妖精の幻惑【KAC20253】

竹部 月子

妖精の幻惑【KAC20253】

「おっ、今日もコハルちゃん来てるぞ」

 わざわざコウダイの意識をバックネットに向けたバカに、静かに舌打ちする。

「ダラダラしないで走り込み行ってー!」

 余計なことするヤツは、校庭100周くらいしてればいい。

「マネージャー厳しいッスー」

 監督不在時のメニュー管理を任されているマネージャー あたしに文句を言える部員は居ないのだ。

 

 コウダイは肩越しに軽く振り返って、彼女の姿を認めると、ギュっとバットのグリップを握った。

 芯をとらえた力強いバッティングで、ボールが矢のように飛んでいく。

 

 ネットの向こう側で、彼女がコウダイの打球を目で追った。

 こんなに西日がまぶしいのに、まばたきもせずに、天使みたいにすんなりと顔を上げる。 

 ベンチがざわついた。

 「マジ可愛い」とつぶやいた部員は、最後のランニングを一番長いコースに変えてやろう。



 コウダイはあたしの幼馴染だ。

 家が隣で、母同士が仲良しだから赤ちゃんの頃から家族みたいに育った。

 同じ幼稚園に行って、そこの野球クラブにコウダイが入るって言うから、当たり前のようにあたしもそうした。

 小学校までは真っ黒に日焼けして一緒に練習したけど、中学に上がったら「女子部員かぁ」と顧問に苦笑いされたから、マネージャーになることにした。

 コウダイと居られるなら、どっちだって良い。

 

 部員の半分くらいは、野球つながりの顔なじみで、高校に入ってもずっと小学生みたいなテンションでいられた。

 野球部はあたしの一番の安らげる場所だった。

 なのに。


「あの子、ヒロキ先輩の妹じゃね?」


 その一言で、あたしの世界は崩壊した。

 確かにお兄さんのヒロキ先輩は、すごい選手だったけど、彼女は別に何者でもないのに。

 

 彼女はただそこに立っているだけで、をひきつける街灯みたいに光った。

 しかも、よりにもよって、いつもコウダイを見つめていた。

 やめてよ、あなたみたいな子に見つめられたら、誰だってそっちがいいって思うに決まってる。

 

 佐々木小陽こはるは、あたしのネバーランドに突然現れたウェンディだ。

 

 ピーターパンの話を知ってる?

 ピーターに気に入られたウェンディに、妖精ティンカーベルが嫉妬して、仲間をけしかけて殺してしまおうとするんだよ。

 それがピーターパンにバレて、ティンクは追放される。

 小さい頃は当然の報いだと思ったけど、今なら分かる。

 あれは大切にしていた居場所を踏み荒らされそうになったティンクの、正当防衛だ。

 

 コウダイは、あの子が見ている時、必ず動作に力が入る。

 カッコイイところを見せようとしているみたいで、それが、何より嫌だ。

 

鈴華すずか、俺も次、走り込み?」

 いつのまにか近くまで来ていたコウダイに、噛みしめていた奥歯をゆっくりひらく。

「監督が来たら投球練習見てくれるはずだから、肩あっためといたほうがいいかな」

 了解、とグローブを取りに行こうとしたコウダイに、ごく普通の世間話みたいな声で続ける。

「ヒロキ先輩の妹さん、今日もコウダイのこと見てたね」

 コウダイは答えないで、キャップのつばを無意識に触る。落ち着かない時のクセだ。 

 

 あたしは妖精ティンカーベルみたいなヘタクソなことはしない。

 コウダイの傍から追放されるなんて、絶対に嫌だから。


「やっぱりお兄ちゃんの番号背負ってる選手には、注目しちゃうんだねー」


 あの子は小さい頃からお兄ちゃんの試合に来てたから、今でもつい野球部見ちゃうんだね。

 あの子はお兄ちゃんと同じ、ピッチャーばっかり見てるよね。

 コウダイのことを見てるわけじゃないよ。

 お兄ちゃんの影を追いかけているだけだよ。

 

 コウダイが彼女を認識するたびに、毎回毎回小さな芽をむしるように、佐々木小陽の恋路を潰す。

 気付けばバックネットの裏に、もう彼女はいなかった。

  

 妖精の粉をふりまいて、必死でコウダイの目をくらましているみたいな日々だ。

 ねぇ誰か、今のうちにウェンディを現実の世界へ連れ戻してよ。

 お願い……。

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