第28話 気楽
「何を言いだすかと思えば……やはり君、只の馬鹿だろ」
心底軽蔑するように、水島は溜息交じりに吐き捨てる。
「本気で言ってんだ。俺が代わりに、レルンさんとリンクする」
「えっ!?わ、私と……哉太さんが……!?」
すると、俺を追って研究棟に入ってきた那奈美が、恐らく筋力操作を行った脚を駆使して爆走してきた。
「なぁぁぁに言ってるのかなぁ哉太くん!?私より先に私以外の女とリンクするなんて許すと思うのかなぁ~~~っ!?」
「……悪い、那奈美。今だけは許してくれ」
瘴気を放つ彼女と俺の間に、水島が臆せず割り込む。
「つい最近まで浪人していた新入生風情の君が?……言っておくが、いくら入試の成績が良くたって、所詮は机上の空論。実践経験ゼロの人間が、無能のホムンクルスの潜在能力を引き出せるとでも思っているのかい?」
容赦なく並べられる負の言葉に、再びレルンさんは俯く。
益々膨れ上がった怒りは、全ての体裁や配慮を削ぎ落した暴論となって口を衝いた。
「俺の方が彼女を理解出来る!!……無能なのは、自分の視野の狭さと固定観念を棚に上げて隣人を排斥する、お前の方だ」
「なっ……!」
目と口を開けたまま動きを止める水島。
暫しの沈黙の後、彼女は肩を震わせながら、獣の呻く様な低い声色で言った。
「図に乗るなよ富和哉太……!!貴様如きが私を評価するな!!」
「こっちのセリフだ。お前如きが、レルンさんを見下してんじゃねぇよ」
一触即発の空気にあてられ、那奈美達も汗を額に滲ませたまま黙している。
鋭い睨み合いの末、水島は冷笑を浮かべて顔を逸らし、ブレスレットに手を掛けた。
「いいだろう。そこまで言うならやってみろ。だが、もし結果が同じであれば……その時は『約定環を無理矢理奪われた』と報告し、貴様には研究妨害のペナルティを受けてもらう」
妨害に対する罰則は、二週間以上の自宅謹慎と当面の研究禁止。俺の場合は、那奈美との接触自体が研究行為の一環とされるだろう。……水島の事だ。話に尾ひれを付けて、一層重い罰則になるよう仕向ける可能性も高い。
「ちょ、哉太……!流石にやめとこうよ!もし妨害行為ってみなされたら……私と哉太、暫く会えなくなっちゃうんだよ!?」
「ハハッ。私からすれば、ホムンクルスと触れ合わなくて済むならむしろ褒章に近いがね」
依然として減らず口を叩く水島。睨みつける那奈美を制して、差し出されたブレスレットを手に取った。
「リンクは成功させるし、那奈美とも毎日顔を合わせる」
「ま、毎日……!?いや、でも毎分毎秒じゃないならそれはそれで罰則と言っても……」
「過言だ。……少し離れていてくれ」
水島と那奈美の二人を後ろに下がらせる。
レルンさんは明らかに不安を顔に滲ませていた。
「ごめん、レルンさん。散々勝手な事を言っちまって……」
「い、いえっ!そんな事……。私の方こそ、ごめんなさい」
「……君が謝る必要なんて一つも無いだろ」
彼女は唇を噛み締め、スカートの裾を両手で強く握り込んだ。
「……やっぱり私、どれだけ日々を生きていても忘れられないみたいです。
入口の方まで退いた那奈美と水島。二人は睨み合いながら距離を取り、俺達の会話はどちらにも聞こえていない様子だった。
「俺も、自分を許せなかったよ」
「えっ?」
「……俺の親父は、事故に巻き込まれそうになった俺を庇って死んだんだ。……なのに、残された息子は何の才能も無く、女手一つで支えたお袋にまで迷惑かけて浪人三昧」
親父が死ぬ直前に残した言葉は、間違いなく俺が希望を持って生き続けられるように背中を押す為のもの。昔から卑屈な俺が、決して”親父の代わりに俺が死ねば良かった”などと考えてしまわない様に。
「悩み疲れて……ここから消えて、誰にも知られず迷惑もかけない場所まで逃げ出したいとは思ってた。でも、自分の命すら否定した事は一度も無い」
四畳半のボロアパートで蹲っていた諦観の中に、希死念慮など欠片も無かった。
少しでも闇に手を伸ばせば、いつでも親父の顔が脳裏に浮かぶ。
「俺が今も息をし続けてるのは、親父の言葉を無駄にしたくないからだ」
レルンさんの境遇と比べるつもりなどは無いが、互いが抱える自己嫌悪と、彼らが抱えていた想いは似ていると、勝手に思っていた。
「自分がどうなったとしても、この人にはずっと生きていて欲しい。……だから七瀬さんも、君の心に少しでも傷が残らない様な言葉を掛けたんだと思う」
「………」
閉眼し、肩を縮こめる彼女。恐らく七瀬さんと交わした会話を思い出しているのだろう。
「俺達は、途方も無く偉大な人達に『生きろ』と背中を押されてる。……七瀬さんが君に与えた言葉を、無かった事にしないでくれ。秀でた何かが無いってだけで、自分を諦めるな」
「………でもっ、私が本当に無能力なら、哉太さんまで……」
「構わない。啖呵切ったのは、俺が見てる世界を君にも見せたかったからだ」
那奈美には悪いが……今ここで言葉を呑んでしまってはいけない気がした。
情動に従った自分の行動に、後悔はしていない。
約定環に手首を通す。装着者のサイズより一回り大きく造られていたおかげで、男の俺でもギリギリ嵌める事が出来た。
「卑屈だが、どうしようもなく単純な俺は……、誰かが少しでも背中を押してくれるだけで明日を生きたくなる。見えてる現実まで輝いて見える」
河瀬先輩が行っていた起動方法を思い出し、ブレスレットの表面に触れて横に二度スクロールした。
「レルンさんも、もっと適当に世界を観測してみなよ。案外悪くないもんだ」
「……私も……?」
「あぁ。それに、七瀬さんだけじゃない。俺も君に生きていて欲しい」
細いリングの表面に、起動時のテキストがデジタルで表示される。
それを見た瞬間、思わず吹き出してしまった。
「ちなみに、この約定環は誰がオーダーしたんだ?」
「えっ?……元々は、夕空と契約する予定だったので……彼女が」
後遺症で契約が困難になったところを、水島は狙ったのだろう。
なら、このメッセージも彼女が残したものだ。
俺に続き、レルンさんも約定環を起動させる。
「必要以上に焦ってたせいで、気づかなかったのかもな。……もう一度、しっかり読んでみろよ」
「読む?………あっ!英語で何か書いてある……。ど、どういう意味ですか!?哉太さん」
生き続ければ近い内、文化学で身に着けた知識で分かるはず。
しかし俺は、七瀬さんの了承も得ずについネタバレしてしまった。
起動を意味する"boot now"の横に、ふざけたフォントで表示された英文の意味を。
「”
「………夕空らしい、です」
彼女の口元が初めて綻ぶ。
瞬間、視界が強く歪んだ。レルンさんの意識とリンクした証拠だろう。
初めての約定環の使用。水島の言う通り実践経験など皆無だが、日和っている場合じゃない。
「いいか、レルンさん。道を塞ごうとする他人からの評価に身を委ねるな!信じたい人の言葉だけ抱えて前に進め!」
よろめく足に力を入れ、地を踏みしめる。
「………はいっ……!」
七瀬さんが残した約定環に手で触れながら、彼女は力強く頷いた。
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