アザレア

 最近、ケータイの着信音が恐ろしい。

 電話に出ると、確実に気分が落ち込むことになるからだ。


 平日は、就活に失敗した過去の私の尻拭いをするため、一日中歩き回っている。足が棒になっても、目の前に白昼夢が見えても、しかしなんの成果も得られない。

 自罰的な外出を終え、家に帰ったとしても、現実と自室の境界線を越えた私に、母親から進捗を訊く電話がひっきりなしに掛かってくる。何度も、何度も。

 電話に出ないでいると家まで来るもんだから、電話を捨てようとも捨てられない。


 今日も面接だったが、上手くいった気はしない。いや、久しぶりの面接だが、不採用と確信していた。

 あたりは仄暗くなり、電飾に明かりが灯されだす。

 ぁあ、辛い。目の前に映るきらびやかな都心の光ですら、地獄の釜から湧き上がるマグマに見えて、私の目が焼かれそうだ。


 そうして、重い足取りで帰路を進む。とにかく、早く帰りたかったから、目の前から接近してくる相手に気づかなかった。


「あれ? もしかして、楓先輩ですか……?」


 光に沿って街路を歩くだけの私にとって、その声は――細胞の一つ一つの細部にまで入り込み、棘を刺されるような、感覚を与えた。


 昔の知人に出会うのは、それほどの衝撃があった。


 全身の感覚器官が悲鳴をあげる。今すぐ走って逃げ出せと叫ぶ。

 私はもう、昔の私とは違うから、あのときのような若さも、全能感も持ち合わせていない。

 くたびれたスーツに、曲がった背骨、荒れた肌にクマのひどい目元。

 輝かしい私の青春を知っているものなら、誰もが口を抑えて目をかっぴらく、この変わりよう。

 それでも私は欠片も残っていないような高校時代の記憶を思い出しながら、必死こいて、後輩の前で格好つけようと背筋を伸ばし振り返った。


「霙。偶然だね、久しぶり」


 一体私は、何をしているのだろうか。もはやこの演技が虚栄が、正しいのかどうかもわからないのに、この場を一言、二言ですり抜けて、先に待つのは一体何なのだろう。


「……久しぶり、ですね。お元気でしたか?」


 佐々木霙。彼女は高校時代の後輩で、私をよく慕ってくれていた。

 きっとお互い、一番仲の良かった先輩後輩の関係。いや、きっとではなく確かにあの頃は、霙と二人でいるときが一番楽しかった。そしてそれは向こうも感じていたと思う。


 大学生になっても、ちょくちょく遊びに誘った後輩は霙だけだった。

 しかし就活の時期になると私は忙しさから連絡することはなくなった。


「先輩こそ、こんなところでなにしてるんですか? お仕事帰り……にしては遅すぎますけど」


 時刻は二十三時。普通の会社員なら既に帰って、目の前の後輩のように普段着でコンビニに行くような時間帯だろう。


「あー、えっと。ちょっとウチは今繁忙期でね……」


 口からでまかせを言う、後々バレても今だけ隠し通せれば――私は、ここ最近の自分の生活を鑑みながら考える。

 毎日朝早くから紙に名前を書いて、歩きずらいヒールで歩き回って、汗だくになりながら面接会場まで向かって、なにをしても、なにを言っても面接官からの食いつきが悪くて、絶望しながら家に帰って、母親にそろそろ実家に帰ってくるか、結婚するか選べと釘を刺され、安らぎの空間などどこにもなくて、夜も明日が怖くて寝付けなくて、悪夢を見て……朝起きると、なんでこのまま永遠に眠らせてくれないのかと思ったりする。――そんな私が、どれだけ虚勢を張っても見苦しいだけだ。


「いや……就活に失敗してね。もうかれこれ八年間フリーターなんだ」


 私は、久しぶりにあった後輩にヘビー過ぎる近況報告を始める。もうこの際行けるところまで行ってしまおうと、半ば自棄になっていた。


「今日も面接があったんだけど、反応的に駄目っぽくてさ……」


 言葉を紡いでいく毎に、慕ってくれていた後輩に情けない姿を晒す惨めさで、私は最終的に泣いた。


「……あれ、ごめん、わたしっ、情緒が変なことに……っ」


 涙を拭いながら、私はもう限界に達しその場を立ち去ろうとした。

 しかし、そんな情けない私を霙はそっと抱きしめてくれた。


「先輩……大丈夫ですよ。先輩がどんな姿になったとしても、私にとっては尊敬する楓先輩のままですから……だから、今日、今だけはもう、頑張らなくても良いんですよ」


 人生に疲れた私は、馬鹿馬鹿しい選択をしてしまったと今でも思う。


 そのまま私は、流れるように霙のマンションに行き、ベッドに横たわっていた。





 いつも、霙が寝ているベッドに入り込み。なぜか寝かされていた。ラベンダーのいい香りが鼻腔をくすぐる。私の家は、三年前から石鹸しか置いてない。


 霙のマンションは広かった。広すぎた。タワーマンションというやつだろうか。エントランスが異様なほどだだっ広いと思っていたが、一部屋がこれほどのサイズならばあのエントランスも頷けた。

 そんな部屋を見て、少し放心していた私からスーツを剥ぎ取りベッドに寝かした霙は、廊下の奥へ消えていってしまった。

 横になりながら、部屋を見回してみる。整理整頓された室内、隅々までが綺麗に清掃されている。家具の一つ一つが宝石のように輝いている。明らかに高そうな家具類だった。テレビもデカすぎて、逆に見づらそうだった。


「あ、先輩。部屋寒かったですか?」


 私が部屋を見ていると、霙が廊下の奥から帰ってきていた。

 どうやら、掛け布団を首まで掛けている私を見て、寒がっていると勘違いしたようだ。


「ごめん、これはふかふかのベッドが久しぶりだから……」


 うちには30年選手の羽毛が潰れた布団しかないから……こんなディズニーランド横のホテルのようなベッドに横になったのは……あれ、マジで修学旅行以来か……?


「あはは、そうですか。それなら好きなだけ寝ててください。あと、お風呂が沸いたのでいつでも入ってください」

「あ、ありがとう……え? 霙は?」


 家主を差し置いて、先に風呂に入っても良いのだろうか。


「私はもうお風呂入りましたし。先輩どうぞ」

「じゃあ、入ってくるね。ありがとう」


 どうやら、霙が消えていった廊下の奥に風呂があるらしい。


 ベッドから床へ降りたとき、無音だったことに私は驚いた。床が鳴らない。私の築72年アパートなんか、床が抜けるんじゃないかってぐらい危険な音が鳴り響くのに。夜中に床を踏みしめようなら、ご近所トラブル待ったなしの私のアパートと違い、ここでは夜中に縄跳びをとんでも何も言われなさそうだ。

 そして私は、長い長い、長い廊下を進んで大浴場にたどり着いた。


 ……本当に一人用の風呂かこれ? もうほぼプールだなこんなの。

 うわ、シャンプーが四つ位ある。どれを使えばいいんだ? コンディショナーも同じぐらいあるし。凄い、シャンプーってこんなに泡立つんだ。いや、それぐらい知ってるし。……情緒がヤバいことになってる気がする。さっさと風呂に入って上がろう。そして帰ろう。ここにいると、私が私でなくなってしまう気がする。


「……はあ」


 片やボロアパートでフリーター。

 片やこんな高級なタワマンに住んでいる。

 同じ高校に通っていたとは思えない差がある。

 いや、霙は昔から要領が良かったし、こうなるのも当然か。

 私は所詮、子どもの浅い世界でしかはしゃげないつまらない人間だった。ただそれだけ。


 もう一生入れないような巨大浴槽だったが、私は早々に上がった。

 脱衣所には既に着替えが置かれていて、いつの間にと驚いた。しかし、もう帰るつもりなので私は今しがた脱いだスーツをもう一度着る。

 そして、長い長い廊下を進み、リビングへ戻る。


「早いですね、先輩……あれ? 着替え置いてたんですけど、気づきませんでした?」

「いや、大丈夫。もう帰るから……」


 そう言って、私は自分の鞄を抱える。


「えっ!? もう帰っちゃうんですか!? ちょっと待ってください」


 予想以上の反応が帰ってきた。そこまで私をここにとどめたい理由とは、私を小さくして食べるつもりなのか?


「ご飯もすぐ出来ますから!」


 どうやらそういうわけではなく、霙はキッチンでどうやら料理をしているようだった。さっきから香るこの匂いは食べ物の匂いだったのか。

 作ってもらって、食べないのも失礼かもと思い、私は胃袋に従って席についた。


「じゃあ、ご飯食べたら帰るから。なにか手伝う?」

「そうですか、良かったです。もうすぐ出来るんで、座って待っててください!」


 鍋がかき混ぜられている音がする。少し時間が立つといい匂いが私の鼻に匂ってきた。


「おまたせでーす」


 そうして、ビーフシチューが二人分テーブルに並ぶ。私はスプーンで掬って口に含む。


「美味っ」


 口の中いっぱいに広がる旨み、めちゃくちゃ美味しい。霙がこんなに料理上手だとは思わなかった。


「え、本当に美味しいね。これ。店出せるレベルじゃん」

「えー、本当ですか? ありがとうございます」


 マジで美味くて、三杯ほどおかわりしてしまった。

 霙も褒められているようで嬉しいのか、おかわりするたび、笑顔になっていた。

 そういうのを見ながら食べるのも、また悪くなかったり。ご飯を誰かと一緒に食べるのは、それだけで満腹感を与えてくれるのだと知った。


 夕食も終え、私は洗い物ぐらいやろうと言ったのだが、


「いーですって、楓先輩は大人しく座ってゆっくりしててください」


 促されるまま、私は天使の羽根のような触り心地のソファに腰掛け、テレビを見ていた。もう数年テレビなど見ていないので、見たことない人ばかりがテレビに出ていて、面白味に欠けていた。ザッピングして、特に欲しくもないテレビショッピングで止めてボーッと眺めていた。


「あ!! 違う、帰るんだった」


 夕飯を食べたら帰るつもりだったのが、完全に向こうのペースに乗せられていた。私は急いで鞄を手にとって玄関へ向かおうとする。これ以上この家でもてなされたら、私はジャム・ザ・ハウスネイルになってしまう。


「霙、ありがとうね。元気出たと思うじゃあ私はこれで……」


「待ってください、先輩」


 後ろから肩をぐっと掴まれて、そのままベッドに押し倒された。


「み、霙……!?」


 霙の顔が、私の鼻先まで迫っている。


「楓先輩。このまま、ウチに住みませんか?」


 瞬間、背中にゾクリと嫌な予感がした。


「楓先輩は、今まで頑張ってきたじゃないですか。それがちょっと休憩しただけで世界から弾き出されるなんて、あり得ないですよ」 


 人間誰しも、選んではいけない選択肢が表れることがある。

 その先は楽しそうで、楽そうで、天国のように見えるけれど。

 近づくにつれて、しっかり目に見える距離まで行くと、それは一時の泡沫のように淡く、消える。


「もし、先輩がどうしようもなくなったら……私が貰ってあげます、から……」


 これも、その一つに過ぎない。

 

 一見、一目、ラッキーなことのように思えるが、求めて伸ばせば手から炎が上がって、全身を焼き尽くしてしまう。そんな危ない光だ。


「い、いや……私は」


 霙の鼻先が、私の鼻先を掠めると、耳元へ移動する。


「いいじゃないですか、昔の先輩は誰からも頼られるような、完璧人間だったんですから。今ちょっとダメなぐらいがちょうどいいですよ」


 囁きが、私の耳から全身の神経を刺激する。 





 夢を見た。

 霙と初めて出会った時の記憶が夢として蘇ってきていた。


 高校生の時分は、人との関わりで自己を保っていた気がする。誰かに頼られ、それに親身になることで、自分の存在意義のようなものを確立していたようだった。

 だが、それはそれとして疲れを感じることもあった。周りに人が集まってきてくれる状況は嬉しくはあるが疲れる面もあった。

 なので私は、たまに誰もいない場所――専ら立入禁止の屋上――で小休止を挟むのが、その頃のマイブームだった。


『あれ? 優等生の先輩が、なんでこんなところに?』


 そこで出会ったのが、霙だった。





 飛び起きた。目の前の異様な光景に、事態の飲み込みに数分の時間を要した。

 そうだ、私は霙の家に来て、この家で暮らさないかって誘われて……

 隣には、肌着の霙が寝ていた。……うわっ!? よく見たらベッド広すぎ! 二人で寝ても寝返りがうてるぐらい広い……怖い。


「霙!! 霙ってば!!」


 私は霙を揺すり起こした。低血圧の霙は、かなり強めに呼びかけないと起きない。


「う、うーん、楓先輩……おはようございまぁす」


 起きた霙は徐ろに立ち上がるとキッチンへ歩いていった。


「朝ご飯、作りますねぇ」


 目覚めたばかりの霙は半覚醒の状態で、危なっかしかった記憶がある。


「私も手伝うよ」


 そのため、私もキッチンへ入り込んでフォローに回ろうと思った。


「あ、それじゃあお米を……」


 しかし、私は贅沢と無縁の生活を送っていた。そのため、炊飯器はおろか米を見たのが実家以来だった。


「……あの、私炊飯器買ったことすらないんだけど……どうやって使うの?」


 私がそう訊くと、霙は驚きのあまり完全に目を覚ましていた。


「……じゃあ先輩は、座ってテレビでも見ていてくれますか?」 


 解雇された。まさか家事ですらクビになるなんて、私は根本的に働くことが苦手なのかもしれない。



 朝食は和食だった。米に味噌汁、焼き鮭のごきげんな朝食だった。二人一緒に「いただきます」と手を合わせ、味噌汁を啜る。あったけぇ~。そういえばそもそもあったかいご飯を食べたのが数年ぶりだ。


「先輩は今日なにするんですか?」

「うえ? あー、今日は、あ!」


 そうだ。面接にいかないと。予定は十時から……今は七時だから……七時!?

 早起き過ぎる。いつもなら十時予定の日は九時とか九時半に起きて急いで行くのがデフォルトだったのに。この調子だとしっかりご飯を食べて身だしなみを整える時間があるのでは……?


 その後も、ゆっくりご飯を食べた後、顔を洗って歯磨きをして、そういえばスーツはどこにいったんだろう。


「あ、先輩。これどうぞ」


 唐突に、霙から渡されたのはスーツだった。けど、私が今まで着ていたものじゃない。


「昨日先輩が着てたスーツボロボロだったんで、今日はこっち着て行ってください」

「ありがとう……」


 ボロボロ……? 一週間前に一念発起して買ったばかりのスーツが……? 社会の荒波に揉まれてそんな事になったのかな?


「それじゃあ。いってらっしゃい、楓先輩」


「う、うん。いってきます……」


 私はほんの少し、魚の小骨ほどのしこりを残し、面接へ向かった。

 でも今の私は、健康状態良好、スーツもバカ高そうな一張羅、それに、帰る場所と相手がいる。それだけでもとても心強く、いつものような絶望に打ちひしがれてしまうようなことはなかった。





 


 扉が閉まって、鍵を閉めるまで表情はキープしたまま。私は昨日から張り詰めていた緊張の糸がようやく緩むのを感じた。


「はわわわわ、ま、まさか先輩と出会うなんて……」


 いつか会いに行こう行こうとして、結局勇気がでなくてズルズル引き伸ばしていたのが、昨日いきなり街中で再開するなんて。とても運命的で、あのときは飛び上がりそうになった。

 その後は、先輩を家に招待して、とりあえず落ち着かせてあげたかったからお風呂を沸かして……あと、個人的な話だけど手料理を食べてほしくて超特急で得意料理作ったなぁ。まあお風呂から上がるのが早すぎるのと、そのあと帰ろうとして、凄い強引に引き止めちゃったけど……変に思われてないといいな。

 でも、そのおかげで私のビーフシチューは美味しいって言っておかわりまでしてくれたし、凄く嬉しかった。


 そして、帰りそうになった先輩を無理矢理押し倒して私は……思い出しただけでも頭が沸騰しそうだ。よくもまあ、若いときには出来なかったことが、歳を取ってから出来るようになるなんて。成長なのか退化なのか、よくわからない。


 私もそろそろ会社にいかないと――






 初対面で、ドのついたお人好しだと思った。出席日数も足りないような私のことを心配していたから。それに、不器用だとも悟った。


『私は優等生だから、霙を説得していただけって言い訳が使えるけど、霙は私にチクられたらアウツじゃん?』

『はー、ずっこいですね。それが優等生サンのやることですか』

『だからさ、ここは私の居場所なわけよ。霙は霙の教室に帰りなよ』


 目が泳いでる、棒読みだし――何を読んでるのかはわからないが――、なんだかソワソワしてる。演技することが恥ずかしいなら、正面から教室に帰ったほうがいいと言ってくれればいいのに。


『嫌です。あ』


 そうだ、面白いことを考えた。


『先輩って運動部の助っ人によく出てるらしいじゃないですか……北高バスケ部との練習試合、勝てたらいいですよ』


 先輩は、だいぶ考えた後、了承してくれた。ウチの同好会レベルのバスケ部が、全国常連の北高バスケ部に勝てるわけがない。これで心地よくサボれる。


 ――そう思っていたのも束の間、何やら体育館が騒がしくなった。この前まで人なんて寄り付かなかったというのに。

 まさかと思い、嫌な予感がして体育館へ足を運ぶと、そこには必死に練習するバスケ部とあの先輩がいた。


 汗だくになりながら、喉を絞って叫び、バスケ部でもないのに、誰よりも全力だった。

 私は、その夜少しだけ、バスケのルールを調べて寝た。



 そして、練習試合当日。

 勝てるなんて微塵も思ってない。けれど、虚偽の報告をされた時、水掛け論になってしまうので仕方なく私も観戦することにした。

 どうやら、というか当たり前だが、北高はうちのような弱小チームとは二軍の選手が戦うらしい。まあ正しい判断だろう。うちのバスケ部は練習試合とは思えないほどに熱が入っていた。だからといって、気持ちの強さで勝ち負けが決まるわけではない。二軍とは言え北高の面々はうちのバスケ部より一回り大きかった。圧倒的な力の差があるように、思えた。


 いや、実際に確かに力の差はある。だが、それに一人対抗していたのが優等生の先輩だった。あのとき体育館で見た以上の熱量で、北高の二軍と相対していた。

 そのかいもあってか、中々に肉薄していた。しかし肉薄に過ぎない。喉元までは届かない。残り三十秒で四点差があった。スリーを決めても二回、それ意外は三回ゴールを奪わなければならない。もうほぼ勝負は決した……かと思われたが、先輩がボールに飛びかからんとすると、気圧された北高の選手は一瞬気を抜いてしまったようで、うちのバスケ部にスティールされた。

 完全に攻勢に出ていた北高のディフェンスは穴が多く、スティールでボールを奪った部員は完全フリーでシュートを打てた。

 残り十五秒。北高は完全にディフェンス重視で試合を終わらせるつもりだった。だが、ここに来てうちのバスケ部が北高といい勝負をしていた。そして残り五秒という時間でボールを奪うことに成功した。

 最後のパスは、先輩へ渡った。

 ラスト二秒、二点差、先輩がスリーの体勢に入り飛んでいた。真剣な眼差しは、どこまでが私のためなのかわからないほど真っ直ぐにゴールを見ていた。気づけばホイッスルが鳴り、得点表が動いていた。


 結果はうちの勝利。私は何度も目を擦って確認した。しかしどうやら本当に勝ってしまったらしい。


 バスケ部と一緒に勝利を噛み締めていた先輩が、何かを探すように当たりを見回していた。何をしているのかと気にしていると、私のことを見た。私を探していたようだった。

 そして私に向かって何かを言いながら、満面の笑みで手を振ってくる。ずっと何かを言っていた。しかし、私の心音が破裂しそうなほど高鳴っていたので、聞こえなかった。








 懐かしい。あれから十年以上経つのね……もっと早く思いを伝えたかった。でも、これからいくらでもチャンスは有るはず……


「社長! 社長!!」

「え? ああ、ごめんなさい、聞いてなかった」


 そうだ。今は会議中だった。集中しなきゃ……


「あ、先輩から電話……ちょっと席外すね!」


 私は廊下に飛び出すと、通話ボタンを押した。


「もしもし? どうでした?」

『霙、わっ私……今度こそいけるかも!』


 上擦った声に、喜んでいいのか心配していいのか、でも私は先輩のことを信じてるから、決める時は決めてくれる人だって。


「それはおめでたいですね! 今夜は先輩の好物のカキフライでも作りますか」

『本当!? じゃあすぐ帰る!』


 通話を終えると、私はケータイを握りしめ、今夜の献立を考えながら会議室へ帰ることにした。

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