Depth15 竜宮城
太陽はある男と会う約束を取り付けた。ある男とは神宮寺慎太郎――オトヒメの第一秘書だとかいう男である。電話で話すのはボロが出そうだったので、名刺にあったメールアドレス宛に謝罪文をしたためたのだ。
『件名:謝罪したい。本文:先日の誘いを断ったことを激しく後悔している。どうか、もう一度チャンスをもらえないだろうか。都合はいつでも構わない。よろしく頼む。ヒダカ』
心にもないことを書いてしまったが、致し方あるまい。そう彼は割り切った。今や奴らはちょっとした時の人でもあり、返信が来るとも思えない。住所に直接向かってみるか……そんなことを考えていたのだが、その予測はたやすく裏切られることになった。メールを送信してから3分も経たないうちに返信が届いたのだ。
『件名:RE:謝罪したい。本文:ヒダカ様。いつもお世話になっております。オトヒメ様第一秘書を務めている神宮寺慎太郎です。ご連絡をいただきありがとうございます。オトヒメ様に伺ったところ、その寛大な御心により謝罪を受け入れるとのことでございました。ただし、我々の仲間になっていただくにあたり直接確認したいこともございます……云々』
ご丁寧に長々と綴られたその文章の末尾には、住所とアポイントの日付が記されており、心海用のマスクを持参するよう注意事項も記されていた。即レスでこの文章量……できるサラリーマンというやつか。
そして現在、その時刻が迫っていた。マップアプリを頼りに指定の住所に到着した太陽は、その看板を見てしばし唖然とする。『キャバクラ”竜宮城”』。ふざけているとしか思えないが、何度確認してもこの住所で合っているらしい。まだ昼前の時間であり、夜には賑わうのであろう通りにもほとんど通行人はいない。とはいえ、こんな店に入るのはどうも億劫だった。
「やれやれ、行くしかないか……」
彼は深く息を吐くとその町ビルに入っていった。エレベータで5階に上がり、キラキラとしたその店のドアをノックする。
「ヒダカだ。謝罪に来た」
かなり棒読みになってはいたが、すぐに返事が聞こえる。
「ドアは開いています。どうぞお入りください」
太陽はドアを開けて中に入る。全体として高級感のある内装には、和風の提灯のような間接照明があり、どこか浮世離れした空間に思えた。ただし、そこにいるのは華やかな女性などではなく、スーツ姿に七三分けの丸眼鏡の男だけだった。
「ヒダカ様、ようこそお越しくださいました。さ、お掛けください」
神宮寺は立ち上がると太陽を席へと案内した。太陽は言われるがままに高級感あふれるソファに腰かける。小さい丸テーブルをはさんだ向かいに神宮寺が姿勢よく座った。どうにも落ち着かない。なぜこの場所なのだろうか、まさか名前だけで決めたんじゃないだろうなと訝しみつつ、黙って神宮寺を真正面から見据えた。
「オトヒメ……様はいるのか?直接謝罪をしたかったんだが」
張り付けたようなにこやかな営業スマイルを向ける神宮寺に太陽は尋ねた。”様”をつける常識は持ち合わせているらしい。ぎりぎりだったが。
「いえ、誠に残念ながらこちらにはいらっしゃいません。大変お忙しい方ですから。それよりも、ヒダカ様にはこれから適正審査をしていただきます。私たちの理想郷のためには人手が必要ですが、誰でも受け入れるというわけにはまいりませんので」
彼が眼鏡のブリッジをくいと持ち上げると、反射した光で一瞬真っ白に染まった。本当に胡散臭い男だ、内心で太陽はうんざりしていたが、ポーカーフェイスのまま続きを促した。
「適正審査か……かまわない。どんな内容だ?」
「ヒダカ様にとっては少々物足りないかもしれませんが……」彼はそう前置きをした後にニヤリと嗤う。
「羽虫を排除していただきたいのです」
「羽虫?なんのことだ?」
「最近小うるさいコバエが嗅ぎまわっているようでして。心海特殊作戦部隊でしたか。彼らの1人でも殺してきてくだされば大変助かるのですよ。なに、ヒダカ様の能力なら取るに足らないでしょう?」
彼はまたメガネを中指で押し上げて一呼吸置いた。
「それこそ羽虫を潰すように」
そう言って彼は手を勢いよく合わせると、パンッと乾いた単音が響いた。キャバレークラブというのは、人が居なければ案外音が反響するようだ。それにしても随分と芝居がかっていてやはりいけ好かない。さらに言えば、C-SOTの連中を1人殺すというのはかなりの無茶だ。やはり簡単に許す気はないらしい。コイツを無理矢理に脅してもいいんだが……。
「もし断ったら?」
「ははは、ご冗談を。これは決定事項なのですよ。これからすぐに潜っていただきます」
そう言うと彼はそんな太陽の思惑を看破していたかのように、懐から拳銃を取り出して太陽に突きつけた。最初から選択肢はなかったというわけらしい。太陽は、今日何度目かわからない溜息を吐いた。
「既に彼らはおびき出してあります。この座標に向かってください。マスクは持参いただいていますよね?」
随分と準備がいいんだな、そう皮肉を言いたくなるが口をつぐむ。太陽は黙ってマスクを取り出して装着した。もし失敗して戻ってもここで殺すというわけか。元から仲間などというよりも、使い捨ての道具のように考えていたらしい。いや、あるいは……成功して戻っても殺す気かもな。
「では、ご武運を祈っております。いってらっしゃいませ。これが成功した暁には晴れて……」
「
彼は最後まで話を聞くことなく心海へと潜った。妙にハイトーンな神宮寺の声をこれ以上聞いているのも億劫だった。
――
「猪俣くん、バディは出しておいて。いつでも
「了解っす、麗さん!」
スーツ姿の二人組、
だが、2人も伊達に心海の特殊部隊C-SOTに努めているわけではないので、そこは重々承知していたし警戒もしていた。小日向は細い目に普段とは違う冷たい輝きを宿し、猪俣も復帰したばかりだがやる気は充分だった。廃墟の街を連想させる道を少し歩くが、ルーカーはおろか心海魚の気配も感じない。少なくとも猪俣にとっては。
「誰も居なそうっすね……やっぱりデマだったんすよ」
「静かに!……今の聞こえた?」
猪俣は全くピンと来ていないようだったが小日向は何かを察知したらしい。2人は押し黙ってゆっくりとその方向へ歩いた。そこには太陽とそのバディ”ロイ”の姿があり、真っ黒なもやのようなものがロイの眼からあふれ出している。小日向は彼の放った些細な物音を敏感にキャッチしていたのだ。もやで姿は隠れつつあったが、小日向は即座に拳銃で彼の居た足元辺りを狙って撃った。威嚇や牽制もなしのいきなりの発砲である。
猪俣はそれを見て目を丸くしていたが、彼もすかさず銃を構えそこに意識を集中した。だが、黒い煙がスッと立ち消えたときには彼らの姿はなかった。
「透明化……?瞬間移動……?猪俣くん、下がって!」
C-SOTの2人はそこから少し離れ、つかず離れずで協力して周囲の警戒にあたる。しかし、何の物音や気配もない。緊張感が場を満たし、静寂が佇んでいた。小日向は自らが撃ち込んだはずの弾痕を確認し、微かにそれが逸れていたことに気が付いた。それはつまり、奴が被弾していたことを示している。だが、血の跡はおろか、痛みに対して反射的にあげるであろう悲鳴のようなものも聞こえなかった。
「ただの透明化じゃない。これは私たちじゃ対応しにくい相手ね。帰るわよ」
「……了解っす」
猪俣はチンプンカンプンだったが、先輩であり熟練の戦士であり好意を寄せる小日向の命令は絶対だった。2人はすぐにバディに手を当てる。
「取引をしろ。動けばコイツの命はない」
しかし、彼らが「ジャンプ」と発する直前、別の声が2人の後ろから暗く響く。猪俣の喉元にはナイフが突きつけられていた。気づけば彼の真後ろには黒いコートを羽織った太陽が暗い目をして立っている。その足からは血が滴っており、わずかだが痛みをこらえて口を堅く結んでいるのが分かった。
猪俣は最近何度も同じようなシチュエーションに立たされている感覚があったものの、上手く思い出せない。いずれにせよ、悔しさに顔を引きつらせつつも覚悟のこもった目で叫んだ。
「麗さん!僕ごと撃ちぬいて構いません!」
「待って。取引って?」
小日向はあくまで冷静に声をかける。
「まずは銃を置け。それと、お前ら2人のバディもしまえ」
太陽が冷淡に告げると、小日向は鼻から息を深く吐き出した。そして、細い目で彼をまっすぐに見据えたまま、構えていた銃をゆっくりと地面に置くと「くーちゃん、お疲れ様」そう言ってバディも引っ込める。猪俣は「クソッ」と言って歯ぎしりをしていたが、「バショウ、戻れ」と言ってバディをしまった。銃はその場に投げ捨てる。
「あなたはオトヒメの使者?私たちを嵌めたってわけ?」
あくまで会話のイニシアチブを取ろうというわけか……まあいい。太陽はその小日向の姿勢に感心しつつ、その質問に少し考えを巡らせた。ここで取れる選択肢は2つ。このままこの猪俣とかいう奴を殺してすぐに帰還すること。もう1つは彼らの
どちらの選択肢も相応のリスクが考えられた。コイツを殺してから即座に帰還する場合……あの小日向とかいうやつは動きや発言を観察した限りかなりの手練れだ。猪俣を殺した瞬間に自分も殺されるという可能性がある。そして、仮にそれを切り抜けて無事に帰還できたとしても、果たして神宮寺を信用できるのか……。
「……俺はアイツらとは無関係だ……いや、俺も奴らに嵌められた。俺をお前らの
「条件ね?あなたを見逃すこと?」
「ああ。それも条件の1つ。それに加えて、お前らの持っている
「……誰の情報?」
「ジョー。人喰い事件の犯人だ」
「麗さん!こんな奴の言うことなんて……」
「猪俣くん黙って」
小日向は眉間にしわを寄せて一瞬思考を巡らせたが、すぐに真剣な目つきで返事をした。
「いいわ。取引を飲みます。だけどもし……」
「俺はジョー以外のやつを殺すつもりはない。邪魔をしなければ、な」
2人の視線の間に一本の直線が走ったように、数秒間沈黙の駆け引きが行われた。どちらもお互いの目から真偽を探ろうとしたのだろう。猪俣は取り残されて、もはや状況に流されるしかないと割り切ったように目を閉じていた。その張り詰めた高度な緊張の糸がたるみ、小日向はほんの少し気を和らげて告げる。
「わかった。あなたを信用します。ただし、
「ああ。取引成立だな」
そして、猪俣のジャンプによって3人は心海を立ち去った。
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