Depth31 太陽が沈む理由

「おい」


 真後ろから暗い声が響く。草場は咄嗟にコルトを構えて振り向いた。体は反応してしまったが、その声に聞き覚えがあったためトリガーを引くことはなかった。「ったく」彼は呆れたようにため息をつく。


「お前さんの能力は心臓にわりいわ。もっと普通に出てこれないもんかね?」


 そこに立っていたのは、お決まりの黒いロングコートを羽織った青年、日高太陽だ。


「ああ、悪かったな」


 太陽は素直に謝った。彼はとても不器用なのである。人に話しかけるということは、とても苦手だった。


「しかし、今日はなかなかおもしれえ日だ。神ってやつの気まぐれかねぇ……」 


 草場はしみじみと言葉を漏らす。神宮寺に太陽、彼らとまた再会するとも思っていなかったのだろう。


「それより、ジョーについて何かわかったことはあるか?」


 彼の会話にはアイスブレイクという概念は無いようだった。


「あるぜ、とっておきのがな」


 草場は少し笑った後に、ジョーの能力について説明した。奴の能力発動条件や優音がどう戦ったのか、手傷を負っていることについてである。ひとしきり聞いた後に太陽はまたも単刀直入に訊いた。

 

「それで、奴の居場所は?」


「それがわかりゃあ苦労はしねえさ」


 草場は首を振り、そのまま逆に太陽に尋ねた。


「それよりお前さんだろ?俺をC-SOTに斡旋したのは。まったく、こちとらおっさんだってのに、とんだブラックな職場を紹介してくれたもんだな。配属初日でこんなに働かされるとは思ってなかったぜ?」


 草場の口調は皮肉交じりではあるが、楽しそうだった。こう見えて感謝しているのかもしれない。


「……あんたの家族には連絡したのか?」


 2人は周囲の警戒を怠らずに会話を続けていた。それにしても、太陽が他人の事情に興味を持つのは珍しい。彼自身もなぜ自分がこんなことを聞いたのかわからないままに、言葉がでていた。


「まだ……できてねえ。この件が片付いたら、してみるさ」


 草場には数年前に別れた妻と娘がいた。弁護士などを通じて連絡先は知っていたが、別れて以来連絡は取っていないらしい。彼にしては歯切れが悪い返しだった。


「お前さんの方こそ、家族は……ジョーに殺されたのか?」


 前回はここまで踏み込んで聞くことはできなかった、1つの仮説だった。なんとなく今の雰囲気であれば話してくれるような気がしたのである。だが、草場はすかさず「言いたくなかったらいい」と付け加えた。それを聞いて太陽はしばらく黙っていたが、言葉を慎重に選ぶようゆっくりと話し始める。


「俺の家族は……全員奴に殺された」


(やはり、そうだったか……)


 草場は内心で納得しつつ、黙って話を聞いた。


「……妹の誕生日だった。テーブルを囲ってたんだ。ケーキとプレゼント……サプライズで渡すはずだった。みんなで用意してたんだ。でも、何をされたのかよくわからないまま、気づけば意識がなかった。食べ物に何か、仕込んでいたのかもしれない」


 何度か言葉がつかえたが、草場は黙ってただ話を聞いた。ずっと、誰かに話したかったのかもしれない。吐き出すだけでも救われることがあると、草場は知っていた。

 

「それで……目が覚めたらよくわからない場所にいて、倒れていた。家族はもう、妹以外デカいサメに喰われてた」


『お兄……ちゃん!たす……けて!』


「奴は嗤っていた。心底面白いとでも言うように。俺は怖くて、動けなかった。それで、俺の目の前で、手を伸ばしてた妹の顔を蹴り飛ばした……顔はズタボロだった。歯も折れて、血だらけで……。俺は手を伸ばした。やっと、掴んだんだ。でも、その手を掴んだ時、サメが妹を喰い千切った。最後に俺が握っていたのは、肘から先だけ……」


 そこまで言い終えた太陽はひどく呼吸を荒くした。心息を消耗してしまったのだろう。これだけのトラウマを思い出せば、それも当然の反応だった。草場は背を向ける太陽の肩に手を置く。「もういい、悪かったな」そう告げると、少しずつ呼吸が落ち着いていったが、その肩は大きく震えている。だが、その手を振り払った太陽は言葉を置いていった。


「その後は……無我夢中だった。何をしたのか、よく覚えていない。狂ったように叫んで、喚いて、目の前が真っ暗に染まった。隣でデカいクジラが鳴いていた。なぜか奴は俺を見失って、どこかへ消えた。憎くて、許せなかった。奴も、弱い自分自身も、この世界も……」


 しばらくは沈黙が続いた。草場も何を言っていいか分からなかったが、諦めたようにいつも通りの口調で告げる。

 

「いっちょ、ぶち殺すしかねえな。そんなクソ野郎は」


「ああ……必ず殺す」


 息の乱れは治まっていた。そして、草場が何かを発見したらしく、太陽を軽く小突いて知らせた。


「あいつをリンチにして是が非でもジョーの野郎について聞き出すぞ」


 草場が銃口を向ける先には見知らぬ男が立っていた。そいつは心海へと連れ込んだ女性を犯そうとしているらしい。2人はコクリと頷くと、太陽は黒いもやを身に纏い、草場はコルトを構えた。


「こっち向けクソ野郎!」


 草場は大声で男の注意を引いた。その男は大きめのウツボのようなバディを呼びだして叫ぶ。


「んだてめえ!邪魔すんじゃねえ!」


 そのウツボはただ真っすぐに草場の方へと泳いでくる。動きは速いが単純な動きだ。草場はそれを的確に撃ちぬくと、その男は胸を押さえて「クソッタレ!」と叫ぶ。そしてきょろきょろとした後に、近くに置いていたらしいナイフを女性に突きつけた。


「動いたらこの女の命はないぜ?おっさんよお!」


 女性は震えながら涙目で草場の方を見ている。だが、その直後にその男の背後から太陽が現れると、スムーズな動きで男を投げ飛ばし、ナイフを奪い取って逆にそれを突きつけた。


「クソッタレ!卑怯者ヒキョウモンがぁ!」


 その明らかなブーメラン発言に、草場は心底呆れてやれやれと首を振る。そして、太陽はその男の腹を蹴り飛ばした。


「ジョーについて知っていることを吐け。死にたくなかったらな」


「クソッ……誰だそいつ!知らねえ!俺が知ってるのはオトヒメ様だけだ」


 どうやらこいつは下っ端も下っ端らしい。戦い方や取り乱し方からしても、奴らの声掛けに呼応した有象無象の1人だろう。何の情報も持っていないようだった。


「コイツ、殺していいか?」


 太陽は草場に尋ねる。以前までなら尋ねることすらなく殺していたかもしれない。


「ぶっ殺してやりたいんだが、これでも警察なんでな。一応連行する」


 太陽がもう一度チンピラ男の腹を蹴り飛ばすと、奴は意識を失ったようだった。


「俺はこいつら2人を連れて一度戻らなくちゃならねえ。お前さんはどうすんだ?」


「俺は……俺も一度戻って、あんたたちの情報を聞かせてもらう」


 太陽は少し考えた後にそう告げると、続けて草場に聞いた。草場は女性を助け起こしている。


「なあ……俺は、アイツと同じ人殺しだと思うか?」


 アイツとはジョーの事だろう。太陽は前に心海で戦った時に草場が言ったことを、まだ考えていたらしい。


「人を殺せば人殺しさ。あの快楽殺人鬼も、お前も、俺だってな。だが……」


 そう言った草場は、「よっこらせ」と太陽の隣に腰を下ろした。ちなみに2人が腰を下ろしているのは、意識のない男の身体である。


「お前はまだ傷つくことができる。あのクソ野郎にはもうそれがない。奴も最初はそういう心があったのかは知らねえが、もう閾値いきちを超えちまったんだろうな。人を傷つければ、その分だけ自分も傷つく。俺たちは案外そうやってできてるんだ。俺もすっかり摩耗まもうしちまったけど、幸いにもまだ傷つく部分は残ってる」


 そう言って草場は肩を組んだ。太陽は怪訝そうに草場を見たが、振りほどくことはなかった。


「ま、お前さんは優しいってことだ。どんなに取り繕ってもバレバレなんだよ。不器用だけどな」


 そう言って草場は笑った。太陽は目を背けて肩を震わせている。草場はその目から流れる涙に気づかないふりをして微笑んだ。


「そいじゃあ、仕事に戻るわ。クソ野郎をぶっ飛ばすまで死ぬなよ?」


 彼はまた「よっこらせ」と言って立ち上がり、目の前で茫然自失になっている女性の手を取った。太陽も立ち上がり、赤くなっている目でまっすぐに草場を見る。


「あんたも死ぬなよ」


生憎あいにくと、まだその予定はないんでな。帰還ジャンプ


 彼は軽く手を上げると、女性とチンピラを連れて地上へと帰還した。


 太陽はしばらくそこに佇んだのち、ボソリと呟く。「優しい……か」そしてため息を漏らした後にロイを呼び出して地上へと戻った。


 その暗い目には少しだけ、光が宿っていた。

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