第6話 一緒に過ごす毎日に向って

「け、結婚、しないか?」


 そんな言葉が秀太の口から聞けたのは、付き合い始めてから、一年ほど経ってのことだっけ。

 お互いに、三十路を目前に控えた、桜並木の下でだった。

 満開に咲き誇る薄紅の花たちが、祝福してくれているように思えた。


 けどね、それを今ここで言う?

 しかも、お飾りもオブラートも何も無い、ド直球で。

 何の前触れもなくて急に言われて、口から心臓が飛び出しそうだし。

 それに、周りに人もいる。

 時間と場所を考えられないのは、あなたらしくはあったんだけどさ。

 でも、やっぱり恥ずかしいじゃない?


「もう……デリカシーがないんだ」


「はは……ごめん。でもずっと前から考えててさ、だけどなかなか勇気が出なかった。だけど、今なら言えるかなって思ってさ」


 硬い表情をしている。

 きっと真剣に考えてくれていて、それが今だったんだな。

 しょ~がないなあ、そんなの、答えは決まっているけれどさ。


「はい。よろしくお願いします」


「……え!? それって、オッケーってこと?」


「うん、そう言ってるでしょ。ありがとう、嬉しい」


 その時のあなたの笑顔は、本当に忘れられない。

 まるで限界突破のリミッターが外れたみたいに、頭上にある満開の桜のように。

 子供のように無邪気で、どこまでも清々しくて。

 そんな顔できたんだ、初めてだね、見せてくれたのは。


 きっと私もその時には、同じように笑っていたと思う。


 プロポーズってどんなのかなって、ずっと想像してた。

 黄昏色に染まる海辺で、百万ドルの夜景を眼下におさめながら、青く澄み渡った異国の地で、二人きりで……一体どんなのだろうって。

 その時は、きっと泣いちゃうんだろうかな。

 それとも恥ずかしさで、俯いてしまうのかな?


 残念ながら、そのどれもが不正解だった。

 ここは近くにある真昼の公園、お花見を楽しむ人だって沢山いる。

 ちょっと恥ずかしくはあるけど、私は泣いてない。

 あなたに向って、同じように満面の笑みを向けている。


 幸せだ。

 好きになってから、ずっと離れ離れの日々が続いていた。

 もう会うこともないだろうと思って、あなたのことなんか忘れかけていた。

 でもあなたへの想いの種火は、きっと私の中で、淡く燃え続けていたんだね。

 それが今昇華して、満開の桜のように、咲き誇って弾けたんだ。


 そよそよと吹きそよぐ春風が優しい。

 桜の木の間から零れ落ちてくる陽気が暖かい。

 ずっとこうしていたいな、あなたと一緒に。


 思わず手を握ってしまうと、あなたもきゅっと握り返してくれた。

 いつもの、不器用な笑い顔と一緒に。


 さっきの笑顔は、もう見せてくれないのかな?

 ううん、大丈夫。

 きっとまた、いつか。


 だってこれからは、ずっと一緒にいるんだものね?


 でもこれって、私たち二人だけの問題じゃないんだ。


 お互いの家族に挨拶をしにいくと、どちらから向けられる視線も、柔らかかった。


「あ、朝美さんを、僕に下さい。一生かかって、幸せにして見せますから!」


 私の両親に正対して正座したあなたが頭を下げると、お父さんが留飲を下げたように思えた。


「秀太君だったね。頭を上げてくれ。今日は泊っていけるんだったね。一緒に飲もうじゃないか」


「は、はい!」


 すごく強張っていて余裕もなくて。

 でも、私が言って欲しいことは、ちゃんと両親に向って、言葉にしてくれた。

 その日は夜遅くまで、両親と一緒に、お酒を飲みながら話をしたっけな。


「朝美ちゃん、いい人を見つけたわね」


「ありがとうお母さん。そう思ってくれる?」


「ええ、あなたが見つけた人だもの。それに会ってみて、いい人だってのは分かったわ。二人で幸せになってね」


 酔いつぶれて寝ている男性二人に目をやりながら、小さな声をくれたお母さん。

 いつも優しくて、私のことを一番に考えてくれていたお母さん。

 もっと長く、一緒にいたかった。

 でもごめんなさい、私は今、一番一緒にいたいなって想う人を、他に見つけてしまったの。


「……ありがとう、お母さん……」


「もう……泣くんじゃないのよ。こんなにおめでたい夜なんだから」


 そう言ってくれながら背中をさすってくれたお母さんの手の温もりは、まだ忘れていないよ。

 形には残っていないけど、ずっと心の中に残ってる。

 私にとっての宝物の一つだから。

 

 例え結婚したって、私はあなたの娘だよね?

 大人になるまで育ててくれて、それからも遠くからずっと見守ってくれて、ありがとう。

 ずっとずっと、大好きだから。

 これからも、長生きしてね。


 お母さんが止めるのも聴かないで、私は大泣きをしてしまった。


 あなたの実家へ初めて行った時は、今度はこっちが滅茶苦茶緊張したよ。

 まだあなたとほとんど話していなかった頃の教室で、毎朝たった一言の挨拶に胸がときめいていた、あの時と同じように。

 何て挨拶しよう、嫌われたらどうしよう、そんなことばかりを考えてた。


 でもそんな心配はいらなかった。


「あらあ、綺麗なお嬢さん。秀太には勿体ないわね。さ、上がって」


 玄関先で頭を下げると、お義母かあさんはそんな言葉で温かく迎え入れてくれた。

 その日の夜はお義母さんの手作り料理をたくさん並べてくれた。

 どれも本当に美味しくて。


「朝美さん、ほんとにこいつでいいの? やめとくなら今の内だよお?」


「親父、余計なことを言うなよ。飲み過ぎだぞ今日は」


「ははは! いいんだよ今日は! いやあいい日だな、今日は!」


 赤い顔をして陽気に笑うお義父とうさん、優しい微笑みを浮かべながら台所を動き回るお義母さん。

 この人たちが、私の新しい家族になるんだ。

 親が二人増える、何だか不思議な感じがするけれど、これって嬉しいことだよね。

 私もつられてつい飲んじゃって、はしゃいじゃった。

 酔って変なことを喋ったりしなかったよね、あなた?


 それから一緒に結婚式場を探したり、式の日取りを決めたり。

 仕事もあるので忙しかったけれど、本当に胸が躍る日々だった。

 本当にあなたのお嫁さんになるんだなっていう実感が、だんだんと膨らんでいった。


「ねえ、新婚旅行はどこにする?」


 あなたのお部屋で訊いてみると、あなたは少し考え込んだっけ。


「う~ん、そうだなあ。一生の思い出だからなあ……俺は、アフリカに行きたいな」


「えっ!? アフリカ!?」


「うん。サバンナにいる野生動物や、キリマンジャロの山なんか見たくない? きっと迫力があるし、綺麗だと思うんだよ。俺子供の頃から、行ってみたかったんだ」


「う~ん……アフリカかあ……」


 私が微妙な顔をしたのに気が付いたのか、あなたは苦笑いをした。


「朝美は、どこがいいの?」


「私は……例えばヨーロッパとか。綺麗な町とか古いお城とか、そんなのが見てみたいかな」


「そっか。う~ん……」


 そしてあなたはまた、腕組みをして考え込む。

 そうして、


「よし。じゃあこうしないか? 二つ同時は難しいから、今回は朝美の行きたいところにしよう。その代わりに30年後に行くのは、アフリカにしよう」


「え? 30年後?」


「うん。子供が巣立って仕事が一段落して。赤いちゃんちゃんこを二人で着たら、その時にはね」


 そんなずっと先の話を……

 でも、そんなことを言ってくれて嬉しかったよ。

 これからもずっとずっと、一緒にいようってことだよね。

 

 ありがとう。

 こんな私だけれど、あたらめて、よろしくお願いします。


 ぼんやりとテレビを眺めているあなたの横顔に向って、胸の中でそう呟いたっけ。



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