第2話


 その声を聞いたとたん、歯たちがキューキュー鳴きながら、どこかを目指して走り始めた。ぼくの歯も走り始めたので、ぼくは慌ててその後についていく。


「おいでー! こっちよー」


 女の人の声が近くなってくる。プリンの山を超えた先に、ものすごい数の歯たちに囲まれて、一人の女の人が立っていた。

 すごくキレイな人だった。真っ白でふわふわの長い髪に、肌も透けるような真っ白。ウエディングドレスみたいなふわぁっと広がるキラキラのドレスを着ていて、背中からは、蝶みたいな、虹色に輝く羽が生えている。その人は、とっても優しい顔で、まわりに集まっている歯たちを一つ一つ抱きしめていた。


「あぁ、可愛い子供たち。会いたかったわ」


 その人に向かって、ぼくの歯は一目散に走っていった。ぼくの歯に気付いた女の人が、ぱぁっと顔を輝かせて両手を広げる。その中に飛び込んできたぼくの歯を抱きしめて、女の人はキャーっと甲高い悲鳴をあげた。


「まぁ、いらっしゃい! なんてかわいい上顎第二乳臼歯なのー! このまるっとしたフォルムがたまらないわー! 上顎第一大臼歯の形にそっくりで、いじらしいわねぇ!」


 うーん……すごくキレイな人だけど、なんだかちょっと怖いかも。


「あら! 虫歯で穴が空いてるじゃない! かわいそうに」


 ぼくの歯の穴に気付いた女の人が、そう言って悲し気な声をあげた。それを聞いて、ぼくの心がキュッとなる。ぼくのせいだ。ぼくが歯磨きをさぼっていたから、虫歯にしちゃったんだ。今になって、罪悪感がわきあがってきた。

 女の人がぼくに気付いて、はっとした顔をした。


「あら! あなた、どうやってここに⁉ 人間は入れないようになっているのに」

「ご、ごめんなさい! ぼくの歯を追いかけてたら、ここに来ちゃったんです」

「そう、あなた、この子の持ち主さんね」


 女の人はぼくの歯を腕から下ろすと、ぼくに向かって素敵なおじぎをしてくれた。


「はじめまして。私はトゥース・フェアリーよ。子供の歯を守る妖精なの」

「歯の妖精……」


 ぼくはびっくりして女の人を見上げた。そういえば、そんな話を聞いたことがある。抜けた子供の歯をまくらもとに置いて寝ると、コインと交換してくれる妖精がいるって。でも、海外のおとぎ話だと思っていた。本当にいたんだ!


「あの……あの……」


 ぼくがなんて言っていいかわからなくてもじもじしてたら、トゥース・フェアリーがふんわりと笑って、ぼくの目をのぞきこんできた。


「あなたは、大人になるのがいやなのね?」

「う、うん」


 考えていることを言い当てられてびっくりしながら、ぼくは思っていたことを吐き出していた。


「どうしてぼくの歯は生え変わらなきゃいけないの? ずっと子供の歯でいちゃいけないの? 歯が抜けるのも体が変わっていくのもこわいんだ。ぼくの歯と別れなきゃいけないのも寂しいよ」


 そう言ってぼくの歯を見ると、ぼくの歯も悲しそうな顔をしてキューっと鳴いた。

 トゥース・フェアリーはしゃがみこんでぼくと同じ目線になると、ぼくの肩に手を置いて、励ますように笑ってくれた。


「そうね、子供の歯が抜けるのって、寂しいわよね。自分が変わっていくことも、怖くて戸惑うわよね。だけどね、嫌なことばかりじゃないのよ。今あなたができないようなことも、大きくなれば、なんだってできるようになるんだから」


 トゥース・フェアリーは歌うように続けた。


「大人の歯になったら、子供の歯では食べられなかった大きなものや、固いものもなんだって食べられちゃうわよ!

 大きくて分厚いステーキにかぶりついたり!

 今より何倍もの量を食べれたり!

 辛いものも、苦いものも食べられるようになるかもね。コーヒーだって飲めるようになるかもしれない。今は知らない味を、いっぱい食べられるようになるし、今は嫌いなものも、大好きになるかもしれない。


 大人の歯が生えてくるってことは、できなかったことができるようになるってことでもあるのよ。あなたはどんどんパワーアップしていくのよ。


 あごもおっきくなって、体もおっきくなって、もっともっと、力も強くなる。

 スポーツ選手になるかもしれない、消防士さんになるかもしれない、宇宙飛行士になるかもしれない。ねぇ、あなたは何になりたいのかしら?


 未来のあなたは、きっと、沢山のことを経験する。辛いことや悲しいこともあるかもしれないけど、いっぱいいっぱい、それ以上に楽しいことが待ってる」


 トゥース・フェアリーは、ぼくの鼻の頭をちょんっとつついた。


「大人になるのを怖がらないで。足元ばっかりみてると怖くなって動けなくなるけど、前を見て、えいやって足を踏み出してみれば、きっと、なんてことないんだから。毎日楽しくて楽しくて、怖いと思ってたことなんて、きっとすぐ忘れちゃうわ」


 ぼくは、さっき飛び石を飛んだ時のことを思い出していた。トゥース・フェアリーの言う通りかもしれない。足元ばっかり見ててもはじまらない。えいやって、飛んでみたら、今まで見えなかった景色が見えてくるかもしれないんだ。


「じゃぁ、そんなあなたに、私から贈り物をあげるわ」


 トゥース・フェアリーはそう言うと、両腕を空にかかげて、なんだか不思議な動きをした。すると両手の間がぴかっと光って、気が付くと、そこには銀色に輝くキレイなコインがくるくると回りながら輝いていた。

 今の、どうやったんだろう! びっくりして目を丸くしてると、トゥース・フェアリーはいたずらっぽくウインクして、ぼくにコインを差し出した。


「これはね、子供の歯が抜けて、一歩大人になった証のコインよ。受け取って!」


 言われるままぼくが両手を差し出すと、コインはふわっと飛んできて、ぼくの手の中におさまった。そしてそのまま、ぼくのむねにすぅっと吸い込まれるように溶けて消えてしまった。


「消えちゃった……」

「大丈夫。コインはあなたのなかにちゃんとあるわ。これで必ず、大人の歯は生えてくるからね。約束する!」


 トゥース・フェアリーはそう言って、ぼくとゆびきりげんまんをしてくれた。どこか寂しそうに長いまつげを伏せて、トゥース・フェアリーがささやく。


「あなたの歯のこと、忘れないでね。あなたが大きくなれるように、いっぱい頑張ってくれた子なの。その役目を終えて、あの子はここにやってきた。あの子のことは私がちゃんと面倒を見るから、心配しないでね」

「うん、もちろん、忘れないよ」


 ぼくはそう言って、ぼくの歯に向かって手を振った。歯は手がないから、代わりにぴょんぴょん飛び跳ねてくれた。その頭に空いた穴を見て、ぼくの胸がまた、キューっとなる。

 もう二度と、歯磨きをさぼったりなんてしない。ぼくのために頑張ってくれる歯たちを、虫歯になんてさせるもんか!


「じゃぁね、おやすみなさい。素敵な未来が、あなたを待っていますように」


 トゥース・フェアリーはそう言って、そっとぼくのほっぺを両手で包むと、ぼくのおでこに優しくキスをしてくれた。くすぐったくて、おもわず目を閉じちゃう。

 すると、まぶたの向こうがどんどん明るくなっていって……



 気が付いたら、ぼくは自分のベッドの上にいた。

 あわてて起き上がって、まくらもとの歯のケースを開けてみる。


「いない……」


 ぼくの歯はいなくなっていた。やっぱりあれは、夢じゃなかったんだ!






 それからぼくは、毎日洗面所の鏡とにらめっこしていた。

 くちのはしを指でひっぱって、歯が抜けたところをチェックする。

 まだ生えない。まだ生えない。だけど、ぼくの中に不安はなかった。

 だって、トゥース・フェアリーは約束してくれたから。

 そんなある日。とうとうぼくの歯ぐきから白いちっちゃい歯の頭が見えたとき、ぼくは思わず飛び上がって喜んでいた。


「お母さん、見て―! 大人の歯が生えてきたよー!!」



 僕の胸の中のコインが、キラッと輝いたような気がした。


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トゥース・フェアリーからの贈り物 茅野 明空(かやの めあ) @abobobolife

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