蜜柑色の妖精

此糸桜樺

ピロリン、ピロリン

 私には友達が少なかった。人付き合いが苦手で、上手く他人と話すことができず、いつも自分の殻に閉じこもってばかりいたからだ。

 だから、私にとって唯一友達と言えるのはだった。妖精はファンタジーでしょ、と考える人は多いかもしれない。しかし、実際に、確かにいるのだ。


 例えば、うちの妖精はシャイだ。人がたくさんいる場所には滅多に姿を表さない。私が部屋で本を読んでいると、妖精はやってくる。ピロリン、ピロリンと羽を揺らしながら、私の顔色を伺い、じっと様子を見てくる。そしてしばらくすると、そのうち本をめくるのを手伝おうとしてくる。正直それは心底邪魔なのだが、一生懸命私のために何かしようとする妖精が愛しくてたまらない。幼い頃から引きこもりがちだった私にとって、妖精はたった1人の友人だった。


 妖精と初めて出会ったのは、私が幼稚園生のときだった。多分年長さんの頃だったと思う。私は砂場の端っこで土いじりをしているのが好きな子供だった。周りの子たちはスコップやシャベルを持って、穴を掘ったりお城を作ったりしていたが、私はそんな事はしなかった。ただ土を手のひらに乗せて、さらさらと落として、また手のひらに乗せて、さらさらと落として……そういった遊びを毎日毎日繰り返していた。先生からは「みんなと一緒に遊ぼうよ」と言われたりもしたが、私はふるふると首を横に振った。


 私がいつものように砂場に座り込んでいると、周囲に積まれたブロックの隙間に、蜜柑色の花が咲いているのを見つけた。オレンジのようにみずみずしく、マンゴーのように鮮やかで、かぼちゃのように目を引いた。そして――そこに妖精はいた。蜜柑色の花びらに隠れるようにして、妖精はじっとこちらを見つめていた。私が「妖精さん?」と聞くと、妖精はびっくりしたように目を大きくし、その後でこくりと頷いた。私がそっと手を差し出すと、妖精は迷いつつもゆっくりと手のひらに乗った。私は優しく妖精を両手で包み込んだ。

 この妖精は一生大切にしよう――そう決めた。




 私はその夜、この妖精のことを「みかん」と名付けた。




 小学校にあがると、妖精が見えるのは特殊なことなのだ、とだんだん気づき始めていた。なんとなく隠した方がいいのかもしれないとも思った。だから、みかんのことは、クラスメイトにも家族にも誰にも話さなかった。

 これは、私とみかんだけの秘密だった。


 ある日、部屋の窓を開けていると、みかんがいなくなっていることに気がついた。私は慌てて探したが、部屋の中にはいないようだった。みかんが私の部屋から出ることなんてめったにない。しかしいないのなら、探すしかない。家の中を必死に探した。しかし、どうしても見つからなかった。夕方になるとみかんがふらりと窓から帰ってきた。どこに行ってたのと私が怒れば、みかんは困ったように眉を下げて、小さな手を私に差し出した。そこには可憐な蜜柑色の花が握られていた。思えば、今日は私の誕生日である。学校では誰も祝ってくれなかったから、すっかり忘れていた。私は黙ってその花を受け取った。「ありがとう」と言って、みかんの頭をそっと撫でた。


 みかんは話すことができなかった。こんなに小さな生き物なのだから、きっと声は高くて小さくて早いのだろう。ちょうど早送りの映画のように。しかし、話せないからそのような声を聞くことも叶わない。

 それでも私たちは心が通じ合っていた。話せなくても、言葉を交わせなくても、絶対に大丈夫と言う自信があった。それに私はみかんがいれば寂しくはなかった。学校に友達はいないけれど、みかんが友達だったから。そしてそれはみかんも同じだと信じていた。

 みかんには私がいる。

 私にはみかんがいる。

 それで十分だと思っていた。小学生のときも中学生のときも、みかんだけが心の拠り所だった。


 しかし、高校にあがると同時に、私は痛いくらいに孤独を自覚するようになった。小中学校のときは給食だったお昼も、高校になればお弁当になる。小中学校のときは学校帰りの寄り道は厳禁だったが、高校にもなれば放課後遊んで帰るのが許容される。

 そんな学校生活、友達のいない私にとって、みじめ以外のなにものでもなかった。

 みかんとだけ接していたい。学校になんか行かず、ずっと家にいたい――そう常々思っていた。


 私が高校から帰ってくるとみかんは泣いていた。どうして泣いているのか慌てて聞くと、みかんは私の家族写真を指さした。そこで私は悟った。みかんは家族がほしいのだ。確かにみかんには私しか知り合いがおらず、その私ですら昼間は学校に行ってしまう。みかんが寂しいと思うのも無理はないだろう。

 私はみかんのために授業を休んだ。私のたった一人の友達のため、ずっと一緒にいてあげようと思ったのだ。

 一日、二日、三日、四日……。しかし、長引いていく私の欠席に家族は心配し始めた。体調が悪いなら病院へ行こう、とも言われた。

 高校は義務教育ではない。親が学費を払ってくれているから通えているだけ。家族が私の体調を心配してくれる度、ちくりと罪悪感を覚えてしまう。

 そして、これ以上欠席することは無理だと断念し、また学校へ行くことを決めた。「学校行ってくるね」と言うと、みかんはこくりと頷いた。

 みかんはまだ悲しそうな顔をしていた。


 みかんには、妖精の友達が必要だ――私はそう思い始めていた。さすがにみかんの家族をピンポイントで見つけ出すのは難しいだろうが、妖精の仲間を探すだけならいくらか難易度は下がるはず。

 よし、やろう。

 私は、みかんの友達探しをするため、久しぶりの休日外出をすることにした。妖精がどんなところにいるのか皆目見当もつかなかったが、とりあえず、みかんを連れて色んなところを歩きまわった。とは言っても、私は人混みが苦手だから、人通りの少ない道や公園・小道などがメインであったけれど。

 花の咲いている場所なんかもいいのでは?と思い、通学路の雑草などもくまなく見てまわった。


 しかし、いくら探しても妖精は見つからなかった。こうなっては仕方がない。人が多いところも探してみよう。そう思って、商店街やショッピングモールのようなところにも行ってみた。

 その過程で、自販機でジュースを飲んだり、道端でティッシュをもらったり、歩き疲れて屋台でクレープを買ったり……家に引きこもっていてはできなかったようなことも、たくさん経験した。普通の高校生からしたら、このくらい日常茶飯事の出来事だろうが、私にとっては大冒険だった。

 私がクレープを食べてる間、みかんは羨ましそうにこちらを見ていた。試しに、みかんに生クリームをひと口あげた。あまりの甘さにしばらく驚いていたようだが、すぐにニコニコと笑顔になって、またもうひと口食べた。頬に生クリームを付けながら頬張っているのを見ると、たまらなく可愛くて、やっぱり私の友達はみかんしかいないと思った。


 みかんと一緒に外出するようになったことで、私は出かけることがあまり怖くなくなっていた。数ヶ月前までは、家と学校の往復しかしておらず、寄り道なんて一回もしたことがなかった。それどころか、近所の駄菓子屋にすら入ったことがなかった。

 それが今では、繁華街にも足を運べるようになったのだからものすごい成長だ。それに、もし困ったことがあっても、胸ポケットにはみかんがいる。それが一番心強かった。

 地図が読めなくてうんうん唸っていれば、みかんがおそるおそる正しい道を指さしてくれた。グッズを買うか買わないか悩んでいると、みかんも一緒になって悩んでくれた。そして、時折食べ歩きをしたり、路上ライブを眺めたりもした。

 みかんと一緒に街を歩くのは、なかなか楽しいことだった。


 みかんを胸ポケットに入れて、信号待ちをしていると、歩道の端っこにピンクの花が咲いていた。みかんがじっとそこを凝視している。何か特別なものがあるのだろうかと不思議に思い、私も目を凝らして見てみる。するとそこには一人の妖精がいた。

 桃色の妖精だった。

 私ははっと息を飲んだ。いた。ついにいた。ついに見つけた。みかん以外の妖精がついに……。

 瞬間、みかんはぴょんと飛んで、桃色の妖精のもとに駆け寄った。桃色の妖精はみかんの存在に気が付くと、パッと顔を明るくした。そして二人はピロリン、ピロリンと踊りながら、楽しそうに笑いあった。羽からは小さな流れ星が飛び、細かな星の屑が舞った。


 みかんは私に笑いかけた。その微笑みは「ありがとう」と言っているかのようだった。みかんは、私のもとまで飛んでくると、ぎゅっと小指を抱きしめた。みかんの体温はあったかくて、思わず涙が出そうなくらい優しかった。私がその小さな頭をそっと撫でると、みかんは嬉しそうに目を細めた。そして、私の指から名残惜しげに離れた。

 みかんは再度にっこり笑い、桃色の妖精と一緒にまたピロリン、ピロリンと踊った。

 くるくると舞いながら。

 羽から星を瞬かせながら。

 二人は徐々に天高く、澄み渡った青空にのぼってゆく。

 そうして、妖精たちはきらめきの残像だけを残し、やがて私の前から姿を消した。




 別れはあっという間だった。




 私は唯一の友達を失った。

 幼稚園生の頃からずっと仲良くしていた、たった一人の友達をなくしたのだ。

 悲しくて、でも、みかんに友達ができたのが嬉しくて。

 辛くて、でも、みかんがもう寂しい思いをしなくていいのが嬉しくて。

 どんな感情を顔に出せばいいのか、わけが分からなかった。


 ふわりと肌に触れる程度の風が吹く。道端に咲く桃色の花は、そよ風に揺られながら、相変わらず可憐に咲いている。

 あたたかで優しいそよ風は、まるで私を慰めているかのようだった。


 そのとき私の腹が、ぐぅ、と鳴った。そういえばまだ昼食を食べていなかったのを思い出す。家まで我慢するか、それともコンビニで軽食を買うか。でも、今は食欲ないかもなあ……などと考えているうちに私の腹が再び、ぐぅ、と鳴った。

 ……ええい、もう、こうなったら焼け食いである。

 私は近くのレストランで腹を満たすことにした。


 そのとき、ふと気がついた。

 私はいつの間にか、みかんがいなくても、一人で外の世界を歩けるようになっていたのだ。


――もうあなたは妖精がいなくても大丈夫。


 そんなみかんの声が聞こえたような気がした。


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