Depth3 Some buddy

 派手なパーカーの男が、猪俣の首元にナイフを向けるその瞬間、優音の鋭い叫びが室内に響いた。


 「ソラ、来てっ!」


 彼女は地上へと戻ることを決断し、即行動に移した。心海では一瞬の判断が生死を分ける。彼女の判断は冷酷だが、それもまた1つの才能と言えるだろう。は心海での頼れるパートナーであり、心海から脱出するには基本的に彼らの力が必要だ。それに、生き残るためにも。

 

 と呼ばれたバディは骨だけのシャチの姿をしていた。一見すると禍々しい見た目だが、白骨化した巨大なそれは生前の美しい流線型を彷彿とさせる。その身体の内側は、真っ黒な暗闇がその骨同士をつなぎとめているらしい。真っ赤に光る眼。それだけがハッキリとそこに命があることを感じさせた。

 

 しかし、既に男が振りかざしたナイフは、猪俣の喉を掻っ切っていた……はずだった。彼女は即座にかがみこみ女性に手を触れようと手を伸ばす。しかし、猪俣の血と悲鳴が噴き出すようなことはなかった。


(新手の潜行者……?)


 刃と刃がぶつかり合う耳鳴りのような音が響く。またも、突如として生まれたかのように、別の人物がその刃を受け止めていたのだ。まだ判断するには早いが、猪俣を守ってくれたことから考えて、敵ではないのかもしれない。


「チッ。てめえ!どっから現れやがったぁ!」


「……死ね」


 新しく現れた男は黒髪で暗い目をしていた。年齢は20代前半くらいだろうか。真ん中で分けた髪の毛が触角のように垂れて、残りは後ろで縛ってある。黒のロングコートを羽織り、年季の入ったサバイバルナイフを手に握っていた。彼はかなりの使い手らしく、派手な服装の男を追い詰めていく。

 

(3対1のこの状況ならば勝てる見込みがある)

 

 一度は帰還を選択した優音だったが、そう判断を変更して攻撃に転じた。奴の能力はまだ不明だが、それはお互い様だし、時間を稼げればこちらの方が有利だ。この状況ならば彼を確保できる可能性は大いにある。彼女の頭は瞬時に確率的優位を導き出した。合理的だと判断できれば彼女の行動は早い。


「いくよ、ソラ……適応アダプト!」


 優音は派手なルーカーをターゲットにバディ能力を発動する。


 ――ドクン。心臓が大きく脈を打ち、少しずつ感情が流れ込んできた。

 

 彼女の能力は『適応アダプト』。認識した敵の心を読み取って、自分の力へと昇華する。敵の正確な能力さえ分かれば簡易版を使用することさえ可能だ。時間と心息しんそくの消費量に比例して相手に適応していく能力である。だが、もちろんリスクもあった。彼女自身の心が飲まれるという特大のリスクが。

 

 彼女は心に流れ込んでくる感情を分析する。奴は……楽しんでいる?『殺せ!』感情は確かにそう囁いてきた。優音の体からはアドレナリンがあふれ、鼓動がどんどん早くなる。気を抜くと思わず笑みまでこぼれた。まだ深く能力を使ったわけではない。それなのにこれほどの激情を持っているなんて……。


 彼女はまだ冷静な脳みそで考える。奴はこれまで出会ったどんな人間とも違う。奴を突き動かしているのは純粋なまでの底知れない悪意だ。ただ壊したいという圧倒的なまでの衝動。


「お前は、殺した奴らのことを覚えているか?」


 黒いロングコートの男は、激しい攻防の最中にも関わらず問いかけた。

 

「あ?覚えてるわけねぇだろ。そんなクズの事なんかなぁ!」


「……だろうな……さっさと死ね!」

 

 黒コートの男はそこからさらに攻撃の手数を上げる。蹴りなども交えたその動きは鮮やかだった。

 

「おうおうおう!この陰キャ野郎、なかなかやるじゃねぇか!楽しくなってきたなぁ!来いよ、キングジョー!遊んでいいぜ」


 だが、派手な方の男も、それを上手く捌いている。なにより、その声の調子には余裕が表われていた。


 そして、奴の呼びかけと共に出現したのは狂暴な目をしたホオジロザメのようなバディだった。その口元はなぜか縫われており、その縫い目からは赤い液体がドロリと漏れ出ている。ヒレはどれも剃刀かみそりのような鋭い刃が付いていて、まるで全身が殺意で形作られているかのようだ。


 それを見て対峙する黒いロングコートの男は大きく舌打ちを鳴らす。おそらくは得意のナイフ戦で仕留めきれなかったことに対する焦りや怒りの混じった感情の発露だろう。


(彼はバディをなぜ出さないのだろう?奥の手か、それとも戦闘向きでないのかもしれない)


 そう思いつつ優音は声を荒らげた。


「ソラ!彼を守って!」

 

 ソラと呼ばれたバディが横から体当たりをする。間一髪のところで、ヒレで切りつけようとしていたキングジョーを弾き飛ばし、黒髪の男を守ることができた。あれを食らっていればひとたまりもないだろう。人間の身体能力では心海を優雅に泳ぎ回れるバディの攻撃を防ぐのは難しい。

 

 しかし、助けられた黒コートの男は、何事もなかったかのようにまたナイフで追撃を始めた。礼の1つも言わず迷いなく走っていく。だが、彼女はむしろ少し感心した。思考を続ける彼女にとっては礼など不要なだけだったからだ。


(彼をあの巨大ザメから守りつつ、奴の集中力を削れれば隙が埋めるはず)


 彼女はただ戦いだけに集中した。優音は奴とバディの動きが段々と読めるようになってきている。時間が経つほどに彼女のもとにデータが蓄積されるのだ。なるべくなら早く仕留めたいけれど……。

 

 本来、優先すべきは捕縛であるはずだが、それがいつしか殺すことに置き換わっている。そのことに彼女自身も気が付いていない。


「猪俣くん!狙えそうなら奴を撃って。気をそらすだけでも構わない!」彼女はさらに声を発した。

 

「お、おう!」状況に対応できていなかったらしい猪俣は、少しあたふたとした後に改めて銃を構え直した。それも仕方のないことだろう。心息が不足すると酸素が欠乏したのと同じように意識がぼんやりとしてくるのだ。しかも、ただでさえ混乱を極めている状況である。即座に対応してみせる優音の方がむしろ異常なのかもしれない。

 

 だが、一方の彼女も浮かんでくる感情に飲まれないよう必死だった。『殺せ!』『壊せ!』どれもが刺々しく攻撃的であり、彼女はそのような感情を抱いたことはなかった。それがあまりに新しい刺激で、胸がむかむかとしてくる。「冷静になれ」彼女は自分に言い聞かせた。信じがたいことに、それは少しだけ快感だったのだ。今まで満たされたことのなかった容器に何かが注がれていくような……。そんな気持ちを抑えつつ、彼女自身も拳銃を構えて狙う。


 キングジョーと戦うソラも戦闘能力的に劣ってはいるが、上手くヒットアンドアウェイを繰り返し、時間稼ぎと妨害だけは上手くやれている。そんなソラの姿はだんだんと肉体を帯び、サメに近づいていた。さらに黒コートを纏う謎の青年も、ナイフさばきではやや勝っている。これならば勝てるはず。倒せるのも時間の問題に思われた。


 そのまま少しの膠着状態が続き、緊張の糸が張り詰めていく。その糸が途切れたのは青年の発した一言によってだった。


「……撃て!」


 ナイフ同士が勢いよくぶつかって、戦っていた2人がバランスを崩す。その一瞬に青年が眼を優音と猪俣に向け、横に体を避けながら叫んだ。今まで背中が邪魔をしていた射線が開ける。C-SOTの2人はその声に呼応して銃弾を放った。初めてにしてはいい連携だ。優音は少し笑みを浮かべながら銃を乱射した。それは不合理を嫌う彼女らしくもない、明らかに無駄な銃弾の消耗である。放たれた無数の銃弾たち。それは完全に奴を捉えたかに思えた。


 だがやはり、奴は一瞬のうちに姿を消した。ソラと交戦していたはずのキングジョーも同時に消えている。これが奴のバディ能力なのだろう。


「あんにゃろーまた消えたのかよ!?」


 猪俣は銃を構えつつ周りを見回しているが、やはり姿はない。


「でも帰還ジャンプじゃない!まだ近くにいるかもしれないから気は抜かないで!」


 帰還ジャンプというのは地上へ帰る方法だ。だがそれにはバディに直接触れている必要がある。奴とキングジョーは確実に離れていた。意図的に距離を取らせるようにしていた優音自身には確信がある。


(やはり奴の能力は瞬間移動か何か……。発動条件は……?好きに飛べるわけではなさそうだけど……)


 仮説はいくつかあるがどれも確信には至らない。

 

「お遊びは終わりだ。てめぇらの底は知れたからなぁ!」


 下品でいやらしい笑い声と共に大声が響く。背後だ。3人は一斉に振り向いた。

 

 奴はナイフを手で弄びながら、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。その歯はギザギザとまるで刃物のようにとがっている。奴のすぐ近くには心海魚がいた。しかし、その魚は攻撃する気がないのか、ひどく怯えているようだった。優音は違和感を覚えるが今はそれどころではない。どうにか打開策を考えなくては。


 正直なところ、優音はすでに心息が尽きかけていた。ここまで能力解放をしたのは初めてであったが、想定以上に心息を激しく消費するらしい。帰還ジャンプのことを考えると、これ以上の戦闘継続はかなり無謀に思えた。

 

 そしてそれは猪俣も同様である。彼はもはやバショウを出してもいない。頼りになるのは謎の青年だけ……。それは命を懸けるにはあまりに不確定要素すぎた。ここは逃げるしかない、彼女はそう決心する。


「猪俣くん!」優音は意識薄弱の女性とそれを守る猪俣のもとへ走った。意図を察したのだろう。猪俣は一度大きくうなずくと彼女を抱きかかえる。謎の青年は……いつの間にか姿を消していた。おそらくはすでに地上に戻ったのだろう。しかし彼の安否や能力について考えを巡らせる余裕は今の優音にはなかった。

 

「俺様から逃げようったって、無理なんだよぉ!」


 またも一瞬の出来事だった。奴は猪俣のすぐ背後にいた。男の口元がニヤリと大きくゆがむ。そして、辺りに赤い飛沫が散った。それは猪俣の背中から出たもの。迷いなく容赦のない一撃だった。彼は……ナイフで貫かれていた。


「ぐはっ……噓……だろ!?」


 猪俣は吐血して膝を落とす。ナイフが引き抜かれ、傷口からも大きく出血している。彼は余力を振り絞ってなんとか女性をそっとおろしたが、そのあとすぐに床へと倒れ伏した。

 

「猪俣くんっ!」


 叫んだところで何の意味もないと頭では分かっている。それでも、さきほど奴の感情を摂取したからだろうか、湧き上がるのは殺意だった。奴を……殺したい。「ソラアアア!」赤い目をしたそれはサメの肉体を宿していた。狂気に満ちたように男を食いちぎろうと突進する。


「キングジョォ!そいつの相手をしてやれ!」


 だが虚しくも、その攻撃は本物の暴力によって簡単に防がれてしまった。鋭いヒレによって切りつけられ、ソラと優音は痛みを感じる。


 冷静さを欠いた私の負け……優音は敗北を悟った。能力に飲まれて、感情に飲まれて、すでにバディを維持する心息すら残っていない。また誰も救えなかった。何ひとつ、正義を成すことはできなかった……。痛みよりも虚脱感が体を覆っている。私の存在意義は何?


 力なき正義は無力。そう、誰かが言っていた。それは真理だったのだ。

 

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