第3話 夜に語る

 両親のいない俺は所謂「等級外民」だ。王国に住んではいるが王国民ではない。王国の法律は適用されるが、保護下には無い存在だ。


 等級外民は町から出ることは出来ても入ることは出来ない。

 つまり、俺はこの町から出たら最後、帰ることも何処かの町に移り住むことも出来ないってわけだ。


 俺がいた施設には等級外民は二人だけだった。

 ハッチこと俺。そして現在ドンを名乗るガルシアだ。


 俺たちには性は無い。ただのハッチ。ただのガルシアだ。

 俺がもの心付いた頃には、ガルシアは施設を追い出される年齢だった。意外かもしれないが奴は俺を可愛がってくれてたんだ。

 俺の年寄りのような白い髪を怖がらなかったのは、グルービーとマーチンが施設にやってくるまでは奴一人だけだった。


 でもよ、神サマのようにママを慕うあいつがどうにも許せなかった俺は、施設を出た後もガルシアの立ち上げた組にゲソを付ける気にはなれなかった。

 裏切られたと思ったかどうかは知らねえが、奴は俺をしこたま殴りつけた。

 顔を合わせる度に殴られたよ。

 そして十五の時についに俺は奴に刃を向けた。


 ドン・ガルシアを刺した俺は狂犬と呼ばれた。あの時の俺はガキどもの間じゃ、ちょっとした英雄だったさ。俺も鼻高々でよ、肩で風を切って歩いたもんだ。

 でも、もう十五のガキじゃない。

 あれから十二年がたち、今じゃただの野良犬だ。あと数年、いや明日には負け犬と呼ばれているかもしれない。

 きっと俺の知らないところでは、すでにそう呼ばれているのだろう。


 つまらねえ昔話だ。忘れてくれ。


 すっかり暗くなっちまった後も、通りに横たわり、動けずにいたままの俺にグルービーが肩を貸してくれた。

 多分友情ってヤツなんだろう。

 その友情に唾を吐きかけるかどうか少し迷うが、明るい未来を想像することにして、口に溜めた唾をわだかまりと一緒に飲み込んだ。

 許し合うことこそが友情なのか?


「おい、今日はてめえらの奢りだろうな。」


 この言葉を仲直りと受け取ったのか、グルービーは腫れ上がった顔を崩して笑った。


「ブギーの店ならツケがきくさ。好きなだけ飲んでくれ。」


「先に治療した方がいいんじゃねえか?」


 よろける俺たちをマーチンが支えるとそう言った。

 こいつも随分殴られたはずだが、まるで堪えてないようだ。


「駄目だ。この時間は教会長がいるから金を取られる。明日の朝一番にいくさ。早朝ならエステル一人だ。てめえらには聞きたいし話も沢山あるしな。」


 グルービーとマーチンは揃って目を逸らす。まだ何か隠し事があるようだ。

 まあいい、全部喋ってもらうさ。夜は始まったばかりだからな。

 道すがら、俺たちは少しだけ昔話に花を咲かせた。

 未来のない奴らはいつだって過去に遡り、良かった頃を懐かしむ。

 どこかの林檎を盗んだとか、誰かの鶏を勝手に絞めて食ったとか、そういったたわいもない話だ。


 ブギーの店の前に着くと、俺はグルービーとマーチンを一発づつ殴ったが、身体中が痛くてたいした力は入らなかった。

 グルービーが俺の肩を叩くと謝る気は無いと言った。


「わかってるよ。町から逃げる気でいたんだろ。」


 グルービーもマーチンも三等級民だ。金さえ払えば入ることができる街がどこかにあるはずだ。奴らはこのしけた町から出ていくことができるが俺はできない。だから奴らは俺を誘わなかったんだ。しゃぶりつくことの出来ない料理を見せつけても仕方ないだろ?惨めになるだけさ。たとえ、それが毒入りだとしてもだ。

 いつだって大切なのは自分の人生だ。奴らはある意味、俺に対しても誠実だったわけだ。

 それに奴らが南の壁穴から抜け出すつもりだと、ガルシアに教えたのは俺だ。そして、このことについて俺も謝るつもりはなかった。


 看板に『ブギーと愉快な仲間たち』と書かれた、小さな店に入る。テーブルには数人の先客がいた。全員がこちらを見るが、施設あがりママの子供だとわかると全員が揃って目を逸らした。

 俺たちがカウンターの席に腰をおろすと、先客の老人どもは数枚の銅貨を舌打ちと一緒にテーブルに投げ捨て店から出ていった。

 まったく気持ちの良い一日だぜ。


 店主のブギーが注文も取らずに安酒を俺たちの前に並べる。誰も杯を重ねようとはしなかった。


「お前ら、くすねた薬はどこにやったんだよ。それを売り捌かなきゃ、どうにもならねえぞ。」


 俺が当然の質問を投げかけるが、奴らの態度がはっきりしない。ようやく開いた口から出てきた言葉に俺は耳を疑った。


「あれな、もう無えんだわ。」


 グルービーがプラチナブロンドの髪をかきあげ、影のある表情を浮かべる。俺が女なら、ため息の一つでも出ただろう。だが、俺が出したのはため息ではなく拳だった。


 座ったまま放たれた左フックが、きれいに脇腹に突き刺さり、グルービーはカウンターに顔を埋め、鼻から酒を垂れ流した。


「マーチン、どういうことだ?わかるように説明しろよ。」


「この馬鹿な、引っ掛けた探索者の女に騙されて、全部持ち逃げされたんだよ。俺らだって最初からガルシアに喧嘩売るつもりなんてなかったんだ。」


 マーチンは低く唸ると頭を抱えて黙り込んでしまった。


「その女の正体は突き止めてんだろうな?」


「ああ、王都からやってきたっていう探索者の一行の一人だ。当然取り返しに行ったさ。でもよ、あの女、王都じゃちょっとした有名人らしくてよ、腕利きにがっちり囲まれていやがったんだ。」


 グルービーは女一人の犯行とは思えないと言い、口汚く罵った。このことをガルシアに話せば、あっという間に薬を取り戻し、探索者を迷宮の肥やしに変えるだろう。でも、俺たちの負債が消えるわけじゃない。売り捌くはずの薬は俺たちの手元には絶対に戻らない。


「全部で八人だ。二人でいっても返り討ちさ。」


「でも、そいつら探索者なんだろ?なら土地神様の迷宮に足を運ぶはずだ。」


 俺の言いたいことなんてこいつらだってとっくに考えているはずだった。


 この世界に存在する迷宮には必ずぬしと呼ばれる迷宮を創造した存在がいる。十二柱と呼ばれる天上の神々が創造した十二個の迷宮をはじめ、妖精が創り上げた花園の如き迷宮まで様々だ。


 この最果ての町にある迷宮は土地神様が創造したものだ。天上の神々とまではいかないが神は神だ。人では到底届かない力を有している。その力の恩恵に預かれる人間がいる。それがこの俺ハッチ様ってわけだ。ガルシアが俺を殺さない理由もまさにここにあった。


 土地神様の力を授かるためのルールは簡単だ。

 この土地に縛られること。

 土地神様を信仰すること。


 神様ってのは、信仰心なくしては存在できない儚いもんだ。

 土地に縛られ信仰を捧げる。簡単だろ?このチンケな寂れた町で一生を過ごすだけだ。涙が出るほど簡単だ。


 そして俺は王国の「法」により、この土地神様の神地に縛られた存在。「法」ってのはそれに従う人間が多ければ多いほど、大きな力を持ってくる。王国に何百万の人間が生活しているかは知らねえが、それだけの数になると、もはや呪いだ。


 酔いも回ると、借金のことなど忘れて俺たちはくだらない話で盛り上がった。いつもなら掴み合いになる話題も、今日は口喧嘩止まりだ。呂律も回らなくなってきている。


 店主のブギーに何杯目かのおかわりを頼むと、これ以上は駄目だと断られる。ツケで飲まさせて貰っている恩も忘れて、俺たちは在らん限りの悪態をついた。

 店を出ると最初に俺が吐き、次にグルービーが吐いた。あれだけ殴られた後に、これだけ飲めば当たり前といえた。

 ふらつく足で月を眺める。

 雲のかからない、澄んだ綺麗な満月だった。

 冷たい夜風に身を振るわせた。

 幼馴染と肩を並べて飲む酒は悪くない。


 

 

 

 

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