Depth32 事件の結末
結論から言えばオトヒメ事件に端を発したこの一連の事件は一応の収束を迎えた。残っていた地点すべてが、単なる素人の犯行であり、容易に取り押さえることができたのである。敵の中には犠牲者もでたが、主犯格であるオトヒメの確保及び、多くの一般人が救助できたことは大きな成果と言えるだろう。中には救助が遅くなり重い心圧症にかかる人もいたが、命に別状はなかった。
ただし、肝心のジョーの行方は
集められた有象無象たちについては、特筆すべき情報はない。いずれもオトヒメの配信経由で急遽集められた元一般人であり、同時多発的に犯行を行うことで警察をかく乱させようという悪ふざけに近い動機だった。彼らを特別な人間だと思い込ませて、計画に取り込んだらしい。
1つ気がかりだったのは、どうやら警察の情報が相手に筒抜けだったことである。でなければあのタイミングでの強襲に説明がつかなかった。串呂などは上層部が怪しいと踏んで独自に調査を進めているが、それについてもやはり進捗は芳しくない。
とにかく、C-SOTの面々は大きな仕事を終えて各々が回復に努めることとなった。小日向も入院中であり、意識はあるものの復帰はすぐには難しい。宴会については、小日向の回復と、奴らがもともと計画していたXデーを乗り切った際に、再び執り行うことになった。
「なんにせよ、みんな本当にお疲れ様。1人の犠牲者も出さずこの事件を乗り切れたのは
「どうなることかと思ったけど、マジで乗り切れて良かったぁ!」
猪俣は嬉しそうに両手を天に掲げた。他の全員もホッとした様子で口々に話している。だが、Xデーは3日後に迫っていた。全国的に大規模なテロが行われると示唆された日である。優音はそのことに思考を巡らせていた。ジョーは必ずこの日にまた行動を起こす。彼の感情を垣間見たからかどうかは分からないものの、確信めいた予感がしていた。
――
太陽の耳にも、警察からの報告は入っていた。近藤を確保した功績もあったからか、草場の口添えがあったのか、とにかく信用を得たようだ。彼は自分の心の奥底に、それを少し喜ぶ自分がいることを見出したが、すぐに覆って隠した。これは個人的な復讐であり、”仲間”のような存在を認めるにはまだ時間が要るらしい。
「アンタ、少し雰囲気が変わったかい?」
そんな心を見透かしたかのように女王蜘蛛は嗤っていた。太陽が心海で強い絶望と怒りに飲み込まれかけたとき、助け出したのは彼女だった。だから本当のところ彼女に対して感謝の念をずっと抱えているし、こうして情報を話しているのもその恩返しという側面があるのだが、彼自身はそれに気づいていない。
「うるさい。俺は何も変わっていない」
「そうかい。でも、なかなかやるじゃあないか、あのスーツ連中も。八代や小日向はまだしも、
女王蜘蛛は煙を大きく吐き出すと「佐久間の坊やが言うだけのことはあるねぇ」と小さく漏らした。
”佐久間”という言葉を聞いて若干の嫌悪感を覚えた太陽だったが、優音のことに関しては素直に感心していた。あのジョーとサシで少しでも渡り合えるというのは、蹴りを受けたことで奴の本来の実力を知った太陽にとっては驚きだった。
「あんたの方で新しく入ってる情報はないのか?」
「そうだねぇ……大したことじゃないけど……」
「焦らすな」
「ふん、生意気だねぇ。粋な演出じゃないか。ま、とにかくXデーさ。時代が大きく変わるかもねぇ」
そう言って女王蜘蛛は可笑しそうに笑う。それについて太陽はいくつか質問を重ねたのだが、はぐらかされるだけだった。
「時代ってのは、個人の意思とは無関係に変わるもんさ。何が起こるかは、アタシにもわかりゃしないよ。誰にも……例え神であっても、ね」
女王蜘蛛の話はいつになく抽象的だった。だが、何かが起こる。それだけは確かなようだ。でも、太陽にとっては時代などどうでもよかった。とにかくジョーを殺せればそれでいい。
「あんたもババアなんだから時代に取り残されないようにな」
そう言って去る太陽の足取りはいつもよりゆったりとしていた。
「アタシが死ぬとこ、想像できるかい?」
太陽は立ち止まる。
「いや、あんたは殺しても死ななそうだな」
部屋には苦い香りをした白い煙と、女性の笑い声だけが残って反響した。
――
「あなた方には正直に言って失望しましたよ、鬼崎さん」
その人物はハットをかぶっており、後ろを向いているため顔は見えない。どこかのビルの高層階らしく、その窓からは東京都内の明かりが夜の闇を煌々と照らしている。
「……次にしくじったなら命はないと思いなさい」
ジョーこと鬼崎恭介はその言葉を黙って聞いていた。確かにC-SOTを嵌め殺す計画だったが、目的を達成できなかったのは事実である。そのことには彼自身も苛立ちを抱えていた。無能な連中。そして、手傷を負った自分自身と、傷を負わせたその相手にも。
「ただ、
鬼崎の前にいる人物は、なにやらスマートフォンでテキストを送っているらしい。ブルーライトが顔を照らしている。
「今日は随分とおとなしいじゃねえか」
「ああ、外交用のままだったね」
「全く人間というものは自我の同一性をどうしてそんなに気にするのかな」
「面倒!面倒!」
ハットの人物は突如として口調を変え、言葉を連続で紡いだ。それは1人の人間から発せられているとは思えない。口調だけではなく声も仕草もまるで別人だった。
「……雅を解放することはできねえのか?」
鬼崎はそれに臆することもなく、ただ普通に会話を続けた。雅とは清華雅、つまりオトヒメの事である。メッセージを送り終えたらしいその謎の人物は、スマホを懐にしまうと少し嗤った。
「君にも情のような感情があるのですか?」
「彼女の解放は、今は現実的ではないねぇ」
「ワンワン!嗅ぎまわっている犬もいるし!」
「俺様に情はねえ。ただ有能な駒ってだけだ」
「所詮は人間」
そう呟いたハットの人物は汚らしく嗤ったあと、懐から何かを取り出した。
「代わりと言ってはなんですが」
「我々の力を貸し与えよう」
「無能どもよりマシだ!マシマシ!」
そう言ってその人物はジョーに何かを手渡した。
「それは持っているだけでも十分に効果を発揮します。そして、もしあなたが追い詰められた時には……」
そう言って何かを飲み込むような手ぶりをする。それはどこか汚らわしく、嫌悪感を覚える仕草だった。
「俺様は追い詰められることはねえ。次は確実に殺す」
「そうですか、期待していますよ?」
そう言って、バーテーブルに置かれた真っ赤なカクテルを一息に飲み干した。
「では、帰っていただいて結構です。やることはいくらでもありますから」
鬼崎はそのままその場を後にした。受け取ったものをジャンパーのポケットにしまい、苛立ち混じりに拳を震わせる。
「必ず殺す。俺様に逆らった奴は全員……」
彼はそう言って夜の東京へと消えていった。それを見下ろすハットの人物は不敵に嗤う。
「あなたが死んでも、大局に影響はありません。ですが、せいぜい面白いものを見せてほしいですね」
そして、Xデーがやって来るのだった。
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