第27話 窺視
「……やっぱ、寝てるか」
その日の夜、二十一時頃。俺は那奈美の部屋の前に立っていた。
二度インターホンを鳴らし、騒音にならないよう最小限のノックを一つ。だが、一向に足音すら聞こえてこない。
「まぁ、入学してから一気に色々あって疲れてただろうしな……。やっぱり今日はやめとくか」
「何をやめるの?」
踵を返した瞬間、目の前に那奈美の顔があった。
本能的に表出しそうになる驚愕を、瞬時に立ち上がった理性により抑え込んだ結果、俺はその場で尻もちをつき、呑みこんだ絶叫が喉に詰まって盛大に咳き込んでしまった。
「だっ、大丈夫!?どうかした!?」
「よく第三者側に立てるなお前っ……!ごほっ!ぅえっ……」
差し出された彼女の手を取り立ち上がる。
那奈美は、すっかり私服と化した黒ジャージに身を包み依然として心配そうな表情を浮かべていた。
「てかお前、部屋にいたんじゃないのか……!?」
「いたよ?でも、また哉太に夜這い仕掛けようと思って部屋の前まで来たら急に扉が開いて……どこ行くんだろうと思ってこっそり背中追ってたの」
開いた扉の裏に隠れていたのか……?全く気付けなかった。音と気配殺すのがクセになってんだろうか。
「……そしたら何~~~!?まさか哉太の方から夜這いしに来るなんて……!私なら朝でも昼でも深夜でも、エニーデイ&エニータイム大歓迎なのに!」
「じゃあ、今でもいいのか?」
「……えっ」
目を丸くする那奈美の頭に手を乗せ、左右に撫でる。
暫しの放心の後、彼女の顔は瞬く間に紅潮し、四肢末端にかけて小刻みに震え始めた。
「はっ……わ……ぅあ……」
「痛かったり、煩わしかったら言ってくれ」
これ以上ツッコんで、騒音を撒き散らすのは良くない。
だがそれ以上に、俺は現時点に至るまで彼女からの好意を煙に巻いてきた。
那奈美とはあくまで友人としての立ち位置を保ちたいが、避けるだけ避けて突き放すのは、その好意に対する侮蔑に等しい。ならば、彼女の想いに対する理解を深めたうえで、互いに納得し合える距離感を探っていくのが誠意だと考えていた。
それに、スキンシップの最上級がコレだと認識しているのなら、理性的な範疇で済むだろうし。
「あっ……あれ?何でだろ……頭撫でてもらってるのに私っ……なんか……せ、切ないっていうか……」
「……ん?」
次第に、顔だけでなく耳介や首まで赤くなる。震えも一層小刻みになり、徐々に体を丸く縮込めていく。
「ね、ねぇ哉太。私、撫でてもらうのが一番の愛情表現だと思ってたけど……本当なのかな……?」
「なっ……なに言ってんだよ!本当に決まってるだろ!?俺だって死ぬほどドキドキしてるよ!」
別の意味でだが。
このままでは彼女が本能的に何か閃いてしまうかもしれない。
と、手を頭から離した。
「あっ……!も、もう少しで何か……哉太を社会的に縛り付けられそうな既成事実を生み出す愛情表現が閃きそうだったのに……」
「それを愛と形容するな!……と、とにかく行こう!」
結局また声を張り上げてしまった。
那奈美は名残惜しそうに離れた右手を見つめながら、頭の上に疑問符を浮かべる。
「行くって、どこに?」
「昼間、少し話してただろ?……第六研究棟だよ」
◇
帳が下りた闇と冷たい風、頭上で煌々と光るネオンが交錯している。夜の学園都市の彷徨は、明晰夢の中を浮遊しているような高揚と非現実感に溢れていた。
記憶を頼りに歩を進め、俺達は第六研究棟の前に二度目の到着を果たした。
「あれ?明かり、点いてるね」
「こんな時間でも使われてんのか……?」
契約式は来週。能力討究の講義も二回目以降は実践メインになる。
約定環を渡された以上、出来る限り那奈美の力を制御出来るようにならねばと考えた俺は、使用者が居ないであろう時間帯を狙って、この施設内で自主特訓を行うつもりだった。
無論、互いに疲労もあるので今日の所は意識をリンクさせる段階で止めておくつもりだったが……
「どうする?やっぱり寮に帰って
「何にルビを振ったんだ今……!いや、誰かいるなら挨拶だけでもしておく。恒常的に深夜も使われるなら、今後の特訓のスケジュールも組み直さないといけないしな。……てか、少し冷えるけど、体調は大丈夫か?」
那奈美は胸を張って鼻を鳴らした。
「私は細胞を操作出来るんだよ!?褐色脂肪細胞による熱産生も、筋肉収縮によるシバリングも意図的に増加させて、北極でもぬっくぬくで活動可能!!」
……那奈美が”完全”である所以は、持ちうる能力だけに依らない。細胞増殖を扱えても、体内で起こりうる各事象のメカニズムを理解していなければ意味が無いからだ。
つまり、埜乃華の記憶と知識……化学だけでなく解剖学、発生学、薬理、病理等の医学・生物学に関わる膨大なデータを継いでいるからこそ、”体内酵素の増生”や”骨の大弓”、”意図的な体温調節”などの芸当を遺憾なく発揮できるのだ。
「じゃあ、取り敢えず覗いてみるか」
若干の緊張感を以て、巨大な要塞の入口に近づいていく。
防音だからか、単に音が立てられていないのか、側に立っているだけでは微塵も聴覚情報は入って来ない。
那奈美と顔を見合わせて頷いた後、重い引き戸に手を掛けて、静かに力を込めた。
漏れ出た白色光に目が眩み、顔を下げてしまう。
しかし直後に聞こえた怒声が、強制的に視線を内部に引きずり込んだ。
「何度言ったら分かるんだ!!」
徐々に目が慣れ、姿が鮮明に映る。
そこにはレルンさんと、水島の二人だけが中央に立っていた。
「えっ……何であの二人が……」
「なになに!?誰が居たの!?」
野次馬根性丸出しの那奈美を何とか制しつつ、少し様子を見る。
怒声を上げているのは水島で、レルンさんは彼女の前に立ちながら青ざめた顔で項垂れていた。
「血液も、骨密度も、心電図も全ての検査結果が正常値……!当の本人にも全く能力の自覚が無い!!……一体貴様は何が出来るんだ!ホムンクルスの癖に!」
「……ご、ごめんなさい……」
状況など微塵も把握していない。にも拘わらず、彼女の沈んだ表情を見た瞬間、胸中には鈍く重い靄が立ち込めた。
何を謝っているんだ。何を、謝らせているんだ。
「あー……確かあの子、チビ研究員が補完ガジェット使っても能力見つかんなかったよね」
那奈美が呟く。
第一回目の能力討究で、河瀬先輩はレルンさんの能力を『保留』とした。
通常であれば、膨大な検査の中にどれか一つ以上は異常値が見つかるもの。だが、彼女からは一切出てこなかった。
……しかし、それが何だ。それが人格をも否定するような暴言を吐いて良い理由になるのか。
”能力”を持たない事が、ホムンクルスという種から逸脱している証明にでもなるのか?
「いや……」
「え?……ちょっ、哉太!?」
思わず扉を開き切る。忍び足などかなぐり捨てて、明確な怒りを孕んだ足音を吸音材に喰わせながら中央まで進んでいく。
俺の存在に気付いた二人は、振り返ると同時に目を見開いた。
「かっ……哉太さん……?」
「………驚いたな。こんな時間に、こんな場所に何の用だ?」
見下すような視線を向ける水島。
激高しかける感情を抑えながら、何とか一言だけを絞り出した。
「貸せ」
「……は?」
水島の右腕で輝くブレスレットを見ながら、今度は傍若無人に叫んだ。
「その
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