第2話
大事な儀式があるのは、それから2日後のことだった。
いつもより早く夜ごはんを終わらせて、ひまりたちは海へとやって来た。
山にかくれた太陽と入れかわりに、海の向こうから満月が顔を出しはじめている。
さっき見たお天気予報で、今日は『中秋の名月』だって言ってた。いかにも儀式がありそうな日で、なんかドキドキしちゃうよね。
波うち際に立ち、和子(かずこ)さんは手に持ったランタンをかかげてみせた。ランタンには火がついてなくて、かわりに水晶みたいな石がほんのり光ってる。
「さぁ、行くよ。しっかり手をつないでおいで」
そう言って和子さんは海の方へとずんずん歩いていく。
「えぇっ」
もしかして泳ぐのかな? だったらタオルや着がえを用意したのに!
あわてるひまりの手をひいて、和子(かずこ)さんはついに海へと足をふみ入れた。次はひまりの番だ。ぜったい足がつめたくなるよ! そう思って目をつぶったけど、何歩か進んでも海に入った感じがしない。おそるおそる目を開けて、ひまりはびっくりした。
「和子(かずこ)さん、ひまりたち海の上を歩いてる!」
水面にのびる月の光の真ん中をひまりたちは歩いてた。その光の道は、海からこっちをのぞく月へとまっすぐ向かってる。
「このランタンはね、月がかがやきながら海から顔を出すときだけ、月へと導いてくれるんだ」
波にあわせて足もとで光がきらきらとゆれて、夢でも見てるみたいな気分。すごく遠いはずなのに、あっというまに月の前まで歩いて来ちゃった。
「茶(ちゃ)守(も)りがまいりました」
大きな月に向かって和子(かずこ)さんが声をかける。すると、月がゆっくりと横にずれて空に大きな穴があらわれた。月のように明るく穴の中には、下へ続く階段がのびてる。
小学校のろう下より長いその階段をおりると、ひとりの女の人が待っていた。ひまりを見ると、青い目を細くして笑う。
「あら、今年はかわいいお供が一緒なのね」
「はじめまして。ひまりです」
いつもは笑顔であいさつできるのに、なんだかちょっと緊張しちゃう。日焼けした肌に白いドレスが似合うその人には、不思議なオーラがある気がした。
「私の孫よ。今うちであずかっているから、連れて来ちゃったわ」
「子どもと話すのは久しぶりよ。ようこそ、ひまり」
首をかしげて、女の人はひまりに目線を近づけてくれた。黒いロングヘアがふんわりと揺れる。
「もしかして月の女神のディアナ様ですか?」
バレエ教室で上級クラスのお姉さんがおどっていた役を思い出した。月の女神で狩人のディアナのヴァリエーション。ひとつひとつの動きが大きくてかっこいいのよね。でも女の人は首を横にふる。
「いいえ。私は女神ではないわ」
「この人は、そうねぇ。月の魔女とでも言うべきかしら」
「ふふ、魔女と呼ばれるのも悪くないわね」
月の魔女と呼ばれたその人は楽しそうに笑って言った。
「さぁ、茶会をはじめましょう」
丸いテーブルを3人でかこって、月でのお茶会がはじまった。
和子(かずこ)さんはガラスのティーポットに、おととい摘んだ新芽をたっぷりと入れた。そしてその上からゆっくりお湯をそそぐ。
「葉っぱのままでもお茶がでるの?」
「えぇ、おいしいのよ。それに植物たちの声をまっすぐ魔女に届けてくれる」
ティーポットにふたをしてしばらく待ってると、少しずつお湯の色がかわっていくのがわかった。新芽と同じ、うすい緑色に。
「和子(かずこ)はね、月が選んだ『茶守(ちゃも)り』なのよ」
月の魔女が教えてくれる。茶守(ちゃも)りは世界中にいて、年に1度、こうして月の魔女とお茶会をする役目があるんだって。
「月は茶(ちゃ)守(も)りを選び、茶の木の鉢植えをたくす。茶の木が集めた植物の声は、茶の味、香りとなって私に語りかける。そして茶守りの声に、その情景を映すの」
月の魔女が言うには、育った国や場所によってお茶の味や香りはぜんぜんちがうものになるみたい。それは集まった声がちがうからなんだって。
「私は声をたよりに地上の植物たちの生育を見守り、神々へと伝えているの」
「太陽じゃなくて、月が植物を見守るの?」
「たしかに植物は太陽の力で育つけれど、夜の休息がないと花を咲かせられないのよ。私は昼と夜のバランスを保ち、植物の生長を助けているのです」
そういえば、ひまりのフランネルフラワーも強すぎる太陽の光は苦手だって和子(かずこ)さんが言ってた。だから9月の終わりまでは、日なたから少しはなしてあげるんだって。
ひまりはちょっと不思議な気持ちになった。知っていたはずのことが、少しずつひっくり返っていく。何度も見ていた絵が急にぬりかえられていくみたいだった。
「ひまりはかしこい子だけど、まだまだ学べることがたくさんあるわね」
そう言いながら、和子(かずこ)さんがお茶の入った湯のみを配る。生の新芽で入れたお茶は、さわやかであまい香りがした。
「和子(かずこ)、ありがとう」
月の魔女は、受けとった湯のみを軽く上げる。
「今年も声をきかせてちょうだい」
そう言ってまずは一口、魔女はお茶をすすった。そして鼻から息をはいて目を閉じる。まるで遠くできこえる音に耳をすませてるみたいに。
ひまりと和子(かずこ)さんもお茶をすすった。月の魔女のまねをして、ひまりも目を閉じて鼻で深呼吸をしてみる。なんの声もきこえなかったけど、お茶の香りが体をかけぬけていった気がした。
それから和子(かずこ)さんは、去年のお茶会から今までのことを話しはじめた。冬はいつもより雪が多かったこと。おかげでおいしいダイコンが買えたけど、庭のバラは弱ってしまったこと。今は近くの山でカエデが色づきはじめていること。
ひまりも、ゴールデンウイークに行った農園のブルーベリーがおいしかったことや、暑かった夏休みのことを思いつくまま月の魔女に話した。
和子さんはいつもよりずっとおしゃべりで、月の魔女はそれを楽しそうにきいてる。たまに昔話になったり、他の茶(ちゃ)守(も)りの話になったりで、ぜんぜん終わる気がしない。
友達みたいなふたりを見てると、急に学校が恋しくなった。
みっちゃん、さっちん、ゆきりん、それとひまりの4人で遊ぶ休けい時間。チエちーとの帰り道。はしゃいで笑って、どれも楽しい思い出ばっかり。
どうして、ひまりは秋休みなんてしてるんだっけ。あんなに仲良しだったのに。
どうして、嫌われたと思ったんだっけ。みっちゃんたちが誰も、ひまりを同じ班に入れてくれなかったから。
でも、ひまりがいなかったときのことは、ひまりにはわからない。
もしかして、なにかカンちがいしてるんじゃない? そう思うとドキッとした。
植物を見守る月の魔女。毎日お水をあげちゃいけないフランネルフラワー。
そういえば教室にあるあのお花は、なんて名前のお花なんだろう。
——まだまだ学べることがたくさんあるわね。
さっきの和子(かずこ)さんの言葉を思い出す。
もし、みっちゃんたちに嫌われてるのが、ひまりのカンちがいなんだったら。
「……学校に行きたい」
いつのまにか、ひまりは泣いてた。泣きながらつぶやいた。テーブルの上がぼやけてぐにゃぐにゃに見える。
「行けばいいさ」
なんてことないような声で、和子(かずこ)さんが言った。
「ひまりも自分の茶の木を育てるつもりで」
うなずくひまりの涙を、月の魔女がそっとぬぐってくれた。月の魔女は新芽のお茶みたいな、さわやかなにおいがした。
次の日の夕方、ひまりが秋休みの終わりを伝える前にママから電話がかかってきた。
お仕事から帰ったとき、家の前でみっちゃんたちと会ったんだって。
『ひまりにあやまりたいって言ってたわよ』
ママがきいた話では、あの班決めのとき、ひまりはもう誰かの班に入ってるだろうってみんなが思ってたんだって。
『でも、やっぱり同じ班にしてもらえばよかったって、後から思ったみたいよ。しかもひまりはそれから学校休んじゃうし。ひまりにさみしい思いさせたんじゃないかって気にしてたわ』
「いい友だちじゃない」
となりで電話をきいていた和子(かずこ)さんがほほえむ。ひまりはうなずいた。
「あのね、ママ。秋休みはもう終わりにする。だから今から家に帰っていい?」
「もちろんよ。ママもさみしいもん。あとパパも」
「うん。すぐ帰るね。待っててね」
あした学校に行ったら、みっちゃんたちにあやまろう。それで今田さんと野川さんと、とびきり楽しいお買いもの体験の計画を立てるんだ。
あんなにイヤだった学校に、今ははやく行きたくて仕方ないや。
家まで帰る道のとちゅう、ひまりは運転席の和子(かずこ)さんに言った。
「和子さん、あのことはふたりだけの秘密ね」
「あのこと?」
「ひまりが泣いたこと」
「ははーん。それはどうかしらね」
車のハンドルをにぎったまま、和子(かずこ)さんはいじわるく笑う。
「ぜったい内緒よ! はずかしいもん。やぶったら針1000本のますから」
「でもあれは、月の魔女と3人の秘密でしょう」
「あ、そっか。じゃあ、ぜったいぜったい、3人だけの秘密」
今日も海の向こうから、もうすぐ月が顔を出すよ。
誰にも内緒のお茶会を思い出しながら、ひまりはひざの上のフランネルフラワーを抱きしめた。
月で内緒のお茶会を 雨森 紫花 @amemi06
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