第7話


「作戦会議をします」


「……はい?」


休日、部屋で新作ゲームのパッケージを剥いていると、突然夏美がそんなことを口走る。僕は一瞬彼女のほうを向くと、首をかしげる。


「いったい何の作戦会議をするんだ?」


「それはもちろん……次のデートについてです」


夏美はそう言って、深刻そうに顔をしかめる。


「実は友達に、付き合い始めたにしては、なんだか落ち着きすぎじゃないかと疑われていまして……」


「まあ、そこらのカップルよりも歴長いしな。でも、幼馴染なんだからしょうがなくないか?」


「それはそうですけど、お兄さん。この前なんて、熟年夫婦みたいなんて揶揄されていたんですよ?」


「確かに、それはあまりよろしくはないかもしれないな」


「そこで、作戦会議です」


そう言うと、どこからか持ってきた伊達メガネをかけて、わざとらしく眼鏡をクイッ

とあげる。


「それに、明日でしょう? おひとり様一つのプラモ」


「あっ……」


すっかり忘れていたが、確かにそうだ。そもそも、この偽装カップルも、そのために引き受けたのだった。


「まあ、任せてくださいよ。プラモ買ったら、そのあとは満を持してのイベント回収です」


「いや、相変わらずブレねえな」


そんなことを言いながら、僕はディスクをゲーム機に入れる。


「で? プランは決まってんのか?」


「大方は決まっていますね」


「そうか。一応聞くけど、どんなプラン?」


「秘密です。当日になってからのお楽しみ的な?」


「作戦会議の意味がねぇ」


「意味はありますよ。どんなイベントシーンを消化したいとか、あえてセオリーを外していきたいとか、いろいろあるじゃないですか」


「悪いが、僕はそこまでゲーム脳じゃないし、恋愛趣味レーションゲームはお前と違って全然やらないんだよ」


「なんですか、それ。会話の八割方手詰まりじゃないですか」


「そんなことで手詰まりになる彼氏彼女は嫌だよ……」


「まあ、いいです。本当は少し話す予定でしたけど、路線変更です。当日まで本当に

秘密にします」


「おい、なんだよそれ」


「たっくんが全部悪いんです。ほら、ゲームやりますよ」


「……はぁ。へいへい、分かりましたよ」


で、そんなこんなで迎えた当日。僕は約束の時間より約十分早く家の前で待っていた。

いつもなら寝ている時間。だが、今日ばかりはそうも言っていられない。おひとり様一つの限定プラモデル。この為の早起きなら、まったく苦ではない。


「お待たせ」


「おう、遅い……ぞ……?」


僕は目の前の光景に言葉が詰まる。


「夏美……?」


「はい、どうしました?」


目の前にいるのが夏美だと疑うくらいの美少女がそこにはいた。普段はよれよれのTシャツか、毛玉のついたスウェットしか見たことがなかったが、服が変わるだけでこんなにも人は激変するものなのだろうか。


「もしかして、ドキドキしちゃいました?」


「……してない」


「今、微妙な間がありましたけど?」


「気のせいだ」


「本当ですかぁ?」


「ああもう、うるさい。早く行くぞ」


僕はそう言って、さっさと歩き始める。

おかしそうに笑う夏美の声が、今だけは居心地悪かった。




「ああ、なんと神々しい」


「無事に買えてよかったですね」


「ああ、本当にありがとう」


僕は買うことのできたプラモを掲げると、嬉しさから感嘆の声を上げる。

朝七時から並んで手に入れた限定品。ここを逃したらもう手に入らないかもしれないものだったので、気が狂うほど嬉しい。


「思ったよりも早く買えましたし、一旦家に置きに帰ってから、イベント回収としゃれこみましょう」

 時間を見てみれば、まだ八時半を少し過ぎたあたり。大体の店が開き始めるのは十時くらいからなので、それが安パイだろう。


「賛成だ」


僕らは一度家に帰ると、目的地も分からぬ場所へと歩き出す。


「で、どこに行くんだ?」


「それはですね」


ドゥルルルルなんて言ってもったいぶる。どうでもいいから早く言ってほしい。


「ドゥン。なんと、水族館に行きます」


「本格的にイベント回収しにきたな」


「そりゃあ、当たり前ですよ。イベントシーンはできるだけ逃したくないじゃないで

すか」


「ゲーマーの鏡だな」


「お褒めにあずかり光栄です」


そんなくだらない会話をすること約十五分。僕らは目的地の水族館にたどり着く。


「大人二枚お願いします」


係りのお姉さんから入館チケットを貰うと、さっそく水族館に入館する。


「たっくん、見てください。お魚がいっぱいです」


「そりゃ、水族館だからな」


興味津々に水槽の中を覗く夏美に思わず笑ってしまいそうになりながらも、僕は彼女の後ろを歩く。


「たっくん、たっくん、チンアナゴですよ。チンアナゴ」


「分かったからそんなに走るな。いつか転ぶぞ」


「ふふん、この私が転ぶわけないじゃないですか」


「調子のいい奴め」


「ところで、チンアナゴって、なんか響きが卑猥ですよね」


「おい自称美少女。思考が小三男子と変わらんぞ」


「じゃあ今だけは小三の男の子になります。……ってことは、たっくんはショタコン?」


「おい、僕に変な属性をつけるのはやめろ」


「大丈夫です。例えたっくんがショタコンでも、私は気にしません」


「だから、僕はそもそもショタコンじゃないが⁉」


「そんなことよりも」


「そんなこと⁇」


「チンアナゴって、ウナギとかアナゴの親戚らしいですよ」


「マジかよ、知らなかったわ」


僕はそう言いながら、ふと夏美の方を見る。不意に見た彼女の横顔は、暗がりから仄かに照らされた明かりで、どこか蠱惑的に感じた。

トクンと心臓が緩やかに脈を打つ。いつもと装いが違うのもあるのだろう。妙に艶めかしく見える彼女のその姿に、僕は大きく深呼吸をする。


香水でもつけているのだろうか。微かに甘い香りが鼻腔をかすめる。深呼吸は失敗だったと静かに後悔をする。

そんなことをしていると、夏美と視線が交差する。僕は一瞬体をこわばらせながらも、ごく自然に視線をそらした。


「えいっ」


直後、夏美が腕に抱きつく。先ほどまでのこともあり、僕の身体は完全に固まってしまった。


「ど、どうしたんだ?」


「こっちの方が恋人っぽいかなって思いまして」


「な、なるほどな」


甘い香りが、より濃く鼻をくすぐる。柔らかい感触が、直接腕に伝わる。

落ち着け。相手はあの夏美だ。部屋着は毛玉のニットだし、色気より食い気、食い気よりゲームの女だ。ときめく要素なんてない。……はずだ。


「ほら、あっちにクラゲさんがいますよ」


グイっと腕を引っ張られると、より強くその感触が鮮明に伝わる。

そういえば、クラスの男子が言っていたな。夏美は制服の上からでも分かるくらいには、出るとこは出ていると。……何がとは言わないが、ずいぶんと成長したなぁ。

心頭滅却‼ 落ち着け、西村卓也。童貞十六歳。


「たっくん、ふわふわです。クラゲさん、凄いふわふわしています」


こっちの気を知ってか知らずか、彼女は小刻みにぴょんぴょんと跳ねる。

やめてくれ。跳ねると余計に腕に当たって意識してしまう。


「どうかしましたか? 様子が変ですよ?」


「……当たってる」


意を決して言ってみると、彼女は一瞬何かわからないといった表情を浮かべ、それから僕の腕に視線を落として意地悪くニヤリと笑う。


「当ててるんですよ?」


そう言って、夏美は更に強く腕に抱きつく。


「悪い冗談はやめろ。僕の理性にだって限度はある」


「たっくんの理性ですか……。正直、その限界は見て見たい感ありますね」


「げんこつでもお見舞いしてやろうか?」


「すみませんでした」


夏美はようやく腕から離れる。僕はほっと息をつくと、頭の中に微かに残る雑念を振り払った。


「じゃあ、代わりと言ってはなんですが、これで手を打ちましょう」


夏美はそう言って、右手を差し出す。


「さっきよりはマシでしょう?」


「……はぁ、そうだな」


僕は差し出された手を優しく握ると、夏美は不満そうな顔をしてから、滑らかな指を絡ませる。


「これじゃないと嫌です」


「へいへい」


少しだけ上機嫌になった彼女に、僕は若干の苦笑を浮かべる。

いつまでたっても、こいつには敵いそうにないな。そんなことを思いながら、僕は微かに絡める指に力を籠めるのだった。

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