ナヅナ

「あのね、私ね……佐々木さんが気になってて……女の子同士なのに、おかしいよね」


「おかしくない! おかしいことなんてない! 私だって、桜ちゃんのこと好きだから!」


「諏訪ちゃん……」


 その日、私の初恋は雲散霧消してしまった。十数年片思いを続けていたはずなのに、消え去る時は一瞬で、そこに劇的なものはなにも、なかった。









 私、諏訪菫には、好きな人がいる。現在中学生、同い年同じクラスの、隣の席の――桜ちゃん。

 誰に対しても明るく無垢で裏表のない。そんな女の子。私個人の感想としてはフリルとか、ふわふわしたものが似合うだろうなって……


「っ……はぁ、危なかった」


 友達でそんな妄想することは、自分ルールで縛っている。

 私と桜ちゃんは女同士。付き合えるハズもないわけで、ずっと友達として生きる最低限のルール。

 友達以上の想像をしない。それが私が私自身に課した縛りであり。今にも溢れ溢れんとする、そういう感情の抑え方でもある。


 今日も、理性的な私を演じてる。これから桜ちゃんの家に行くというのに、玄関からこんな調子では、部屋に入ると爆発してしまうかもしれない。

 頬を叩いて、気合を入れなおす。ただ痛いだけで効果があるようには思えなかったが頭はスッキリした。


「よしっ……」

 

 もう、数え切れないくらい来た家のはずなのに、インターホンを鳴らす覚悟を決めるだけで、どれほどの時間と感情を浪費しているのだろうか。意を決して、私はインターホンを押す。

 

「はぁ~い」

 

 甘ったるい声が、扉の向こう側から聞こえてきた。がちゃりと鍵の開く音が聞こえて、扉が開く。


「いらっしゃーい」

 

 扉が開いて、一番最初に目に飛び込んできたのはやけに開いた胸元。部屋着だからか、全体的に露出が多い。見ないようにすればするほど、意識が向いてしまう。私が羽虫だとしたら、桜ちゃんは蛍光灯だ。方向感覚が狂わされる。


 目を細めながら、極力何も見ないようにして家に入る。だが、家に入ろうが何しようが桜ちゃんの露出が減るわけではないというのが分かり、太ももをつねりながら歩いた。

 桜ちゃんの後ろをついていく。慣れた廊下と階段を上がって、突き当たって右が桜ちゃんの部屋だ。

 部屋に入る時はいつも緊張する。私のいつもの緊張度合いが200だとしたら、今日は2万ぐらい。なぜなら、今日私がここにいる理由は……昨日の放課後まで遡る。





「ねぇ、諏訪ちゃん。諏訪ちゃんって恋したことある……?」


 窓枠に腰掛ける彼女は、唐突にそんなことを呟いた。恋? いや鯉 ちがう濃い じゃなくて故意でもなくて…………恋。その単語だけが、脳内で巡り巡って、彼女の真意を解き明かそうとする。

 何か、試されてるのだろうか。ここで私が好きだって言えば――もしかしてOKされるのか!? 

 放課後の教室、夕日が彼女の顔を薄く照らして――いつもとは違う、彼女を見せる。大人の魅力のような妖しい気配を漂わせながら彼女は、私の前の椅子に座った。


「同じクラスの……人にとか」 


 私は平静を装って、忘れていた教科書をかばんにしまい込んでから、「いないよ」と言おうと――言おうとしたのに、


「いる……同じクラスに」


 私の口は、いや心のどこかは未だに、彼女のことを諦めきれないようで気付けば本音を言っていた。

 

 そして長い、永い静寂を経て、彼女は口を開いた。


「……明日。大事な話がしたいの。家、来てくれる……?」


 そう言って、彼女は一人教室を飛び出していった。取り残された私は、とりあえず椅子に座ってみる。


 ――心臓が、破裂しそうなぐらい高鳴っていた。机に突っ伏して息を整える。

 その可能性は、どれほど有る? 私の恋の矛先が彼女だと、彼女自身が知っている確率は? 知ってたとして、大事な話って。後日に引き伸ばす理由とは? 考えれば考えるほど、私の思考は悪い方に回路を組み立てていく。

 ネガティブに、マイナス思考で、否定的な、考えることを放棄したい。

 こんな物と、自らが作り出した思考回路を手にとって握りつぶす――そうすると、彼女との今までの関係も潰れてしまう絵が浮かぶ。


 心臓の音が、次第に落ち着いてくる。冷静にもなった。嫌だ。私は桜ちゃんに嫌われるようなことは死んでもしたくない。


 ――だけど、もし、もしそうだとしたのなら。少しでもその可能性があるのなら……立ち止まってなんていられない!






 そして、来る今日。いつもと同じ桜ちゃんの部屋なのに――重力が違うというか、一歩一歩の歩みの重みが違った。震える足で座り込んで。向かいには、桜ちゃん。

 いきなり、大事な話を始めるわけにもいくまい。最初は軽い世間話からでも……と思っていたのだが、泥の中で溺れているような閉塞感と窒息感に襲われて、意識的に呼吸をしなければ呼吸器官が正常に機能しない。沈黙が肌をすり抜け、神経に直接触れるかのように痛む。私はそれに耐えきれず、訊いてしまった。


「……それで、大事な話って?」


 突然のことに、面食らった表情の桜ちゃん。


「あっ……えっとね。今日は……」


 歯切れ悪く言葉を紡ぐ。流石にいきなり過ぎたと思って、話題を変えようとした時、桜ちゃんが勢いよく立ち上がった。 


「あ、飲み物! 私飲み物取ってくるね」

「あー、ありがと」


 複合的な意味で、お礼を言って。私は部屋に一人になった。

 ……この間に、どうにかこの凝り固まった頭と霧がかっている心をもとに戻しておかねばと思うばかりで、時間が経つのは早かった。


「おまたせ」


 桜ちゃんが帰ってきた時、早すぎると感じたが、チラッと時計に目をやると既に十分以上が経過していた。ただ体感時間がとんでもなく短かったからそんな勘違いをしたわけではなく、桜ちゃんが帰ってきた時点でも私の頭はなんの話のタネもなく、まだこの場の空気に飲まれていたから。


「ごめんね、待たせちゃって」

「いや、全然大丈夫よ」


 差し出し置かれた飲み物――おしゃれなカップに注がれた桜ちゃんが見繕ったハーブティーとやら、私には味の差異がよく分からないのでいつも美味しい美味しいといって飲んでいた――を口いっぱいに含んで。飲み込む。同時に心のモヤとか流れ押し込めれば良いなと思いながら。

 すると、桜ちゃんが先に話を切り出す。

 十分以上。ハーブティーの準備にそこまでの時間がかかることはないだろう。だから、桜ちゃんもそのその十分で覚悟を決めてきたのだ。ここで私が臆病になるなんてことは失礼に値すると思って、しっかりと桜ちゃんの目を見て、私は聞く準備を整えた。


「あのね、私ね……佐々木さんが気になってて……女の子同士なのに、おかしいよね」


 佐々木さん、確かいつも図書室にいる、眼鏡を掛けた、美人系の女の子だ。

 人と積極的に関わるような性格の子ではなく、人懐っこい大型犬のような性格の桜ちゃんが好きな私からしたら、佐々木さんのような猫っぽい人、少し苦手だった。


 桜ちゃんはずっと一人で抱え込んでいた恋心を発露したことによって止められなくなった感情が、目から溢れ続けていた。

 私はそんな桜ちゃんを見て、居ても立っても居られなくなって、その感情を少しでも消してあげたいと思って思い切り抱きしめた。


「おかしくない! おかしいことなんてない!」


 気づけば、そうはっきりと言っていた。


「私だって、桜ちゃんのこと、好きだから!」

「……諏訪ちゃん」


 それまで隠していた感情を晒したのは、もう私のすべてを捧げてでも桜ちゃんが幸せになってほしいと思ったからだ。私のように、恋愛感情をひた隠ししてこんなつまらない失恋をしてほしくないと思ったからだった。

 桜ちゃんはとても驚いた様子で、私の顔をまじまじと見て、私の肩を強く押して離れた。


 私の手のひらには、未だに桜ちゃんの熱が籠もっていた。いや、これは自分の熱かもしれない。本音で触れ合った感傷の熱かもしれない。でも、この熱さを忘れたくなくて、私は拳をぐっと握りしめた。


 すると、桜ちゃんが私のその手を握って、さっきの私以上に強く大きく声をあげた。


「も、もう一つ秘密があるの! 聞いてくれる?」


 桜ちゃんは、どこかぎこちなさそうに目を逸らしながら、その感情を吐露していった。 いつにもまして、桜ちゃんの目に熱が入っている気がした。


「あの……実は私ドMで、罵りながらひっぱたいてくれるような人を探してたの」


 ……桜ちゃんの言葉が、うまく飲み込めない。ドッキリかもと思ったが、あれだけ真剣な話の直後にこんな変なお巫山戯をするような子でないことは私が一番わかっている、つまり、これは掛け値なしの桜ちゃんの本音であると言える。


「うちの学校じゃ、ドSっぽいのって佐々木さんしかいなかったけど、もし諏訪ちゃんが虐めてくれるなら、きっともっと興奮すると思うの!」


 話を要約すると、桜ちゃんは実はドがつくほどのMで、佐々木さんはその見た目と表面の人当たりからSっぽいから気になっているだけのようだった。

 桜ちゃんは、叩かれたり、冷ややかな視線を浴びせられたり、そういうことに興奮を覚える体質のようだ。佐々木さんに積極的に話に行くのも冷たい目で拒絶されたかっただけのようだ。




「えーっと、ごめんなさい」


 その日、私の初恋は雲散霧消してしまった。十数年片思いを続けていたはずなのに、消え去る時は一瞬で、そこに劇的なものはなにも、なかった。

 親友が思っていた以上に変態で、ついていける気がしなかった。というか、幼馴染に女王様みたいに接するのはムズいって! いや、別に嫌いになったわけでも、距離を置こうとか考えているわけじゃないけど。どれだけ変態でも桜ちゃんは桜ちゃんだから。是非、佐々木さんと幸せになってもらいたい。


「えーっ!? どうして? じゃ、じゃあ一回だけならどう?」

「な、何が一回!? どこまでが一回なの!?」

「一回! 一回だけペンって叩いてくれたら満足だから!」

「嫌だよ!? 友達をひっぱたけるわけ無いじゃん!」


「えーっ、ペンペンしてよぉ!」


 ナヅナに謝れと、私は心の底からそう思った。

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