Depth30 変わらないもの

 咥え煙草をした八代は逃げた。距離を取ったという方が正しいかもしれない。オトヒメの攻撃範囲は限られている。肉体年齢の若い彼女自身の動きは俊敏だが、自動で彼女を防御する煙以外はその動きについてこれないようだ。


「あら?随分と弱腰ね。てっきり何か攻略法でもあるのかと期待していましたのに」

 

「いやあ、君の能力は強いからね。喋って心息を削りきる。それくらいしかできそうもない」


「そんなことができるとは思えないけれど」


 追い付いてきたアイオーンの煙が拳のようになって八代を襲った。やはり、攻撃速度もそこまで早くはない。彼は難なく回避する。


「貴方も意外と動けるのね。お年の割には、だけれど」


「こう見えても隊長だからね。年齢としの割には動けるさ」


 そう言ってまた距離を空ける。


(時を奪う……か)


 オトヒメの能力の本質が何であれ、万が一触れれば不利になることは明白だった。慎重に立ち回らなければならない。彼は咥えていた煙草を手に取って煙を吐き出す。


「君は年をとることを恐れてる。違うかい?」


 オトヒメは黙って銃口を向けると、数発の弾丸を発射した。八代は「シーさん」とバディを呼び寄せる。そして、その弾丸を自身の身体で受け止めた。やはり先ほどと同じように弾丸は全て先端から潰れてその場に落ちる。


「僕に銃弾は効かないよ。残念だけど」

 

「硬質化のような能力なのかしら?」


「まあ、そんなところ。いずれにせよ君の能力を打ち破るのは無理筋かな」


「ウフフ……ブラフにしか思えないけれど」


「うーん、ブラフならいいんだけどね……それより、さっきの質問に答えてくれないのは、図星だからだろう?老いるのが怖いかい?確かに君みたいに容姿端麗で金持ちで何不自由なく生きてこられたなら、あと望むものは時間くらいのものかもしれないね」


 八代は上手く攻撃をいなしつつ会話を続ける。オトヒメはそれに答えず攻撃を続けていた。


「でもさ、変わらないものなんてない。終わりがあるから今を生きようと思えるんじゃないかな?君が行く先には虚しさしかないと思うよ」


「説教臭いのは嫌いよ。もう、貴方には飽きましたわ。終わりにしましょう」


「いや、やめないよ。説教はおじさんの特権だからね。僕から言わせれば君は本当の愛を知らない。それは多くの人に認められることでも、お金や容姿目当てのものでもないから。愛は無条件なものだよ」

 

 オトヒメはそれを冷笑した。綺麗ごとなど何の意味もない。

 

「……そんなもの、本当にあると思っているの?人は何の条件もなしに人を想えると?それは欺瞞だわ。人間なんて欲深く何かを求め、それを相手に見出さなければ愛せない。どれだけごまかしてもね」


「君も子供を持てば分かるさ」


 八代は吸いきった煙草を落としてもみ消した。その瞬間、八代のバディがオトヒメの地面の下から頭突きを食らわせる。


(ノイズもなかったのになぜ!?)


 それは走ってきていた彼女の腹部を捉え、彼女は思い切りえずいた。彼女の動きが止まり、煙がシーラカンスを襲おうとするが、八代はバディをひっこめる。


「君の能力さ、一見完ぺきに見えるけど地面だけは朽ちさせないようにしてるだろ?まあ、そんなことしちゃったら深層に落ちていくだけだからね」


 オトヒメは今までにない憎悪の表情で、黙って睨みつけている。


「君は痛みを知った方がいい。人間、その方が深みが出るよ。僕は最近の子たちが小さな痛みすら過剰に恐れているのが心配だ」


 そう言って八代は新しい煙草に火を点けた。彼は地上ではひたすらに我慢しているが、本来的にはいわゆるチェーンスモーカーである。


「なら、これでどうかしら」


 オトヒメは息を整えた後、バディの背に飛び乗った。宙に浮く彼女たちの周りすべてが煙に覆われる。


「それも望むところ。君の心息を削りきることが僕の勝利条件だからね」


 確かにアイオーンの動きは遅く、逃げ回るのは容易だった。しかし、オトヒメは不敵に笑う。


「その軽口、叩き潰してさしあげますわ」


「うーん、まいったな。軽く言ってるつもりはないんだけどね」


 突如、射程外だったはずのアイオーンの煙は巨大な腕を形作り、猛スピードで八代を叩き潰した。彼の周りを完全に白い煙が覆う。彼女は自分の射程を偽っていた。いや、これをすると心息の消費が激しすぎるがゆえに今まで使ってこなかったのである。彼女は息を切らしながらバディの背から降り立つと、アイオーンをひっこめた。


「さあて、どんな死に顔か見せてもらおうかしら……朽ち果ててぼろぼろかもしれないけれど……ウフフ」


 八代の周りを覆っていた白い煙は立ち消えていく。ただ一本の白い筋を除いて。


「嘘よ!どうして!?」


「僕だって必要なら嘘をつくさ。この世界には変わらないものもある。僕の能力は『不変』を付加する能力だからね」


 彼の能力は自分かバディが直接触れたものに『不変』を付与する。どんな物理攻撃や彼女のような煙ですら何も変化させることができない。それを付与されたものは世界へと固定される。もちろん彼の心息が続く限りにおいてであり、生き物に関しては一度に1つのものしか対象にできない。八代はこれを応用して、先ほどの奇襲も成し遂げたのである。


 八代は素早い動きでオトヒメの元に走り寄った。彼女はバディを出せず、一瞬パニックになっていたようだ。だが、手に持っていた扇を振りかざして攻撃を繰り出す。彼女の扇は要や骨組みが鉄になっている、いわゆる鉄扇だ。しかし八代は手慣れた動きでそれを躱し、逮捕術の要領で腕をつかんで武器を落とすと、流れるような動作でそのまま腕をねじって取り押さえた。


「っ!有り得ない……それならこんなに回りくどいことをしなくたって……!」

 

「いやあ、『不変』だと動けないからさ。当たり前だけど。じゃあ、地上へ戻るよ」


「こんなことしてタダで済むとでも?ジョー様はワタクシを助けに来るわ!」

  

「彼自身も手傷を負っているからね。君に構ってる暇はないのかもしれない。とにかく……」


「いやっ!放しなさい!ジョー様!どこよ!助けなさいよぉ!」

 

 彼は咥えていた煙草を投げ捨ててから告げた。

 

帰還ジャンプ


 こうしてオトヒメは身柄を確保された。


 心海には一本の煙草だけが宙に向けて白くその煙を残していた。


 ――


「八代さん!と……オトヒメ!?」


「そいつは……確保したんですね」

 

 戻った先には猪俣と矢切がおり、小日向と優音の姿はない。オトヒメは悔しそうな顔とショックの混ざった表情を浮かべていたが、周囲で待機していた警官たちに取り押さえられた。そして、非潜行ノンダイブマスクを付けられて連行されていく。これは心海に潜ることを封じるマスクで、逮捕されたルーカ―たちは装着させられたのちに、特殊な隔離刑務所へと送られるのだ。


「それで、小日向ちゃんの容体は?」


「命に別状はないみたいっす!しばらく復帰は難しそうですけど……」


 猪俣はパッと顔を輝かせたかと思うと、少し寂しそうにうつむいた。


「そっか、それならよかった」


 八代も優しく微笑むと、矢切も大きくうなずく。その後は現状の確認を行った。ヒダカが1人を捉えたこと、地上での捜査の進捗、草場の向かった地点などである。これで残る事件発生地点はあと3か所。終わりが見えてきたが、ジョーと遭遇する可能性も捨てきれない。猪俣は小日向に付き添ってもらう形になり、どの地点へ向かうか2人で話し合っていると、そこに優音が姿を現した。


櫟原優音ひらはらゆうね!復帰しました!」


 そうハキハキと告げる彼女は本当に元気そうだった。どうやら花咲の発明品は上手く機能したらしい。


「本当にもう大丈夫なの?」


「この通り、元気バシバシです!花咲さんのカプセル、なんだか恐ろしい感じだったんですが、うまく機能したみたいです」


「マジで無茶はすんなよ」


「わかってます!でも、助けを待つ人がいるかもしれない以上、動けるときには動きたいんです」


 本当は少し無理をしていたのかもしれないが、その言葉を聞いてみな黙ってうなずいた。


「よし、じゃあこの3か所に1人ずつだね。それで、もしもジョーと遭遇したら、必ずすぐ連絡をすること。なにより、絶対に全員生きて乗り切ること。それが最低条件だからね」


 優音も力強く頷いた。それを見て猪俣は少し悔しそうでもあったが、覚悟を決めたように立ち上がる。そして、優音の肩に手を置き、真剣な目で言った。


「優音は、本当にすげえ。でも、絶対いつか超えてみせる。だから、必ず戻って来いよ」


「はい!次期エースの座は譲りませんから」


 猪俣は彼女の肩をポンと叩き、全員に視線を向けてから告げた。


「いってらっしゃい!」


「うん、いってくるよ」


「おう、待ってろ」


 そして3人はマスクを装着して、心海へと潜っていく。


「「「潜行します(する)ダイブ!」」」

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