Depth26 リュウグウノツカイ

「まさか貴方とここで再開することになると思いませんでしたよ、


 草場は心海についてすぐ、敵の1人がいることに気づいた。だが、その行動を慎重に追い、まだ姿は現していない中で突如として発せられたのがその言葉だった。素直に驚きを隠せない。どこかで見られたか?いや、そんなことはないはずだった。


 彼は「仕方ねえ」と呟き、姿を晒さずに返事を返す。何かしらの手段でバレていることだけは確かだった。


「どうして俺がいると分かった?お前さんの能力ってわけか?」


 目の前にいるのは神宮寺慎太郎。オトヒメの第一秘書を名乗る男だ。相変わらずのスーツにネクタイ姿。丸い眼鏡に光を反射させ、その横にはリュウグウノツカイのようなバディを出している。あまりに警戒していないその姿は逆に不気味だった。


「能力についてお話しするつもりはありませんよ。ただ少し興味深いと思っただけです。運命のいたずらと言うんでしょうかね」


「俺を始末するいい機会ってわけだ、元雇用主さんよ」


 ふふふと神宮寺は笑ってから応える。

 

「今の雇用主はC-SOTという訳ですか。どんなコネクションで入ったんです?貴方の履歴書では採用されるとはとても思えませんが……」


 草場は彼が冗談めいて半ば楽しそうに話しているその隙を狙った。潜めていた壁から姿を少し見せて不意打ちで足を狙い、コルトの水弾を数発撃ち込んだのである。卑怯とは言うまい。あまり時間もないのだ。戦場で油断しきっている方が悪い。


 だが、その銃弾は神宮寺をかすめることはなかった。彼は最低限の動作で躱して話を続ける。


「容赦がないですね。ですが、貴方の能力では私を殺すことはできません。以前のように逃げ出しても構いませんよ。大丈夫です。『仕事はきっちりこなす』そんな言葉はもう誰も信じていないでしょう」


 思ったより嫌味な奴だな……草場は内心で奴のプロファイルを少し修正する。エリート意識からか人を見下さずにはいられない性質たちなのかもしれない。表面上とても真面目だが、できない奴の事は陰でバカにしているタイプだ。


「どうとでも言え。それより親御さんも泣いてるんじゃねえか?エリート街道を走っていた息子が急に道を踏み外したんだからな」


「動揺を誘おうとしても無駄ですよ。彼らは所詮一般人です。理解などハナから期待しておりませんから……」


「そうかい……それもそうだな。それで、お前さんたちの目的はなんだ?内容によっては俺も一枚嚙みたいもんだがな、どうだ?」


 草場は会話をしながらも次の弾を装填し、「モード:ミスト」と呟いていた。使うのは非殺傷用に濃度を調整したVXガスである。一時的に筋肉を痙攣させ動きを止めるものだ。神宮寺の能力は不明だが、こちらの挙動を別視点などで見ることができるサーチ系か何かの可能性がある。現状だと、身体能力自体は彼自身のものだし、狭い空間で拡散する攻撃であれば避けることは難しいだろう。


「そうやって聞き出そうって肚でしょう?ありえませんね。それと……そのガス攻撃はお勧めしませんよ。試してみてもいいですが」


 やはり行動が筒抜けという訳らしい。どうにも戦いづらい相手だ。この場所も草場にとってはあまり得意な地形ではなかった。彼の戦略上、普段はここまで接近せず遠距離狙撃を基本としている。だが、この周囲はまるで迷路のように入り組んだホテルの廊下と言ったところか。それで仕方なしにこうして敵前まで来ているという訳だった。


「じゃあ試してみるとするさ」


 奴はガス攻撃と睨んでいる。その虚をつく。彼は身を乗り出して照準を構えると同時に呟いた「モード:マシンガン」コルトの赤い目が切り替わる。これなら……そう思ったが、奴はすでに射線上にはいなかった。そう遠くにはいないことは確実だ。ガスならば逆に手傷を負わせられていたかもしれない。完全に読まれていた、もしくはブラフか?どちらにしても一本取られたらしい。


 しかし、草場のこの行動まで読まれているとしたら妙だった。例え行動を把握されていたとしても、直前まではどちらの攻撃かわからないはずである。何か別の能力を想定する必要がありそうだった。少なくとも弾道を変えるなどして避けていたわけではない。重力や空間に手を加えるわけではないだろう。接近戦を挑んでこないことや先ほどの避け方からして身体能力の強化という訳でもなさそうだ。有りうるとすれば、心を読まれた、もしくは……未来視。


 草場はその2つの可能性が高いと判断し、対策を練る。奴がわざと隙を大きく見せているのは、状況をシンプルにするためだろう。的が狙いやすければ狙いやすいほど、攻撃もシンプルなものになりやすい。場所を移動し、嵌めるのにいい場所を探す。「今回はしくじらねえ」彼は迎え撃つ準備を進めるのだった。


 ――


 神宮寺は本当のところ少しだけ厄介に思っていた。草場の能力は汎用性に富み、相性がいい相手ではないからだ。小日向や猪俣、矢切が相手であれば完封できるだろうと高を括っていたのである。もちろん草場が来る可能性のあることは、作戦決行の直前にジョーから知らされていた。そのため、実は普段から着用している防弾チョッキに加え、ガスマスクの用意もしてきている。彼を雇った時に戦い方などある程度の情報は得ていた。


 神宮寺はバディを「リュウグウノメ」と呼んでいる。能力は草場の想定通り、未来視であった。彼は1分ほど先の自分の視界を見て行動している。それ以上は心息の消費が激しい上に必要な場面は殆どなかった。


 そして実はすでに、彼は見た未来の中ですでに何度か草場に殺されていた。それにより心息は少しだが削られている。自分の死を見てしまうのは、いかに慣れてきたといえど、精神にダメージを受けずにはいられない。

 

「草場がとりうる攻撃のパターンは……」神宮寺は1人の時、思考を口に出して考える癖があった。「1、霧状の毒ガスおよび目くらまし。2、弾丸による物理的攻撃。3、酸性のシャワーや油などを用いた搦め手、辺りでしょう……」そして彼にとって厄介なのは3の搦め手であった。ばらまかれた油などで自分の行動をコントロールできなくなる、もしくは範囲攻撃など回避が不可能な状況に追い詰められること。


 ただし、草場にも弱点はある。「彼の携行するボトルの中には可燃性のものや危険な液体もあるでしょう。ことによればそれらを破壊するだけで私の勝利。そこまでいかなくとも弾の種類を一種に絞り込めさえすれば、いかようにも対策はできる……」実際、この入り組んだ狭い地形では上を取られる心配もなく、ガスの届く範囲も限られる。射線も遮りやすい。なにより草場はボトルを切り替えるのに少しのタイムラグがある。そのタイミングでボトルを破壊することができれば、弾切れでもはや何もできない状況に追い込むことができる。


 しかし、そこまでの考えには至っていたものの、今までの草場はそのボトルを含めほとんど射線の通らない位置に陣取っており、確実なチャンスはなかった。「しかし……逆に今は彼も私を嵌めるため、裏を取られないように狭く逃げ場のない場所に籠城しているはず。そこでこれを使えば……」彼は自分の腰にあるポーチに目を落とす。彼は拳銃のほかにも手榴弾を携帯していた。自らの戦闘力の低さを補うためであり、いざというときの保険だった。「情報や武器ふくめアドバンテージは私にある……。ふふふ。殺して差し上げましょう、草場さん」


 神宮寺慎太郎。彼もまた非常に慎重であり、事前に計画を練るタイプだった。エリート大学を卒業後はストレートに大手銀行に就職し、何不自由ない生活を営んでいた。だが、あるときオトヒメにより心海へと引きずり込まれ、殺されかけたとき、自分の運命を見出したのである。


「素晴らしいっ!私ではどう足掻いても届かない存在……!この方に尽くすことこそが私の存在意義!」


 それ以来、彼はオトヒメを崇拝した。今までの人生は全てのことが順調だった。それが、退屈だったのだ。どこかで満たされなかった。自分の想定通りに物事が運ぶこと、決められたレールの上を歩むこと。それこそが正しく素晴らしい道なのだと思っていた。しかし本当は、それすら捻じ曲げる存在に心惹かれていたのだ。待ち焦がれていた、と言ってもいい。論理は突き詰めれば回答が得られる。だが、それが通用しないものにこそエリートは心惹かれてしまうのかもしれない。宗教にのめり込む人物は得てして真面目で優秀な人間だったりする。


 「こちらは常に彼の打ち手を見てから先手を取れる。抜かりはありません……何が来ても」


 彼は眼鏡を押し上げると、悠々と歩き出した。C-SOTの1人を殺したなら、自分の地位を確固たるものにできる。新たな世界の秩序を作るのだ。敬愛するオトヒメと共に……。


 ――


「そこに居ましたか」神宮寺は未来の自分の視界を見て草場の位置を把握する。一手目はどうやら黒い液体による目くらまし。そのあとは視界不良で良く見えなかったが、何らかの方法ですぐに再起不能の状態にさせられているようだった。「攻撃手段が見えないのは厄介ですが、すぐに通路に逃げ込めば問題はないでしょう。すぐにモードを切り替えたとしても直線的な銃弾にすぎません」草場の一手目に合わせて手榴弾を即座に投げる。彼の視界も同様に悪いのだから感づかれはしない。それで基本的にはゲームセット。仮に仕留めそこなっても同じように追い詰めればいい。ボトルだけでも破壊できれば、それだけでほぼ勝利だ。


 頭の中でシミュレーションを行うと、彼は姿を晒した。想定通り草場はすぐに銃弾を放ってきた。神宮寺はそれを見てから手榴弾のピンを引き抜く。しかし、予想外のことが起きた。それは霧ではなかったのだ。彼は右足を2発撃ちぬかれていた。パニックになりそうな感情を抑えてなんとか通路へと逃げる。握りしめた手榴弾は何とか離さずに済んだ。「なぜ?」再び未来視を行う。

 

 そこには、敵の特殊なグレネードによって倒れた自分の姿がある。逃げるしかない。そう思いさらに奥へと逃げる。だが、何度見てもその未来は変わらない。「どうしてですか!」自分の心が乱れるのを感じる。草場の走ってくる足音が迫り、彼はグレネードを投げた。それでも未来は変わらない。


「今のはちょいと危なかった」


 そう言って草場は悠々と歩いてきた。多少爆風で傷はついているものの、無事なようだ。焦ってあまりいい位置に投げられなかったのだろう。神宮寺は拳銃を構え乱射する。「おっと」草場は通路に引っ込んでそれを躱した。そして、例のグレネードが投げ込まれた。足を引きずりながら必死に走り、なんとか通路の先に転がり込む。だがその刹那……耳鳴りを増幅したような爆音が彼の傷口から広がり、彼の耳を、いや全身を貫いた。


「ぬわああああ!」


 神宮寺はその場に倒れ伏し、意識が消えかかる。バディも出せない。なぜ!?理解が追い付かない。草場のグレネードは音響グレネードと呼ばれる、高周波の音を響かせるものだ。だが、よほど被弾距離が近くなければここまでのダメージを負うことはないはずだった。


 目の前に現れた草場は耳栓を取って告げる。


「その液体は音波増幅液体っつってな。黒く染めたんだわ」


「なぜ?貴方はミストを放つはずだった。なぜ!?」


 聞こえているはずもないのだが草場は続ける。


「まさか『モード:ランダム』を使う日が来るとは思ってなかったぜ」


 未来は少しの揺らぎで変わる。コルトの「モード:ランダム」は撃つ瞬間が来るまで本人にも何が出るのかは分からない。未来を見て変わった神宮寺のちょっとした行動、数秒の誤差。それだけで結果が変わったのだ。心を読まれていようが、未来を見られていようが、どちらでも問題なかった。どのモードでもこの液体で濡れさせること。それだけで不可避の攻撃が可能だったのだ。


「さて、帰ったらたっぷり情報を吐いてもらうからな」


 草場はそう言ってニヒルに笑うと、神宮寺に手を伸ばす。誰にもランダムな事象を読み切ることはできない。例え未来が見えようとも。


 しかし、神宮寺は草場に帰還される直前、自分のすべての心息を使い果たした。「おい!」その声は届かない。彼は最後に遠くの未来を視たらしい。いや、彼の能力は自分の視界を視る能力……使っても何も見えないはずだった。


「オトヒメ様……いつまでもお傍……に」


 神宮司は今まで見たことのない綺麗な笑みを浮かべていた。そして、そのまま溺死した。


「ったく……。いい夢見ろよ」


 しばらく佇んだ後、草場は帰還した。どうにも勝利した感覚は持てないままに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る