第29話 自由

「レルンさん。まず最初に……不躾だとは思うけど、検査結果の数値を一通り教えてもらってもいいか?」


もしかしたら、何か見落とされている異常数値があるかもしれない。

すると彼女は、足元に置かれている黄色の肩提げバッグから数枚の紙を取り出した。


「ぜ、全然大丈夫ですっ……!あの、これが、私が受けた全部の検査結果です」


「ありがとう。見させてもらうね」


水島の言う通り、見る限りではどの数値も正常範囲内。

レントゲンにも気になる所見は無さそうだ。


「……あ、あの……」


「ん?どうかした?」


「あまり、その……ずっと見ないで欲しくて……」


レントゲンを確認している途中で、彼女は何故か顔を紅潮させた。

暫く考えた後で、俺はハッとして次の検査用紙を上に重ねる。


「ごっ……ごめん!そうだよな……レントゲンじろじろ見られるのは嫌だよな!」


医者でも何でもないくせに胸部レントゲン画像を凝視する男は、確かに気色悪い。骨と内臓だけとはいえ、写っているのは女性の体内なのだ。これ以上見続けていたら、未だ名称が決まっていない変態に認定されてしまいそうである。


「……ん?いや……」


しかし、何かに引っかかる。上に重ねた用紙を束の下に送り、改めてレントゲンに目を向けた。


「ちょっ……!ま、また……!」


「ごめん!もう少しだけ見せてくれ!」


無論、俺はカテゴリーエラー変態などではないが……、今度は穴が開く程に凝視し続けた。比例してレルンさんの羞恥心も増大していき、やがて画像を取り上げようと手を出してきたが、我ながら華麗に躱していく。


「な、何やってんの哉太達……!?社交ダンスのニュースタンダード……!?ゆ、許せない……」


「君は何にでも嫉妬出来るんだね。……しかし、いくら見たって結果は同じだ」


そこで、漸く違和感の所在が明らかになる。回避行動を止め、そのまま心電図と血液検査の用紙を引き抜いた。


まず心電図。主に一つの拍動で生じた、それぞれQRSTと名付けられている四つの波形の高低や幅、次の波が来るまでの間隔等を読む。


「左室高電位、ST低下もT波の平底化もない……」


「最初に言っただろう。心電図も含め全て正常だと」


呆れた声で煽る水島には構わず、三枚の用紙を何度も見比べた。


ホムンクルスは、基礎代謝や体力の土台がそもそも人間よりまさっている。それに適応する為、多少の心肥大は茶飯事。いわば”スポーツ心臓”を生まれながらに持っている様なものだ。


しかし、だからこそ心電図には大小を問わず何らかの異常波形が現れる。ここまで理想的な結果を示しているのは逆に不自然だ。


「……血液に関しても、心肥大に伴い増加する筈のBNP、心筋障害の指標になるトロポニンも正常」


顔を上げ、レルンさんの顔を見る。


「約定環には、ある程度のバイタル測定機能はあるか?」


「え、えぇ。SpO2とか脈拍、心電図に血圧も一応……」


「じゃあ今、自分の血圧を測ってみてくれ」


「私のですか?は、はい……」


頷いた彼女はブレスレットを操作し、血圧を測り始める。

数十秒後、結果を見た彼女は数値告げた。


「えっと、98/62……でした」


「……そうか」


ついさっきまで社交ダンスまがいの激しい運動をしたにも関わらず、結果は低血圧。

血圧を算出する為の因子は、心拍出量と末梢血管抵抗……


「……レルンさん。分かったよ、君の能力」


「えっ!?……ほ、本当……ですか!?」


すかさず、それを聞いた水島が声を上げる。


「適当な事を……!それだけの結果で何が分かるんだ!!」


「……少し、手を貸してくれ」


レルンさんの両手を掴んで引き、胸の高さまで持ち上げた。

指先から伝わる温度と若干の拍動。それが自分のものであると錯覚させ、リンクの強度を高めていく。


「えっ、あっ、わ……っ!か、哉太さん……?」


「ぎぃーーーーーっ!!哉太ぁ!?何してんの、今すぐ手ぇ離してよ!!」


金切り声を出す那奈美をさておき、一層集中。感じていた眩暈や四肢の脱力感が次第に消えていく。恐らく、俺達が到達しうるリンクの最高強度まで達したのだろう。


「レルンさん、”炎”をイメージしてくれ」


「ほ、炎?」


「あぁ。……小さい炎が、徐々に肥大化していく」


互いに目を瞑り、架空の情景に没入する。


「一面に広がった炎は、空気の密度を下げて風を起こす。炎から風……空を揺蕩う流れに、自分自身を投影させるんだ」


「………」


指先から感じる鼓動が徐々に速まる。彼女が抱える罪悪感や劣等感、そして奥底で自由を請う渇望の様なものが流れ込んでくる。


「吐息だけで消えてしまいそうな火でも、樹々を揺らす程の風になれる。俺にとっての親父や、君にとっての七瀬さん。彼らがいつだって、心の中で薪を焼べてくれる」


脈拍は益々速くなる。体温も上がり、互いの額には汗が滲み始めた。


「……さっきから何をやってるんだ……!いい加減にしろ!適当な言葉を並べて、私のパートナーを絆すつもりか!?」


痺れを切らした水島の怒声と、荒々しい足音が聞こえてくる。

しかし、今振り返ってはリンクが途切れる。


「見えるか?レルンさん。空の下の景色が」


「………はい。街や、人の往来。遠く向こうに聳える山……全部、見渡せます」


「レルン!今すぐその男から離れろ!お前は私の命令にだけ従っていれば良いんだよ!!」


水島の声は、既に俺のすぐ背後から聞こえてくる。

整然としたリズムを保ちながら、彼女の鼓動は俺の指を叩きつけるかの様に強く打つ。


「君は自由だ。何にでもなれるし、何処にだって行ける」


「………哉太さん、私……っ」


「そこをどけ!!富和哉太!!」


そこで足音が止まる。頭上から、何かが迫る気配を感じた。

本能的に振り返ろうとしたが、それより先にレルンさんの手が離れる。


「………なっ……何……だ……?」


水島は右腕を振り上げていた。その手には、彼女が持参していた黒いリュックのストラップが握られている。


そして彼女の腕を、レルンさんが掴んでいた。瞬きするよりも早く俺の背後に移動し、殴り掛かろうとする水島の動きを止めたのだ。


「………あ、あれっ!?私っ……今、どうやって……」


「拍動数を上げたんだ」


状況を把握できていない二人に、汗を拭いながら近づく。


「中等度の運動を行っても血圧は低値だった。それは、心拍出量が上がっても血管抵抗が極めて弱い……つまり、柔軟に働いたと言える」


「そっ、それが何だ!今の動きの説明にはなってないぞ!」


「それだけじゃない。軽度だが心肥大が起きているのに、心電図は異常なまでに正常。心筋障害も無い。彼女の心臓は恒常性と強靭性を両立している」


何故、見過ごされていたのか。それはこの症例があまりにも少ないからだ。

昔、公園のベンチで埜乃華が言っていた言葉を思い出す。


『”血液”や”骨”、”心臓”の機能を飛躍的に向上させるホムンクルスも見つかった』


長い歴史を持つにも関わらず、十二年前までのだ。

しかもそれは、血液や骨とは違い数値や所見では極めて判別しにくい。


「かの者は、意図的に操作した拍動数と極めて柔軟且つ強靭な血管壁を以て、瞬間的ではあるが、人知を超えた膂力と俊敏性を手に入れた」


ドイツのホムンクルス研究の権威であるアーベル・ミュラーは、晩年に関わった集団顕現の中で生まれた一人のホムンクルスについて、『Korrelation zwischen Myokardhypertrophie und Gefäßwiderstand im Homunkulus.(ホムンクルスにおける心筋肥大と血管抵抗の相関性について)』の中でそう述べている。


「馬鹿な……それじゃあまるで、コイツがの能力を……」


「その通りだよ、水島。那奈美は『下らない』と一蹴するかもしれないが、もし彼女に二つ名を付けるとしたら……」


―――私達は畏怖と敬意を以て、彼女を便宜上こう呼ぶ事とした。


「”脈動”のホムンクルス、ってとこかな」


右腕から外した約定環を、呆然とする彼女の手に握らせた。

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