街角の負け犬は今夜も月に向かって吠え続ける

みふもと 乃多葉

第1話 小春日和

 その日は気持ちの良い小春日和ってやつだった。これからやってくる本格的な冬を目の前にして、町の奴らはそれをむかえる準備に忙しくしている。年寄りから子供、赤ん坊を抱えた女まで、薪を集めたり、小麦を轢いたり、家畜のために藁を干したり。まあ、そんな色々だ。

 雪でも降れば、商人どもの足も途絶え、食うものから何もかもが足りなくなる。そりゃあ、必死にもなるさ。


 必要な事とはいえ、毎年毎年飽きずによくやるよとは思うが、人の営みはぐるぐると回り続けるコマみたいなもんだ。

 日が昇り日が沈む。季節は巡り、人は歳を重ねる。

 同じところをぐるぐると回っているように見えても、全く同じなんてことはねえ。何かしらの違いがあるってもんよ。


 ガキの頃は勢いよく、あっちにこっちにと動き回っていたコマも、大人になればまっすぐ背筋を伸ばすもんだ。やがて年老いて、ぐらぐらとゆらつき、倒れて止まるまでな。

 なのに俺ときたら、二十七にもなって定職にすらつけていない。あっちにふらふら、こっちにふらふらと、投げるのに失敗したコマそのものだ。安定する前にコケてとまるのがオチってわけさ。


 そして、そのが目の前まで迫っていた。



 薄暗い部屋の冷たい床に俺は転がされている。何もすき好んで転がってるわけじゃねえ。

 なんたってここは、悪名高きガルシア一家の根城の一室なんだからな。転がってる理由を説明してやりてえが、残念ながら今の俺はそれどころじゃねえんだ。こうしてる間にも、俺を取り囲んだ男どもが嬉しそうに蹴り付けてきやがる。


 百キロはあろうかという巨漢の男が、つま先で俺の腹を蹴りあげた。男のブーツが俺の腹にめり込む。

 もうとっくに出し尽くしたと思っていた胃液を床に吐き出す。

 俺は血の混ざった胃液と床を睨みつけた。床を睨みつけるのが今の俺にできる精一杯の抵抗だからな。

 だが、それも一瞬のことだ。敵意有り、などと勘違いされたらたまったもんじゃねえ。

 怯えた表情を浮かべて、腹を抱え、声を出して呻く。

 俺を蹴りあげたデブが、満足そうに顎を摩りながら笑みを浮かべた。

 俺の演技力は衰えていないようだ。

 俺には婆ちゃんはいねえが、もしいたらきっと褒めてくれたに違いない。

「ハッチ、今のは素晴らしい演技よ。」ってな。


 俺は苦悶の表情を作ると情けない声ですがりつく。

 

「へへ、勘弁してくださいよ。俺は本当に関係ないんですよ。全部グルービーとマーチンがしでかしたことで、ここに連れてこられるまで俺は、奴らが何をしたかなんて知りもしなかったんですから。」


 これは本当だ。

 『グルービー“優男”ホア』と『マーチン“酔いどれ”エイト』のお馬鹿コンビが、ドン・ガルシアの商品クスリに手を出すなんて想像すらしていなかったんだからな。

 いや、それは嘘か。俺はいつかは起こり得る、想像すらしたくない出来事から目を逸らしていたんだ。

 でも、今回の一件を知らなかったのは誓って真実だぜ。

 大体よ、そもそもがおかしい。一家の人間でもないあいつらに、商品クスリを預けていたガルシアが間抜けだっていう話だろ?二人が、従順なペットにでも見えたか?

 だとしたら、正気じゃねえな。


 第一、俺はあいつらの保護者でも、なんでもねえんだからな。

 なんで俺が拉致られて、殴られているんだ?


 考えれば考えるほど、置かれた状況の理不尽さに頭が熱くなる。俺はズボンの中の隠しナイフを指でなぞる。いよいよとなったら覚悟を決めるしかねえ。


 俺は無関係であることを改めて主張するが、誰も耳を貸す様子はなかった。人の話はちゃんと聞けって教わらなかったか?これだから育ちの悪い奴は嫌いなんだ。


 デブがどうします?って顔をガルシアに向ける。

 俺はより良い返事がその口から出ることを、祈るように愛想笑いを浮かべた。すると、ガルシアの取り巻きどもが情け無い奴め、とでも言いたそうな顔で俺を見下ろして鼻で笑いやがった。

 てめえらが同じ場面になったとき、どれほどのガッツを見せられるか、いつか確認してやるからな。


 だが、今はこの窮地をどうにかしなければならない。復讐は後でゆっくりやればいい。


 気怠そうなガルシアはゆっくりと立ち上がり近づくと、俺の白髪を掴みあげた。


 「なあ、白髪頭。俺がお前を殺さないでいてやるのはなんでかわかるよな。」


 白髪頭ってのは俺の渾名だ。ガキの頃からどういったわけか俺の髪は真っ白だ。

 こんな場面じゃなければ、俺のことを白髪頭なんて呼ぶ奴はタダでは済ませねえところだ。

 自分では品があると思い込んでいるちょび髭面に、唾を吐きかけたい衝動に駆られるが鋼の精神でおさえ込む。

 俺は人間ができているから、唾を吐きかける代わりにガルシアちょび髭の満足しそうな答えを探す。


「もちろんですよガルシアさん。俺たちがママの息子で俺たちは兄弟だからです。」


「そうだ。俺たちは同じ孤児院で育った兄弟だ。血は繋がっていなくても家族だ。院長ママがいつも言っていただろう。早く大きくなりなさい。大きくなってママを楽させてちょうだいってな。」


 ちょび髭をひと撫ですると、大袈裟に両手を広げる。

 皺一つ無い白いシャツは、まるでロープに吊るされた洗濯物みたいだった。

 ガルシアちょび髭は目を閉じると大きく息を吸い込み力を溜める。俺は慌てて両腕で顔と頭を覆い隠した。

 

 俺は息を止め、腹に力を入れる。タイミングを見計らったように、ガルシアが俺の顔を目掛けて蹴り付ける。顔を覆った腕から嫌な音が聞こえた。折れてはいないだろうがヒビぐらいははいっただろう。

 何度も何度もガルシアは俺を蹴り付けた。

 頭を腹を背中を。

 ふうふうと呼吸を荒くしたガルシアが再び俺に問いかける。


「で、お前はママにどれだけの金を入れたんだ?ちゃんと楽させてやってんのか?」


 受けた恩は返さなきゃならねえとガルシアは言う。

 確かに赤子だった俺を育ててくれたことは感謝してるさ。嘘じゃない。でもそれは実際に世話をしてくれた同じ孤児のシスターたちに対してだ。ママは怒鳴り散らすだけで何もしちゃいないのだから。なのにこのちょび髭ときたら、あの太っちょのババアを神サマのように崇めていやがる。


 殴られ過ぎたせいか、ガルシアの声が遠くに聞こえる。ぼんやりとした意識の中、天井の魔術封じの魔法陣が目に入った。こんなもんまでご丁寧に用意しやがって、ビビってるのはお前らじゃねえか。

 俺は呼吸を整えるふりをして、ズボンの中の隠しナイフを指でなぞる。まだこいつの出番じゃない。自分に言い聞かせると最高の笑顔を浮かべた。


「金ならちゃんと入れてますよ。俺はロクデナシですが、恩知らずじゃありませんから。」


 ちょび髭の野郎は目を細めると、取り巻きの一人に向かって指を動かす。何かを取ってくるように命令したようだ。高そうな机から取り出された帳面を男はガルシアに恭しく差し出す。


「これは誰がいくらママに渡しているかを書き記したもんだ。これによると先々月は銀貨二枚、先月は銀貨一枚。」


 ガルシアはゴミでも見てるような視線を俺に送る。


「今月はもう終わるが何かを届けたっていう報告はねえな。銀貨二枚?一枚?ガキの小遣いか?」


 記録なんてとっていやがったのか。細かいことをネチネチと嫌な野郎だぜ。


 銀貨を小遣いで貰えるなんてどこの大富豪だよ。それに俺は小遣いなんて貰ったことがねえな。

 もちろん思うだけだ。余計なことは口にしない。

 俺には父親はいねえが、もしいたらきっとこう言ったはずだ。

「ハッチ、口は災いの元だ。男は無口なぐらいが丁度いい。」ってな。


 俺はすっかり板についた愛想笑いを浮かべて言い訳を並べる。


「最近の探索者は冒険者なんて名乗りやがって、薬やらは手を出さないんですよ。気取っていやがるんだ。それに王都の近くに新しい迷宮ができたもんだからすっかり客足も……


 俺のセリフはガルシアの蹴りによって遮られた。

 俺の鼻血が薄汚れた壁を彩る。

 そろそろ覚悟を決めなきゃならねえ。いいか、コマってのは止まる直前が一番大きく、派手に動くんだ。目にものを見せてやる。


 そう思った時だ。

 部屋の扉がノックも無しに勢いよく開けられた。

 


 

 

 


 

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