Depth16 取引

 地上へ戻った太陽が眼を開くと、デスクがいくつか並んだあまり広くはない部屋だった。何人かの人物がこちらを睨みつけている。刑事と思しき大柄のひげを蓄えた男は銃を向けてきているし、他の連中も殺気が駄々洩れだった。男は猪俣と太陽を除いて4人。銃を突き付けている男、顔の良い若めの男、無精ひげの男、そして……最果ての三傑。佐久間宗一郎だ。まさか本当に出くわすとはな……太陽は内心でやれやれと首を振った。だが、前に会った女の顔はない。死んだ……のか?彼はジョーの殺害を防げなかった可能性に想いを一瞬とられるが、すぐに今やるべきことに意識を戻す。


「動くな。下手に動けばこいつの命はない」


 猪俣の首にナイフを突きつけながら、太陽は後ろを取られないよう壁際にゆっくりと寄った。そんな太陽の顔を佐久間は見て、興味深いとでも言うようにほんの一瞬、誰にも悟られないように笑う。


 実は2人は面識があったのだ。佐久間は秘密裏に女王蜘蛛のもとを、過去に何度か訪れている。情報を得るためらしく、かなりの額を惜しげもなく”課金”していた。それに彼らは古くからの知り合いらしい。そのやり取りを太陽は克明に覚えていた。


「また手合わせ願いたいものです。次こそは黒星を付ける自信があるのですが……」


「ふん、坊やも成長したってわけかい?まあ、アタシはもう隠居の身さ」


「隠居などと……とても貴方には似合いませんね」


 どうやら佐久間と女王蜘蛛は何度か手合わせしたことすらあるらしい。彼女が昔に所属していたとかいう部隊の時の同僚だろうか。信じがたいことに単純な腕前は女王蜘蛛あのババアの方が上だともほざいていた。あの”最果ての三傑”がである。その会話は強く印象に残っていた。


 太陽は小日向の方を見て目で合図を送る。彼女から話してもらった方がいいだろう。


「みんな落ち着いて。私から状況を説明します。串呂さんも銃を下ろしてくれますか」


 それを聞いて串呂秀明くしろひであきは「仕方ねぇな」と呟いてから銃をホルダーにしまった。それを見届けてから小日向は事の次第をつぶさに説明した。かなりの警戒をしながら捜査を進めたこと。彼らが先に太陽を発見し、銃弾を命中させたこと。バディ能力によって猪俣が人質になったこと。取引をして今ここにいること。そしてその取引の内容……。彼女は一通り話を終えると、一度太陽の顔をチラと見てから全員に告げた。


「そういうわけで彼は逮捕せずに見逃します。そして、ジョーについての情報も渡してあげてください」


 C-SOTの面々と串呂は視線を見合わせて、隊長である八代の判断を仰いだ。彼は真剣だった表情を弛緩させ、すこしだけ上を見上げた後、ため息交じりに言う。

 

「小日向ちゃんでさえどうにもならなかったんだ、この隊の誰も防げなかっただろう。条件を飲むよ。だから、猪俣くんを放してやってくれないか」


「……こいつを解放するのは最後だ。まずはジョーの情報をよこせ。そのあと俺がオトヒメの情報を渡す」


 太陽は一息に告げると八代の目をじっと見る。人質になっている猪俣は悔しそうに肩を震わせていた。八代は太陽の目を見返して、そこから視線をブラさずに告げる。


「ヒデさん、資料を持ってきてくれるかい?」


「はいはい、わかったよ」串呂は首と手をやれやれと振ってから八代のデスクまで行き、資料を持って戻ってきた。「ほらよ、これでいいな?」鋭い眼光で圧を加えつつ、空いていた太陽の左手にその資料をそっと手渡す。


 太陽はその資料の表にざっと目を通して、満足げに軽く何度か頷いた。


『人喰い事件』被疑者:鬼崎恭助きざききょうすけ(1990年生まれ)……。


「なるほど、俺の知らない情報もあるようだ」


 そう言ってすぐ、彼はオトヒメについての情報を伝えた。正直なところ、こんな怪物の穴倉とも呼べる場所に長居はしたくなかった。


「オトヒメの第一秘書を名乗る奴が、今『竜宮城』とかいうキャバレークラブにいる。新宿区だ。奴は俺の帰還を待ち伏せている。すぐに向かえば身柄を確保できるかもしれない。あとは……この名刺をくれてやる。俺が知っているのはこれだけだ」


 そう言って彼は資料をポケットに突っ込みつつ、名刺を替わりに取り出した。そして、器用にそれを投げ、左手側に立っていた矢切がそれを受け取った。


「……”竜宮城”といい、マジでふざけてやがるな」


 矢切はその名刺を確認して呟くと、それを隣にいた串呂へと手渡した。それを見た彼も怪訝そうな顔をしている。


「それは俺も同感だ」

 

 太陽は相槌を打ち、その後に付け加える。


「さて取引は完了だな……外まで案内しろ」


 これでさっさと帰れる、そう考えていたのだが……。

 

「お待ちください。部外者の私が言うのもなんですが、一時的に協力しませんか?」


 太陽の言葉尻にかぶせる形で、佐久間が提案した。あくまで真剣な装いだが、なにか冗談めいたものを感じる。


「おい佐久間!何言ってやがるんだ?」


「いくら佐久間さんの提案でも無理っすよ!」


 さすがに受け入れられないらしく、串呂と猪俣は反射的に反対の声を上げた。当然の反応だろう。なにより太陽にとっても御免こうむりたい提案だった。


「佐久間っ……さん、確かに彼は約束をたがえる人物ではないと感じはしました。ですが、ルーカーでもある彼と協力というのはあまりにも突飛すぎます」


 ”佐久間っち”と言いかけた小日向も受け入れるのは難しいと感じているようだ。まあ趨勢すうせいは決したな。どう考えても非現実的な提案だろう。そう太陽は高を括る。八代も「流石に無理だよ」と首を振っていた。矢切だけは黙って佐久間を見ている。


「常識的に考えればそう判断できますね。ただし、現在は緊急を要する事態です。それに彼は”ルーカー殺しのヒダカ”と呼ばれる暗殺者。バディ能力は透明化……に近いものと聞いています。情報収集において稀有な人材です。私たちの中には彼のような能力者は居ませんから」


 こいつ、べらべらと……太陽は少し焦りに近い汗が流れるのを感じていた。何を言い出すのか予測ができない。これだからは苦手なのだ。表面は上手く着飾っているが、腹の底は全く読めない。


 周囲の彼らも怪訝な顔で太陽を見ている。ただのルーカーではなく、人殺しであるという事実が露呈したからだろう。厄介なことをしてくれたものだ、太陽は内心で舌打ちをもらしていた。


「安心してください。今日一日だけです。その間、私が彼を見張りましょう。いわば、私が人質になる形です。いかがでしょうか?”オトヒメ”たちはジョーについて何らかの情報を握っている可能性が高い……そして、その情報を得られるのはお互いにとってメリットしかないと思いますが」


「そう言って俺を殺す気なんじゃないのか?俺じゃあんたに絶対に勝てない……いや、人類の大半がそうだろうな。その要求はこちらから願い下げだ。調査なら俺1人でやればいい。俺にメリットがない」


 佐久間は俺に脅しをかけているのかもしれない。これ以上知っていることを話されたくなければ従えと……。太陽はどうにかして佐久間から逃げたかった。

 

「あくまでこの提案を飲めば、あなたは重大事件の捜査協力者。それなりの報酬が与えられますよ。それに、オトヒメ事件に関して私が把握している情報は共有します。悪くない提案だと思いますが……」


 太陽は得心した。おそらくだが、奴は俺の能力について強い好奇心がある。女王蜘蛛との会話で節々にその兆候がでていたため察しがついた。確かバディ能力の収集と考察が生きがいであるとか……。こいつは上っ面は綺麗に理論で覆っているが、完全に個人的な興味で動いている。そう、彼の直感が告げていた。女王蜘蛛が佐久間について言及したことも、この伏線だったのかと思えてくる。「能力オタク野郎に付き纏われないよう、せいぜい気を付けな」彼女はそう言いたかったのかもしれない。

 

「佐久間さんが言うんなら良いんじゃねぇの?報酬なんかもどうにかしてくれるってことだろ?」


「ええ。この件に関してましては、一切の責任は私が負いましょう」

 

 矢切が余計な一言を発し、決したと思われた趨勢が一気に反対方向へと傾いた。あくまでC-SOTとの協力というよりも、佐久間個人ひいては彼の所属するUCN(国際心海連盟)直属部隊への捜査協力であるということを条件に、皆受け入れる方向になったのである。もちろん、太陽を除いて、だ。これにはなによりも、”佐久間”という絶大な信頼があるからこそだろう。普通ならこんな提案はまかり通っていいはずはなかった。暗黙的に「佐久間さんが言うなら大丈夫だろう」というようなバイアスがかかっているらしい。


「どうでしょうか、ヒダカさん。報酬については相談するとして、あまり時間もありません。今日一日、捜査協力をしていただけませんか?もちろん強制ではありませんが、可能ならばぜひともお願い致します」


 そう言って佐久間は恭しく頭を下げる。それを見た周囲は少し気まずそうだった。人類最強の男がルーカー相手に頭を下げてお願いしているのである。「佐久間さんにここまでさせてしまった」そんな罪悪感のようなものがひしひしと感じられた。


「……今日一日だけだ。報酬は弾んでもらう」


 太陽はしぶしぶ承諾した。空気に飲まれたというよりは、断れば佐久間にさらに面倒くさい形で接触されるような嫌な予感がしたからである。それに、報酬や情報についても悪い提案ではなかった。おそらく、この男は俺を殺しはしないだろう……少なくとも興味がある間は。そう割り切ることにした。


「ありがとうございます。ご協力感謝いたします」


 佐久間は顔を上げて、本当に嬉しそうな顔をした。太陽だけはそれを見て背筋に冷たいものが走るのであった。

 

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