部から教会を見てきて、聖光教は腐り切ってると常々思ってたが、まさかこれほどクソだとはな。……俺はもう、金輪際あそこに戻るつもりはねえ。ソーニャ、てめえだってホントは死にたくなんかねえんだろ? 俺らには、もう逃げるしか選択肢がねえんだよ!」
いつになく真剣なユリウスの眼差しに、ソーニャの心は揺れた。と、その時、
「いたぞー!」
と、遠くから複数の声が聞こえてきた。どうやら追っ手に見つかってしまったらしい。ユリウスはポケットを弄りながら、焦った声を出す。
「やべえ、もう煙玉の手持ちがねえ! ……こうなったら、最後の手段を使うしかねえようだな」
低い声で呟いたユリウスの手を、ソーニャが捕まえた。
「ま、待て、ユリウス殿! 何をする気なのだ!? 人を傷つけるような真似はすべきではない! ここは、大人しく投降するしか……」
「何だよ、まだそんな寝ぼけたようなこと言ってんのか!? てめえの命が理不尽に奪われようとしてんだぜ? あっちがその気なら、こっちもそれなりに抵抗するに決まってんだろ。……分かった。この際、あんたの気持ちはどうでもいい。俺が、あんたに死んでほしくねえだけだ」
そう言って、ユリウスはゆっくりと、追っ手に向かっていった。
「ユ、ユリウス殿……っ」
ソーニャはおろおろと、ユリウスを見守ることしかできなかった。
ユリウスの姿を認めた追っ手たちは、恭しく礼をした。彼はベールを被ったままなので、追っ手たちに顔は見えていない。
「これはこれは、聖女様。先ほどはいったいどういうおつもりで、罪人を連れ出されたのです? 場合によっては、あなた様も罪に問われかねませんが」
「簡単なことですよ。目の前で、信者の命が消えゆくのを見たくはなかったからです」
ユリウスは美しい女性の声で、流暢に答える。それを聞いて、追っ手の一人が首を傾げた。
「『目の前で信者の命が消えゆく』も何も、彼女を殺そうとしたのはあなた様ご自身ですよね? あなた様も、処刑については同意なさっていたのではありませんか?」
「……ごちゃごちゃうるせえな」
「へ?」
不意に聞こえた低い男性の声に、追っ手たちは困惑の表情を浮かべた。しかし、すぐに気を取り直して、一人がユリウスの手首を掴んだ。
「ともかく、あなた様も一緒に来ていただきますよ。詳しいことは、教会で聞かせて……」
そこまで言うと、追っ手はがくりとくずおれた。何が起きたのか理解できず、他の追っ手たちは「おい、大丈夫か!?」と、気絶した者に駆け寄る。しかし、残りの者たちも皆、次々に倒れていった。
「
ぱんぱんと手をはたいたユリウスに、ソーニャが慌てて駆け寄る。
「ユリウス殿!! いったい何をしたのだ? まさか……」
「安心しろ。殺しちゃいねえよ。ただちょっと、こいつで眠らせたまでさ」
ユリウスは、掌に仕込んであった小さな注射器を見せた。
「そ、それは……」
「とりあえず脅威は去ったんだから、もう何でもいいだろ。さ、行くぞ」
そう言うと、ユリウスはソーニャの腕を掴んで走り出した。彼女はされるがままになっていた。
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